第45話 「“長すぎた”一年、世界の記憶」
三月中旬。
校内には卒業式を目前に控えた、どこか落ち着かない空気が漂っていた。
三年生は卒業準備。
一、二年生は学年末試験。
そして俺は――。
“あの時”の悲劇を繰り返していた。
――
「終わったぁぁぁ……」
机に突っ伏した。
最後の試験終了を告げるチャイムが鳴った瞬間、全身から力が抜けていく。
「生きてる……」
「俺、生き残った……」
そんな俺を見て、廉太郎が大げさに肩をすくめた。
「いやいや、試験でそんな瀕死になる奴いる?」
「いるんだよ……」
「魔法理論までは何とかなる」
「でも古典魔導史と数理魔導工学が本当に鬼門だった」
「だから言ったじゃない」
レイナが苦笑しながら答案用紙をまとめる。
「もっと早く勉強を始めればよかったのに」
「その通りです……」
反論できない。
ここ二週間ほど、俺はレイナと廉太郎に毎日のように勉強を見てもらっていた。
放課後の図書館。
休日のオンライン勉強会。
時にはサラまで混ざってきて、
『悠真!』
『ここ、さっきも間違えた!』
『ぐっ……!』
と、小さな鬼教官になっていた。
結果。
どうにか全科目で赤点は回避。
進級も無事決定。
まさに薄氷の勝利だった。
「本当にありがとう」
俺が頭を下げると、廉太郎は笑って親指を立てる。
「旅行が懸かってたからな」
「赤点で補習とか笑えないし」
「確かに」
イタリア旅行。
その言葉だけで自然と顔がほころぶ。
卒業前。
龍之介先輩との思い出作り。
そして俺たちにとって初めての海外旅行。
考えるだけで胸が高鳴った。
――
その日の夕方。
家へ帰ると、俺はさっそく旅行の準備を始めた。
「パスポートよし」
「財布」
「充電器」
「変換プラグって必要なのか?」
スマートフォンで調べながら荷物を並べていく。
すると机の上へサラが降り立った。
『悠真』
「ん?」
『イタリアって、美味しいものある?』
「いっぱいあるぞ」
「ピザ」
「パスタ」
「ジェラート」
「ティラミス」
『全部食べる!』
「いや、サラは雰囲気だけじゃなかったのか」
『食べる雰囲気を味わうの!』
「それ意味違うだろ」
思わず吹き出す。
こうして笑っていられる時間が、少し前までは想像もできなかった。
一万二〇〇〇年前の記憶。
アズライルとの戦い。
連合王国や米国との激突。
どれも昨日のことのように思い出せる。
それでも今は。
普通の高校生として旅行を楽しみにできる。
そんな日常が、何より嬉しかった。
――
一方その頃。
こちらも“また”繰り返していた。
――神代家。
「…………」
神代レイナは、自室のベッドへ顔を埋めていた。
「どうしよう……」
小さく呟く。
その周囲には洋服が山のように並んでいた。
「これかな……」
「いや、こっち?」
「でもイタリアだし……」
ワンピースを鏡に合わせては首を傾げる。
ジャケットを羽織っては脱ぐ。
「視察なんだから」
「落ち着いた服の方が……」
そう言って数秒後。
「……でも旅行でもあるし」
また着替える。
すでに三十分が経過していた。
スマートフォンには旅行サイトが開かれたまま。
「ローマ おすすめカフェ」
「ヴェネツィア 景色」
「フィレンツェ 夜景」
検索履歴がどんどん増えていく。
さらに予定表には細かく書き込みが並んでいた。
「午前・視察」
「午後・自由行動」
「ここなら悠真くんも楽しめるかな」
気付けば頬が緩んでいる。
「……はっ」
慌てて顔を押さえる。
「違う違う!」
「これは視察!」
「監察官として当然の準備!」
誰も聞いていないのに言い訳を始める。
その時だった。
コンコン。
「レイナ」
母の声が聞こえる。
「まだ起きてるの?」
「は、はいっ!」
「旅行の準備?」
「し、視察の準備です……っ!」
返事をした瞬間、自分でも顔が熱くなる。
扉の向こうから、小さな笑い声が聞こえた気がした。
「楽しそうね」
「……うぅ」
否定できない。
任務はもちろん大切。
でも――。
悠真と。
みんなと。
初めて海外で過ごす数日間が楽しみで仕方なかった。
春風が窓を優しく揺らす。
それぞれが、それぞれの想いを胸に。
青い空の向こう──
イタリアへの旅立ちは、もう目前まで迫っていた。
――
イタリア・ローマ。
夕暮れのコロッセオから、一人の少女が静かに歩き出した。
黒髪を揺らすその姿は、誰が見てもただの東洋人の少女。
だが、その瞳の奥には人ならざる光が宿っていた。
――美月
石畳を踏みしめる足音だけが静かな夜へ溶けていく。
『こちらだ』
耳元で声が響く。
振り返れば、小さな妖精がふわりと浮かんでいた。
純白の羽。
純白の髪。
法衣を思わせる衣を纏ったその妖精は、静かな微笑みを浮かべる。
『改めてようこそ、ローマへ』
バアルは鼻で笑う。
『案内役とは随分と殊勝だな』
『再び“盟友”となった以上、礼儀は尽くします』
フェロは穏やかな口調を崩さない。
そのまま二人は夜のローマを歩き出した。
向かう先は――。
バチカン市国。
世界最大の宗教都市。
そして法皇庁。
――
厳重な警備を幾重にも抜けた先。
歴代法皇しか立ち入ることを許されない地下回廊。
そこでは、一人の老人が静かに待っていた。
現法皇。
白い法衣に身を包み、柔らかな眼差しで二人を迎える。
「待っていました」
法皇はメイユへ視線を向ける。
「……いえ」
「あなたは劉美月ではありませんね」
バアルは小さく笑った。
『見抜くか』
「ええ」
「フェロから事情は聞いております」
法皇は静かに一礼した。
「あなた方にも、一万二〇〇〇年という長い時間があったのでしょう」
「ならば、我々にも知る責任があります」
敵意はない。
純粋な探究心。
その姿勢に、バアルも警戒を少しだけ解いた。
『よかろう』
『案内しろ』
――
さらに地下深く。
厚さ数メートルはあろう巨大な石扉が姿を現す。
扉一面に刻まれた超古代文字。
法皇が静かに手を添える。
「ここは法王庁最大の秘匿領域」
「世界の記憶」
低い音とともに、石扉がゆっくりと開いていく。
ゴゴゴゴゴ──……。
その先に広がっていたのは、巨大な円形空間だった。
壁一面を覆う無数の結晶。
一つ一つが淡く輝き、まるで星空のように瞬いている。
中央には巨大な水晶柱。
天井へ届くほど巨大な一本柱だった。
フェロが静かに語る。
『世界で起きた出来事』
『人々の祈り』
『歴史』
『文明』
『すべて、この場所へ記録される』
『それが"世界の記憶"』
バアルは目を細めた。
『まだ残っていたか……』
彼はゆっくりと水晶へ近づく。
『ならば確認しよう』
『一万二〇〇〇年前』
『あの日の真実を』
――
バアルが水晶へ手を触れた瞬間。
ブワッ――。
膨大な魔力が室内を満たした。
結晶という結晶が一斉に輝き始める。
無数の映像。
無数の記憶。
文明が栄え。
人々が笑い。
そして戦火に包まれていく光景。
やがて映像は一つへ収束する。
決戦の地。
現代でいうインド南部。
燃え盛る世界。
黒き炎。
そして――。
一人の少年。
『……やはり』
バアルが低く呟く。
『記録は改竄されていない』
映像の中で少年は最後まで誰も憎まず、誰も裁かず、ただ一人で世界の終焉を背負っていた。
その姿を見つめるフェロも静かに息を呑む。
『これほどまでとは……』
法皇は言葉を失っていた。
「彼が……」
「世界を終わらせた者」
「そして、新たな世界を残した者……」
バアルは映像から目を離さない。
彼が見たかったのは事実だった。
自らの記憶が正しかったのか。
あの日、本当に何が起きたのか。
その答え。
『間違いない』
その瞳に宿るのは憎悪ではない。
確信だった。
『天城悠真』
『お前は“あの時”と同じ選択をするのか』
『それとも……』
『今度こそ、別の未来を選ぶのか』
世界の記憶はなおも静かに輝き続ける。
その光は、まだ訪れていない未来さえ見通しているかのようだった。
――
悠真たちは“まだ”知らない。
ローマ到着まで、あと二日。
――続く。
次話、「永遠の都」
※本作はカクヨム様と同時投稿を行っております。




