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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅢ(かえ担当)
15/66

第三話

「きみたちは、遠慮してくれないか」


 十年前の、あの日。

 銀月は、玄関先まで睡蓮を迎えに来て。

 睡蓮の背後に立つ屈強な二人の付き添いを認めると、

 彼らに向かい、こう言った。

 いかにも「迷惑」という顔つきで。


 男の一人が申し訳なさげに、しかしきっぱりと。

「察してくれませんか、若様。

 おれたちは、つまり……この子から、

 目を離すわけに、いかないんで」


 それで銀月は悟った。

 ああ、この男たちは睡蓮の護衛というよりも、

 むしろ、見張りの役目を負ってきたのだと。


 銀月は目を閉じて、天を仰ぐ。

 再び目を開けたとき、そこにはっきりと、

 男たちへの、敵意が。



 もう一人の男が、慇懃に言い募る。

「ご不快でしょうが、

 これがおれたちの仕事なんです、若様。

 お邪魔はしません。もてなしも要りません。

 おれたちのことは壁か衝立だと思ってもらって構いません。

 あなたがこの子に危害を加えようとしない限り、

 そして、この子が」


「わかったよ」

 そしてこの子が、逃げようとしない限り。

 睡蓮本人の前で、そんな言葉を聞かせたくなくて、

 銀月は男の語尾を、遮った。


「あの……銀月……ごめんなさい」

 睡蓮が、消え入りそうな声で謝罪を口にする。


 くだらない押し問答を仕掛けた自分を、銀月は悔やみ、

 睡蓮へ、つとめて柔和な笑顔を向ける。


「いいんだ、きみが謝るようなことじゃない。

 よく来たね。どうぞ、中へお入り……きみたちもね」


 壁か衝立だと思えと言われても、そうはいかない。

 男たちにも、一声かける。

 男たちは目礼をして、門をくぐった。


「睡蓮の花を見せてあげる」

 それを口実に、銀月は睡蓮を自宅へ招いたのだった。


「母が好きだった花だから、

 庭の池にたくさん咲いてるんだ。

 見においでよ」

 女将は特別に外出を、許可した。


 最初の朝こそ大泣きしたものの、

 睡蓮は案外、早く新生活に溶け込んだ。


 女将を母さんと呼び、なつき。

 酒楼に関る全ての人々と屈託なく接し、

 親しく言葉を交わす。


 何の問題もないように見えた。

 表面上は。


「聞き分けが、良すぎるんですよ」

 女将・房子パンジャは銀月に、相談。


「あれほど固執していた『父さん』のことも話さない。

 こちらからその話題を振っても、

 一瞬かたまったと思ったら、聞こえなかったふりをする。

 追い討ちをかければ、ついには忘れたふりまでしようとする。

 忘れるはずがない。とても情が深い子なんですよ。

 そう簡単に忘れられるわけがない」


「……と言って、わたしに何ができるだろう?」

 思案に暮れる銀月へ、女将は、提案。


「一時、

 睡蓮をここから連れ出してくれませんか、若様。

 ここの人間では駄目なようです。

 あの子は、あたしたちに気を遣って、

 弱音を吐くまいと決めています」


「あんな小さい子が、そこまで考えているのかな」

「若様、女をなめちゃいけませんよ」

「女って……睡蓮はまだ、ほんの子供だよ?」


「恋の痛みを知ったなら、見た目はどうあれ立派な女です。

 それに、あの子は奴隷商人に攫われたのに、

 売り飛ばされもせず、

 気に入られて二年も傍に置かれてたんですよ。

 とびきり気立てが良いか、

 よっぽどしたたかで処世術にたけているかの、

 どちらかですよ。

 若様、あの子は、どっちだと思います?」


 それは、もちろん。

 前者に決まっている。


「そんな子が、大人に気を遣えないなんてことが、

 あるものですか」


 熟睡した睡蓮を連れて、奴隷商人がやって来た夜。

 女将は睡蓮に関する仔細を聞き出していた。


 戦乱にまぎれて攫った。

 王宮の方角から駆けて来た。

 おそらく族長の娘。

 つまりは、姫。


 奴隷商人が身請けした愛人と折り合いがつかず、

 悩んだ末に、手放すのだと。


 女将は事の一切を、銀月に。

 銀月はそれを知って、苦々しい感情が込み上げた。


 年端もいかない異国の少女が、

 みずからの母と、重なる。

 二人とも、報われない真心を、不実な男に捧げて。

 身を焦がして、傷ついて。


 そして、睡蓮を捨てた奴隷商人が、

 みずからの父と重なり。

 会ったこともない睡蓮の「父さん」へ、

 怒りの炎を燃え上がらせる。


 銀月の大切な人を泣かせて「愛人」を選んだ、

 男たち。

 父という肩書きを持つ大人たちに、

 銀月自身が侮辱されたような、憤りを感じた。


 やがては、その銀月も、

 みずからが厭う大人の男へと変貌を遂げるのだとは、

 当時は、まだ思い至らずに。


 母は、失ってしまったけれど。

 だからこそ、睡蓮までもは、渡さない。


 いつまでも、あの子の魂を、

 ろくでもない大人の男なんかに、

 奪われていてなるものか!


 胸中深く、断固たる決意を秘めて、

 銀月は睡蓮を、招いたのだった。それなのに。

 屈強な男が二人も、くっついてくるとは。


 睡蓮に、

 たとえ一時でも自由を体感させてあげたくて、

 招いたのに。


 邪魔者を追い払おうと、ムキになったあげく。

 睡蓮をも、恐縮させて。

 銀月は、無力感に苛まれた。


 とはいえ、それは私事に過ぎぬ。

 胸のわだかまりを、ぐっと肚に落とし込んで、

 銀月は睡蓮を庭へ、案内。


「ごらん、きみの名前と同じ花だよ、睡蓮。

 ほら、この手前のなんか、

 きみの瞳の色に、そっくりだ」


『紫色の花なら、たしかに綺麗だけど、

 瞳の色が紫なんてのは、薄気味が悪いね。

 まるで、呪われてでもいるみたいじゃないのさ!』


 女の意地悪な暴言が甦って、

 睡蓮の胸を刺した。


 はらはらと涙をこぼす睡蓮に驚き、

 銀月は目線の高さを同じくしようと跪いて、

 理由を訊ねた。


 理由を訊ねたのに、睡蓮は。

 びっくりさせてごめんなさい、なんでもないの、

 すぐ泣きやむから、ごめんなさいと、

 ひたすら繰り返すばかり。


「睡蓮、いい子だ、こちらを向いて。

 謝らなくていい、きみを責めてやしない。

 涙のわけを訊いているんだ。

 どうか教えてくれないか」


 銀月は食い下がり、

 ようやく真相を、訊き出した。


 睡蓮は、奴隷商人の愛人から、

 その希少な外見を、徹底的に、

 扱き下ろされていたのだった。


 ゆたかな金髪も、神秘的な紫の瞳も、

 内側から光を放つ、大理石のような雪白の肌も、

 病的だ、と。


 二年も奴隷商人と旅しているのは、

 売れ残っているからだ。

 商品価値がないからだ。

 おまえなんか、

 おなさけで置いてもらっているだけなんだ。


『そのうち、捨てられるに決まってるさ!』


 女の予言は、的中した。

 睡蓮は、捨てられたのだ。

 少なくとも当人は、そう思い込んでいた。

 無言で、置き去られて。

 他に、どう解釈できると言うのか。


 それまでは、女の言葉など、信じなかった。

 反論もせず、自尊心をもって、決然と退けていた。


 けれども現実に、置いて行かれて。

 支えとしていた自尊心は、砕け散った。


 女の呪詛が猛毒の威力を発揮して、

 幼い精神を、蝕んだ。


「あたし、もう、捨てられたくない」

 睡蓮は、ついに胸中を吐露。


「もう、おとなの手から手へ、渡されるのは、いや。

 いまの母さんとこに、ずっといたい。

 あそこを、おうちにしたい。

 もう、どこへも、いきたくないの……」


 さめざめと泣く、睡蓮。

 それで、聞き分けの良すぎる子だったのか。

 捨てられたくなくて。


 銀月は、皮肉な感傷を抱く。

 睡蓮、どのみち、きみは、

 もう、どこへも行けやしないよ。

 だってきみは、

 気ままに出歩く自由さえ許されない、

 囚われの身なんだもの。


 慰める言葉も、見つけられなくて。

 銀月は跪いたまま、そっと睡蓮を抱き寄せた。


「睡蓮、これだけは言っておこう。

 美醜の基準は、人それぞれだ。

 きみに酷いことを言った女は、

 本気でそう思ったかもしれない。

 けれど、わたしの目には、きみはとても綺麗で、

 ものすごく可愛い女の子に見えるよ」


「……本当?」

「本当だとも。

 きみは、そんな女の言葉は信じても、

 わたしの讃美は信用できないのかい?」


「ううん、あたし、銀月の言うことを、信じるわ」

 ありがとう。

 睡蓮も、銀月の背中に腕をまわし、抱きしめ返した。


 あのときの温もりを、懐かしむように。

 十七歳の睡蓮は、窓辺で自分の肩を、抱きしめる。


 小さい頃、銀月は、いつだって、

 さりげなく、親しく、触れてくれた。

 ことあるごとに、髪に、頬に、肩に、背に。

 いとおしげに、やさしく。


 成長するにつれ、

 そういうことは、

 してくれなくなった。


 他の女のひとには、しても。

 もう、あたしには。


 二月 楊花 軽復た微

 春風 揺蕩して 人の衣を惹く

 他家かれは 本 是れ 無情の物

 一向に南に飛び 又北に飛ぶ         


 [訳] 旧暦二月。柳絮が軽やかにまたひそかに、春風に揺られて、人の衣にまといつく。

 もともと、感情を持たぬものゆえ、南へ飛んだかと思うとまた北へと飛ぶ。

 それに比べて、世のしがらみの中にいるわたしは・・・・・・。


 昔、銀月が教えてくれた、詩。

 初めて聞いたときは、

 寂しそうな詩だなと、なんとなく感じただけだった。


 いまは、こんなにも、切なく胸をしめつける。


 自分の立場は、わかっている。

 この酒楼の礎となる覚悟も、嘘ではない。

 けれど、せめて、ひととき。

 空想に耽ることは、許してほしい。


 宙を舞う柳絮に姿を変えて、

 あのひとのもとへ、行けたなら。

 その髪の先へでも。

 舞い降りることが、できたなら。

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