第34話 「万華鏡の中の戦場。世界の均衡」
短い沈黙が、海を支配していた。
日本公海。
SMA第一海上演習区域。
静まり返る夜の海。
幾重にも展開された青白い結界だけが、波間に淡い光を落としている。
その中央。
海面へ静かに降り立つ一人の青年。
対するは、日本。
最前列には悠真、レイナ、龍之介。
その後方にはレイナ直属の監察官部隊。
自衛隊二十名。
海上護衛艦の魔導砲が狙いを定め、上空には無人魔導機群が息を潜める。
互いに一歩も動かない。
風だけが海面を撫でていく。
やがてアレクシスが穏やかに口を開いた。
「素晴らしい布陣です」
「日本は本当に本気なのですね」
龍之介が二本の魔導短剣を構える。
「歓迎会だ」
「遠慮なく楽しんで帰れ」
アレクシスは苦笑いした。
「では、お言葉に甘えましょう」
その右手が静かに持ち上がる。
瞬間。
蒼い現代魔法陣が幾何学模様のように幾重にも展開された。
同時にアジーが羽をゆっくり広げる。
『精霊魔導――』
『幻想領域』
その囁きと同時だった。
世界が歪む。
海面が空へ。
夜空が海底へ。
重力さえ上下を失い、演習場全体が巨大な万華鏡へ飲み込まれていく。
「なっ……!」
SMA隊員の一人が思わず声を上げた。
レーダーが乱れる。
味方識別信号が消失。
結界座標が数秒ごとに書き換わっていく。
「演算が追いつかない!」
「座標固定不能!」
「敵位置をロスト!」
現代魔法ではあり得ない。
視覚だけではない。
聴覚……魔力感知。
《メーティス》による演算そのものへ干渉している。
レイナが即座に指示を飛ばした。
「慌てない!」
「各班、結界アンカーを固定!」
「魔力ではなく物理座標を基準に再演算!」
「了解!」
黄金の魔法陣が幾重にも展開され、監察官部隊が結界を再構築していく。
その隙を逃さない。
アレクシスはさらに一歩踏み出した。
「重力圧縮」
蒼い魔法陣が海面へ沈む。
次の瞬間。
ドゴォォォォン!!
海そのものが押し潰された。
海上の結界アンカーが、過負荷で爆発四散する。
幾本もの巨大な水柱が噴き上がった。
激しい衝撃波が演習区域全体を揺らす。
「迎撃!」
龍之介が駆けた。
《雷迅》。
黄金の雷が一直線に海面を裂く。
しかし。
アレクシスは動かない。
いや――。
動いているはずなのに見えない。
「残像……?」
龍之介の刃は空を切った。
「違う」
悠真が低く呟く。
「あれは視界そのものを書き換えられてる」
肩の上のサラが険しい表情を浮かべた。
『アジー……』
『一万年前より幻惑が上手になったね』
黒銀の妖精は静かに微笑む。
『あなたこそ』
『ようやく契約者を見つけられたのですね、アプサラス』
その会話を聞いた悠真は息を呑む。
敵意だけではない。
どこか旧友同士が語り合うような響きがあった。
だが次の瞬間。
アジーの瞳が淡く輝く。
『精霊魔導――』
『幻界投影』
演習場の景色が一変した。
敵が百人。
いや、千人。
無数のアレクシスが海上へ現れる。
「あれ全部本物か!?」
SMA隊員たちが一斉に迎撃魔法を放つ。
無数の光条が海を埋め尽くす。
だが、そのほとんどが幻影を貫くだけだった。
「落ち着いて!」
レイナが叫ぶ。
「撃たない!」
「魔力を消耗させるのが狙いよ!」
隊員たちがようやく攻撃を止める。
その瞬間だった。
悠真が一歩前へ出る。
黒炎が静かに右腕へ宿る。
「サラ」
『うん』
「幻は焼けない」
「でも――」
悠真の瞳が黒く染まる。
「本物だけは、焼ける」
黒炎が一直線に海上を駆け抜けた。
幻影という幻影をすり抜け。
たった一人。
本物のアレクシスだけを捉える。
アレクシスの頬を、黒い炎の熱線がかすめた。
その穏やかな微笑みが、凍りつく。
「……っ、天城、お前今、あの幻惑の中で本物を狙い撃ちしたのか!?」
龍之介が驚愕に目を見開く。
護衛艦のブリッジから、爆発的な歓声が上がった。
現代魔法をあざ笑った連合王国の王太子。
その顔から、余裕の微笑みが完全に消えていた。
じっとりと冷や汗を流し、凍りついた目で俺を睨みつけている。
「……見抜きますか」
その一瞬の隙を、日本側は見逃さなかった。
「今です!」
レイナの号令が響く。
海上へ展開されていた巨大結界が一斉に閉じる。
ゴォォォォン!!
幾重もの結界が檻のように重なり、アレクシスを演習区域の中央へ封じ込める。
護衛艦の魔導砲が一斉に旋回。
SMA全隊が包囲陣形を完成させた。
荒川司令官の声が指揮回線へ響く。
『全隊、計画通りだ。敵を演習区域内へ誘導することに成功した』
『ここからが、日本の反撃だ!!』
荒川司令官の激しい咆哮が、通信回線を震わせた。
――
――時は少し遡る。
日本近海にアレクシスたちが姿を現す、およそ数時間前。
米国・ワシントンDC。
大統領府・地下危機管理室。
厳重な警備を抜けた先にある会議室には、二人だけが向かい合っていた。
一人はアメリカ大統領、ドナルド・キング。
もう一人はCIA長官、リチャード・クロフォード。
卓上モニターが映し出す。
日本で観測された黒炎の戦闘記録。
欧州で確認された新たな精霊反応。
静寂を破ったのはドナルドだった。
「連合王国が動いたな」
リチャードは短く頷く。
「確認済みです」
「七柱の一柱と思われる妖精と、その契約者が欧州に現れています」
ドナルドは腕を組み、深く息を吐いた。
「……これで、日本、欧州で2つ、そして私たち」
「少なくとも四陣営が精霊魔法を保有したことになる」
「ええ」
リチャードは淡々と続ける。
「勢力均衡は完全に崩れました」
「今後は精霊魔法が世界戦略の中心になります」
数秒の沈黙。
やがてドナルドは静かに口を開いた。
「日本には伝えておこう」
リチャードの眉がわずかに動く。
「大統領」
ドナルドはそのまま続ける。
「我々にも契約者が現れた以上、情報は共有すべきだ」
「高井首相とは約束した」
「精霊魔法は一国で抱え込むには危険すぎる」
しかし、リチャードは首を横に振った。
「反対です」
「理由は?」
「国益です」
その一言だけだった。
「日本はすでに天城悠真という圧倒的戦力を保有しています」
「個人の武力でありながら、大国の師団規模に匹敵する特異点」
「さらに欧州も契約者を得た」
「この状況で我々の手札まで明かす理由はありません」
ドナルドは真っ直ぐ長官を見据える。
「世界の均衡より国益を優先すると?」
「当然です」
リチャードは一切迷わなかった。
「CIAは国家の利益を守る組織です」
「理想では国家は守れません」
「必要なのは抑止力です」
ドナルドは小さくため息をつく。
「あなたらしい答えだ」
「ですが大統領」
リチャードの声は低くなる。
「もし欧州と日本が手を結び、我が国だけが取り残されたら?」
「その時、責任を負うのは誰ですか」
問い返されても、ドナルドは表情を変えなかった。
「だからこそ、私は信頼を積み重ねたい」
「恐怖で築いた均衡は、必ず崩れる」
「……それがあなたの政治ですか」
「ああ」
「そして、それがあなたには理解できない」
二人の視線が交差する。
互いに一歩も譲らない。
結局、その議論に結論は出なかった。
リチャードは静かに席を立つ。
「では最後に」
「紹介したい人物がおります」
会議室の扉が開く。
ゆっくりと一人の青年が入室した。
二十代前半。
短く整えられた金髪。
軍人らしい引き締まった体躯。
その制服には北米CAG・魔導戦術群軍最高位を示す紋章が刻まれている。
「コードネーム《イーグル・ワン》」
「本名、ノア・ハミルトン少佐です」
青年は静かに敬礼した。
「大統領」
そして、その肩へ小さな光が舞い降りる。
蒼銀色の長髪。
六枚の透き通る翼。
星条の光をまとった瞳を持つ、一人の妖精。
ドナルドは思わず息を呑んだ。
「……本当に」
「ええ」
リチャードは静かに頷く。
「北米にも、七柱の契約者が顕現しました」
妖精は何も語らない。
ただ静かに窓の外――遥か東、日本のある方角を見つめていた。
まるで、一万年越しの再会を待ち望むかのように。
あるいは――今度こそ、その息の根を止めてやるというように。
――続く。
次話、「守護の神々、降臨。悠久の想い」
※本作はカクヨム様と同時投稿を行っております。




