第37話 「新たな約束。音を立てて軋む世界」
夜明け前の日本公海上。
戦いの熱気だけを残し、海はゆっくりと静けさを取り戻していた。
アレクシスは苦笑いし、自ら捕縛を促すように両手を差し出す。
「いえ…あなたはまがりなりにも王室の方」
「必要ありません」
「あなたが約束を守っていただける限り」
「……私たちは約束を守ります」
その隣で、小さな妖精アジーも静かに頭を下げた。
『サラ』
『また戦場ではなく、違う場所で会える日を願っています』
サラは少しだけ寂しそうに笑う。
『ええ』
『次はお茶でも飲みながら、お話ししましょ』
アジーも柔らかく微笑み返す。
『それも悪くありませんね』
レイナは監察官端末を操作し、連合王国政府との外交回線を開いた。
「契約内容を確認します」
「アレクシス王子および契約の妖精アジーは、日本政府からの監視を受諾」
「連合王国へ帰国後も行動は定期的に報告していただきます」
アレクシスは迷いなく頷く。
「異議ありません」
直後、巨大な転移魔法陣が海上へ展開された。
黄金の光が二人を包み込む。
最後にアレクシスは悠真へ振り返る。
「天城悠真」
「次に会う時は……拳ではなく、言葉で競いたいものです」
悠真も小さく笑った。
「その方が、俺も助かります」
光が弾ける。
二人の姿は静かに消えていった。
――
数十分後。
首相官邸・地下危機管理センター。
戦後処理の手続きは、文字通り分刻みだった。
他国の王族を「国外で監視下に置く」という前代未聞の事態。
外務・法務省をも巻き込む超法規的措置。
俺たちは息を突く暇もなく、高井首相のもとへ呼び出されていた。
「敵勢力は撤退」
「簒奪者との交戦を終了」
「外務・法務両省への根回しも含め、我が方の作戦目標は完遂しました」
御園生と荒川の報告に、高井は静かに頷く。
「ご苦労様でした」
「外交問題へ発展させず、監察局の管轄内で収束できたのは皆さんのおかげです」
龍之介も敬礼する。
「SMA二師、虹野龍之介」
「諸兄官ご協力のもと、志願任務を完遂しました」
大泉は、真っ直ぐに龍之介を見据え、その逞しい肩に力強く手を置いた。
「春が、ますます楽しみだな」
その声音には、政治的な思惑など一切ない。
ただ、日本の未来を背負う若き防衛の要への、純粋な信頼だけが込められていた。
短い報告会は、厳かでありながらも、どこか温かい空気のまま終了した。
――
官邸を出る頃には、空はすっかり朝焼けに染まっていた。
冷たい冬の風が頬を撫でる。
一行は駅へ向かって並んで歩く。
「終わったなぁ……」
悠真が背伸びをする。
その肩へ、サラがふわりと降り立った。
『ねえ、悠真』
「ん?」
『どうしてなの?』
『アレクシスたちは敵だった』
『それでも、あなたは封印も討伐も選ばなかった』
悠真は少しだけ考え込む。
そして、朝焼けを見上げながら静かに口を開いた。
「あの過去を見せてもらったからさ」
一万二〇〇〇年前。
大きな戦争。文明の終焉。
そして、自ら悪となることを選んだ"もう一人の自分"。
「あの時代は、お互いが正しいって信じて戦ってた」
「だから、誰も止まれなかった」
サラは黙って聞いている。
「でも今は違う」
「俺たちは話せる」
「笑える」
「友達にだってなれる」
悠真は少し照れくさそうに笑った。
「だったらさ……」
「敵対して何かを奪い合うより、仲良くしておいた方が得だって」
「そう思ってもらえた方が、世界は少しだけ平和になるだろ?」
その言葉に、サラは目を丸くした。
『……ふふっ』
『やっぱり、悠真は悠真だね』
レイナも柔らかく微笑む。
「一万二〇〇〇年前の英雄?でも……」
「今の悠真くんは、悠真くんなんだね」
龍之介も苦笑した。
「世界を救う理屈が、それか」
「実にお前らしい」
四人は自然と笑い合う。
張り詰めていた空気が、ようやくほどけていった。
その時だった。
「あっ……」
レイナが何かを思い出したように立ち止まる。
「どうした?」
悠真が首を傾げる。
レイナは少しだけ視線を泳がせ、耳まで赤く染めた。
「あ、あの……」
「この前は、その……予行練習だった、でしょ?」
「え?」
「クリスマスの」
悠真はきょとんとした表情を浮かべる。
「だから、その……」
レイナは意を決したように悠真を見つめた。
「本番」
「私と一緒に行ってくれませんか?」
一瞬、時間が止まる。
サラは思わず口元を押さえ、にやりと笑う。
『ついに来た』
龍之介は咳払いを一つして、何も言わず少し距離を取った。
悠真だけが状況を理解しきれず瞬きを繰り返す。
「えっと……それって」
レイナは小さく微笑む。
「今度は予行練習じゃない」
「ちゃんとした、クリスマスデート」
冬の朝日に照らされながら。
新たな戦いではなく、新たな約束が――。
静かに結ばれようとしていた。
――
この衝突から数日後。
霧の都――ダウニング。
連合王国首相官邸、地下深く。
“誰も知らない”会議室。
分厚い防音扉が閉ざされた室内には、重苦しい沈黙が流れていた。
首相・ジア・スターマンは、無言のまま机を拳で叩いた。
「……まただ」
鈍い音が会議室に響く。
「また日本に煮え湯を――」
その声には、普段の冷静さはなかった。
「初陣で敗北」
「我々の威信は地に落ちたも同然だ」
隣では、第一王子アーサー・ウインザーが静かに紅茶を口へ運んでいた。
表情一つ変えない。
だが、その蒼い瞳だけが鋭く細められている。
「首相」
穏やかな声だった。
「感情で状況は変わりません」
「今必要なのは、次の一手です」
スターマンは深く息を吐く。
「……分かっている」
「だからこそ、彼を呼んだ」
モニターが点灯する。
映し出されたのは、中国首席・周天平。
数週間前まで強気だった男の面影は薄い。
疲弊した顔色。
目の下には濃い隈が刻まれていた。
「周首席」
アーサーは穏やかな笑みを浮かべる。
「ご機嫌よう」
その優しげな口調とは裏腹に、周の肩がぴくりと震えた。
スターマンは開口一番、容赦なく切り込む。
「我が国の情報部は把握済みだ」
「貴国にも、妖精が顕現している」
その一言で、周の表情が強張った。
「ま、待ってください……」
「まだ“それ”は安定していません」
「だから伏せていたのです」
「言い訳だ」
スターマンは冷たく言い放つ。
「今や、日本だけではない」
「米国にも契約者が現れた」
「欧州にも“まだ”いる」
「ならば中国だけが隠し続ける理由はない」
静かにアーサーが言葉を継ぐ。
「北米も同様です」
「日本を取り込めないのであれば、他に方法はいくらでもあるでしょう」
周は唇を噛む。
「……つまり、我が国の手札を動かし、米国を巻き込めと」
「その通りです」
アーサーは微笑んだ。
どこまでも穏やかに。
どこまでも冷徹に。
「本来なら秘匿したままの拡大が理想でした。ですが――」
アーサーの笑みが、僅かに深まる。
「この際、戦力拡大は一刻でも早く」
会議室に静寂が落ちた。
長い沈黙の末。
周は小さく息を吐き、力なく頷く。
「……分かりました。私が責任を持ち、米国を動かします」
その言葉に、ジアはようやく満足げに椅子へ背を預けた。
「期待しているよ、周首席」
通信は切断された。
モニターが暗転する。
――
数分後。
周の会議室に扉を開く音が静かに響く。
「失礼します」
入室したのは、中国MSS部長。
その後ろには、一人の少女が立っていた。
年の頃はどうみても、小学生程度。
美しい黒髪。
切れ長の眼。
表情には感情らしい感情が見当たらない。
そして、その右肩には――。
淡い朱紫色の光を纏った、小さな妖精が静かに腰掛けていた。
独特の気配はもはや妖精個人の気質であった。
古く、重く、どこか底知れない魔力。
部長がゆっくりと口を開く。
「紹介します」
「我々が保有する契約者です」
少女は静かに一礼した。
「我らが周首席。命令を――」
その一言だけ。
周は少女の肩の妖精を見つめ、静かに口を開く。
「時が来た」
「どんな方法でも構わない」
「米国から――」
窓の外に広がる夜空を見据えながら、静かに命じる。
「"お友達"を連れてきなさい」
妖精はゆっくりと目を開き、不敵に微笑んだ。
『承知しました』
『新たな契約者との出会いを、楽しみにしております』
その声は穏やかだった。
だが、その奥底には、“あの時”から続く執念にも似た感情が宿っていた。
その夜。中国は、米国への工作を本格的に開始する。
牙を剥く二つの超大国。
人類の与り知らぬ暗闇で――。
世界の均衡が、誰も気づかぬうちに、音を立てて軋み始めていた。
――続く。
次話、「約束の聖夜。血の聖夜」
※本作はカクヨム様と同時投稿を行っております。




