第39話 「強奪される少女。崩れゆく大国」
冬のアリゾナ砂漠。
乾いた夜風が、赤茶けた岩肌を吹き抜けていく。
その風が止み、ノアが少女に訊ねる。
「お嬢ちゃん、お名前を訊ねてもいいかい?」
少女が静かに一言答える。
「美月――劉美月」
それと、ほぼ同時。
静寂を切り裂くように、二つの魔力が激突する。
轟ッ――!!
朱紫と蒼銀が交じる衝撃波が砂を巻き上げ、数十メートル先の岩壁を粉砕した。
互いに数歩後退する。
ノアは深く息を吐き、正面の少女を見据えた。
「思った以上だ」
メイユは、乱れた前髪を払いながら静かに構え直す。
「あなたこそ」
「北米最強は伊達じゃない」
二人の肩には、それぞれ妖精が浮かんでいた。
蒼銀の髪をなびかせ、翼を広げる“レヴィ”。
そして朱紫の光を纏う“バアル”。
妖精同士もまた互いを見据える。
『……久しぶり』
レヴィが静かに口を開く。
『ああ』
バアルは妖しく微笑んだ。
『また会えたね』
その言葉が終わるより早く。
「行くぞ」
ノアが踏み込む。
爆発的な脚力。
砂漠の地面が弾け飛び、一瞬で間合いを詰める。
「蒼嵐脚!」
青銀の真空刃が一直線に走る。
だが。
「甘い」
メイユが片手を掲げた。
背後でバアルが翼を広げる。
『暴食』
雷光が朱紫の魔法陣へ吸い込まれ、その輝きが一瞬で消えた。
ノアの眉が僅かに動く。
「早速、精霊魔法か」
『はい』
バアルが笑う。
『私は喰らう者』
『あらゆる力を喰らい、返す者です』
次の瞬間。
朱紫色の魔法陣が反転した。
ドォォン!!
今度は先ほど吸収した刃が、そのままノアへ返される。
ノアは身を捻りながら回避するが、真空が軍服を裂いた。
「面白い」
ノアは口元を緩める。
『こちらも』
レヴィが静かに前へ出た。
『複製開始』
蒼銀の光がノアを包む。
直後、先ほど見た朱紫の魔法陣が、ノアの周囲にも展開された。
メイユの瞳が見開かれる。
「模倣……」
『私は映す者』
『一度見た術式なら再現できます』
蒼銀と朱紫。
二つの魔法陣が夜空を埋め尽くした。
轟音が何度も響く。
風。雷。炎。
衝撃波。
精霊魔法と現代魔法が入り乱れ、砂漠は一瞬で戦場へ変貌する。
しかし――徐々に均衡が崩れ始める。
「はあっ!」
ノアの銃剣がメイユの防壁を砕く。
積み上げられた特殊部隊としての戦闘技術。
現代魔法による超高度な身体強化。
戦場を支配する圧倒的な経験と判断力。
そのすべてにおいて、ノアが男が一枚上だった。
「くっ……!」
メイユは吹き飛ばされ、砂の上へ膝をつく。
肩で息をする。
呼吸が乱れる。
対してノアはまだ余力を残していた。
「勝負は見えた」
静かな宣告。
だが。
バアルが、小さく囁いた。
『まだ終わっていません』
「え?」
『あなたは今まで私の力を半分も使えていない』
その瞬間だった。
メイユの全身から深い紅黒紫の魔力が噴き上がる。
ゴォォォォッ!!
夜空を焦がすほどの巨大な魔法陣。
吸収してきた魔力が、一つへ収束していく。
ノアの表情が初めて変わった。
「魔力が……跳ね上がった」
レヴィも驚きを隠せない。
『契約が深まってる!』
メイユの瞳が朱に染まる。
「これが……」
バアルが微笑む。
『ようやく、私に届きましたね』
その一歩。
先ほどまで圧倒されていた少女の動きではない。
残像すら置き去りにする神速が、砂漠の夜を駆けた。
ドンッと、迎え撃つノアの肉体が不気味な質量を伴って岩壁へ叩きつけられる。
「っ……!」
だが、ノアの蒼い瞳は1ミリも揺れていなかった。
ノアは激痛を脳の別枠へパージする。
手元の魔導銃の残弾。
少女の魔力の減衰率。
そのすべてを、冷徹に逆算していた。
戦況は、一見して逆転し始めていた。
その時だった。
ノアのイヤーピースへ通信が飛び込む。
『こちら司令部!』
『緊急速報!』
『中国首席・周天平――』
『失脚!』
ノアの動きが止まる。
「……確定か」
『国内で政変が発生』
『周派は事実上瓦解しました』
『作戦第二段階は成功です』
通信が切れる。
ノアは静かに立ち上がると、真正面からメイユを見据えた。
「聞こえていたか」
メイユは答えない。
「君の後ろ盾はもういない」
「君たちは数時間で恐らく『存在しないもの』として処理される」
ノアの声は、砂漠の夜風よりも冷たかった。
「君がここで命を懸ける理由は、もう一ミリも存在しないんだ」
乾いた夜風が、二人の間を虚しく吹き抜けていく。
「お嬢ちゃん。大人の都合で使い潰されるのは、もう終わりにしないかい」
メイユは拳を強く握り締める。
その肩で、朱紫の妖精バアルも静かに目を閉じていた。
一万二〇〇〇年前の崩壊から、ずっと胸に燻り続けている冷たい執念。
主の失脚など、この精霊には最初からどうでもよかった。
少女は揺れ動く。
――
冷たい夜風が砂を巻き上げる中、二人の契約者は再び向かい合っていた。
ノア・ハミルトンは銃口を下げたまま、小さく息を吐く。
「……まだやるのか」
対するメイユは答えない。
その肩は、小刻みに震えていた。
周天平失脚。
その一報は、彼女の心を大きく揺さぶっていた。
「嘘……」
「そんなはず、ない……」
祖国のため。
国家の未来のため。
そう信じて契約を結び、この戦場へ立った。
その大義が、今まさに崩れようとしている。
『契約者』
肩の上のバアルが静かに囁く。
『集中』
「……っ」
「分かってる……」
そう答える声にも力がない。
魔力の流れが乱れている。
覚醒した精霊魔法が、壊れた歯車のように明滅する。
ノアはその様子を見つめ、ゆっくりと構えを解く。
「レヴィ」
『はい』
「もう勝負はついている」
「殺す必要はない」
『だね』
『あの子は、もう戦える状態ではないね』
ノアは静かに歩き出した。
一歩。
また一歩。
メイユとの距離を詰める。
「終わりだ」
「君はもう十分戦った」
「魔法陣を閉じろ」
「うるさい!」
叫びと同時に、朱紫色の魔法陣が展開される。
しかし。
術式は途中で崩壊した。
魔力が暴走し、砂漠の上で霧散していく。
「どうして……」
メイユは自分の手を見つめる。
「出ない……」
「さっきみたいに……」
ノアは静かに首を振った。
「精神が乱れている」
「精霊魔法は心を映すらしい」
「今の君では、本来の力は扱えない」
「黙れ!」
メイユは再び突撃する。
だが、その動きは先ほどまでとは比べものにならないほど単調だった。
ノアは最小限の動きで拳を受け流す。
肩を払う。
足を払う。
致命傷にならないよう、力を徹底的に抑えて。
まるで暴れる子どもを諭すように。
「落ち着け」
「まだ引き返せる」
「君は利用されただけだ」
「違う!」
拳が振るわれる。
ノアはそれを受け止める。
「祖国は!」
「私が守る!」
「なら祖国を見ろ」
ノアは静かに言った。
「今、君が守ろうとしているものは、本当に祖国か?」
その言葉に、メイユの動きが止まる。
「…………」
答えられない。
その隙を見て、ノアはゆっくり距離を取った。
「レヴィ」
『うん』
『あと少しだね』
『あの子自身が立ち直れば──』
その時だった。
『……失望しました』
低く、冷たい声。
バアルだった。
紅い妖精は、静かにメイユを見つめている。
『あなたは迷っています』
『契約者として、最もあってはならない状態です』
「違う……」
『違いますか?』
「私は……」
『力を使えない』
『戦えない』
『決断もできない』
バアルの声は次第に冷たさを増していく。
『その程度の覚悟で、私と共にするつもりですか?』
「やめて……」
『失望しました』
その瞬間。
紅黒紫の魔法陣がメイユの足元に広がった。
ノアの表情が変わる。
「レヴィ!」
『危険です!』
『契約の強制書き換えです!』
「何だと!」
「そんなことがっ!?」
バアルの身体が、不気味な黒紫の光となって弾けた。
その光条が、メイユの胸へと容赦なく突き刺さる。
構造を強制的に書き換える、絶望の輝き。
「きゃああああっ!!」
悲鳴が砂漠へ響く。
少女の身体が大きく反り返る。
瞳から光が消え、代わりに深い黒紫の紋様が浮かび上がる。
『止めます!』
レヴィが蒼銀の光を放つ。
契約術式へ干渉する。
ノアも一気に飛び込んだ。
「間に合え!」
蒼銀と黒紫。
二つの精霊魔法が激突する。
しかし――バアルは嗤った。
『遅い』
『契約とは、心を結ぶもの』
『心が砕けた今、この身体は私のもの』
「やめろ!」
ノアが手を伸ばす。
あと数センチ。
届く。
そう思った瞬間だった。
ドォォォン!!
黒紫の衝撃波が炸裂する。
ノアは爆風で吹き飛ばされ、砂の上を転がった。
「くっ……!」
砂煙が晴れる。
そこにはもう、泣き崩れていた少女の姿はなかった。
ゆっくりと立ち上がる。
その瞳には、人間らしい感情は一切残っていない。
紅黒く妖しく輝く双眸だけが、夜空を見上げていた。
『ようやく……自由です』
それは、メイユの声ではなかった。
バアル自身の声。
ノアは歯を食いしばる。
「最悪の展開だ……」
次の瞬間。
黒紫の魔力が夜空へ噴き上がる。
乗っ取られたメイユの身体は出づる月のように天空へ舞い上がる。
そのまま夜空の彼方へと消えていった。
砂漠には、静寂だけが残る。
レヴィは震える声で呟いた。
『……始まったかな』
『七柱が、自ら契約者を選ぶ時代ではなく……』
『七柱自身が、人を器として動く時代が』
ノアは伸ばしたままの右手を、力なく見つめた。
あと数センチ、指先が届かなかった。
人を救うために鍛えあげた肉体、磨いた技術。
だが組織の駒でしかない自分には、一人の少女すら救えない。
「これはもう、ただの国際紛争じゃない……」
ノアは拳を強く握りしめ──そして、諦めたように力を抜いた。
「俺たちはこれから、一体何のために戦えばいいんだ――」
――続く。
次話、「聖夜の頂上“決戦”。赤い警報」
※本作はカクヨム様と同時投稿を行っております。




