第58話 「二つの秩序。決戦の地、クリミア」
同刻――。
クリミア半島東部。悠真たちから数十キロ先地点。
吹き荒れる冷たい風の中、もう一つの陣営もまた、静かに開戦の時を待っていた。
瓦礫となった軍事施設。
その最奥。
巨大な魔法陣の中央に、一人の青年が立っている。
連合王国第一王子――アーサー。
黄金の外套を翻しながら、彼は眼下に広がる戦場を静かに見下ろしていた。
「……美しい」
誰に向けたわけでもない独り言。
しかし、その声には狂気ではなく、確固たる信念が宿っていた。
「混乱した世界は、やがて秩序を求める」
「ならば最初から、一つの意志で統べればいい」
その隣には、黒銀の妖精――アジー。
以前のような穏やかな瞳ではない。
アレクシスを人質に取られ、
なお強いられ続ける彼女は、苦しげに視線を伏せていた。
アーサーはその様子を横目で見ても、何も言わない。
必要なのは同情ではなく、力。
それだけだった。
さらにその背後には、ロシア武闘派の将官たちが並ぶ。
重厚な軍服。
勲章で埋め尽くされた胸元。
誰一人として、この戦争を疑問視する者はいない。
「第一王子殿下」
「全軍、配置完了」
「黒海艦隊も射程内です」
「いつでも侵攻できます」
報告を聞いたアーサーは、小さく頷く。
「ご苦労」
「歴史は、今日ここで動く」
その時だった。
空間そのものが、ゆっくりと軋む。
黒い羽根が雪のように舞い落ち、金糸雀色の魔法陣が開いた。
現れたのは、黒い翼と夜の衣を纏う妖精――マモ。
すべてを見透かす赤い瞳が、遠くサラの方角を見据えて薄く笑う。
「変わらぬな。何年経っても、まだ同じ夢を見ている」
マモの静かな声には、一万二〇〇〇年分の絶望が滲んでいた。
「平和、共存、信頼――笑わせる。人は必ず争う生き物だ」
「富を奪い、思想を押し付け、力ある者を恐れる。それが人間だ」
「ならば、最初から支配した方が美しい。誰も逆らえぬ秩序こそが完成形だ」
アーサーは一片の迷いもない瞳で、静かに歩み寄る。
「我々は歴史を繰り返すが、同じ失敗はしない」
「“あの時”、アトランティスは勝ちながら滅びた」
「支配したあとを考えていなかったからだ。だから今回は違う」
「国家、妖精、軍事、政治、AI――すべてを一つの意思で管理する」
「秩序は自由より尊い。選択肢がなければ、人類はようやく平和になる」
マモは満足そうに微笑んだ。
「やはり、お前が選ばれた理由が分かる」
その瞬間、アジーだけが小さく目を閉じた。
かつて語り合った未来。悠真たちと出会い、信じかけた可能性。
その全てが胸の奥で揺れていた。だが、今は何も言えない。
人質となった彼を救うまでは――。
アーサーが右手を掲げると、無数の魔法陣が空を覆い尽くした。
金糸雀色と黒銀の光が、クリミアの夜空を染め上げる。
「開戦まで、あと二十分。世界に、新たな秩序を」
――
同時刻、数十キロ離れた連合軍前線。
メーティスの無機質な音声が、静かに危険を告げていた。
【確認:敵戦力増加】
【妖精個体――識別名】
【警告:脅威度、最上位S】
【交戦予測、十分後】
念話でマモの気配を察知したサラやフェロの表情が、大きく揺れる。
「……マモ」
「そんな……まだアズライルに……」
“最上位S”という絶望的なアラートに、周囲の契約者たちが息を呑む。
緊迫感が走る中、俺は、不敵に口角を上げた。
「最上位S、か。上等だ」
「さっさと終わらせて、アジーも連れて帰る!それだけだ!」
一万二〇〇〇年前の因縁と、新しい未来。
二つの世界観が、いよいよ真正面から激突しようとしていた。
――
黒海から吹きつける冷たい風が、静寂を切り裂いた。
次の瞬間、世界中の魔導端末へ、一つの声が響く。
【日本メーティスより全隊。ネットワーク――起動】
日本中枢から放たれた膨大な情報が、世界中の国家AIへ走る。
各国の演算機関が瞬時に接続され、大規模な共通戦術網が統合されていく。
【米国、接続完了。欧州統合、同期完了。共有率一〇〇%】
世界が、ひとつの指揮系統で動き始める。
それは数多の失敗を繰り返し、漸くたどり着けた人類の叡智だった。
地中海上空、北米航空隊の編隊が一斉にクリミアへと進路を転じる。
誰一人、迷わない。世界を守るための戦いなのだから。
臨戦の連合軍前線。
悠真たちの周囲に、それぞれの妖精が集う。
サラ、スサノオ、レヴィ。さらに、静かに前を見据えるバアル。
そこへ、ローマからフェロが転移で到着する。
五柱の妖精が同時に魔力を解放した瞬間、空そのものが震えた。
翡翠、白金、蒼銀、朱紫、純白。
色とりどりの魔力が天空へと昇り、巨大な光の輪を描いていく。
「みんな、お願い! もう誰も失わせない!」
サラが声を張ると、最初に応えたのはレヴィだった。
「了解! ノアを通じて米国隊の演算へ接続します!」
蒼銀の光が空を駆け抜け、すぐ隣の陣地でノアがライフルを構えた。
「西側防衛線は私が!」
フェロの手により、純白の結界が幾重にも展開されていく。
バアルとメイユも静かに歩み出た。
「ならば我が中央を抑える。二度と憎しみに飲まれぬよう」
朱紫の魔力が大地へ染み込み、敵軍の進軍ルートを侵食していく。
そして、白金の雷が天を貫いた。
「行こう、龍之介。今度こそ最後まで」
スサノオの言葉に、龍之介が深く頷く。
「ああ。全てを護るための剣だ」
白金の雷が、一万二千年前の理想を宿した巨大な太刀を形作る。
味方陣営の圧倒的な大技が並ぶ中、メーティスが全軍へ告げた。
【民間人避難率、一〇〇%。総員、攻撃制限を解除】
「天城君、メーティスがオーバーフローしている!」
その瞬間、御園生が手元の端末を見て絶句した。
「バアルの魔力出力、さっきの三倍だぞ!?」
「おいおい、開戦前からとんでもない切り札が覚醒しちまったな」
隣の陣地からノアが愉快そうに口角を上げる。
「……上等だ」
悠真はゆっくりと黒炎を右手に宿す。
その瞬間、周囲の五柱の魔力すら圧し潰すほどの、圧倒的な熱量が爆発した。
黒海を覆う灰色の雲が退けられ、漆黒の炎が天を焼き焦がしていく。
数十キロ先で魔法陣を掲げていたアーサー。
その理外の魔力に初めて表情を歪めていた。
これこそが、新しい世界を背負う男の力。
悠真は黒炎を構え、隣の龍之介や通信越しのレイナたちへ視線を送る。
そして、静かに息を吸い込んだ。
「始めよう」
ノアが親指を立て、サラが小さく笑った。
「うん。これで終わらせよう!」
黒炎と白雷が同時に天を貫く。
人と精霊、そしてAI。
三つの叡智が重なったその瞬間――。
世界の未来を懸けた最後の戦いが、ついに幕を開けた。
――続く。
次話、「終焉は、もう一度世界を覆う」
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