第31話 「はじめての冬。極東を狙う獅子の影」
その週末――。
二人は約束通り、クリスマス一色の街で待ち合わせることにしていた。
駅前には巨大なツリー。
人々は楽しそうに買い物袋を抱えて歩いている。
その光景を眺めながら、俺は少しだけ緊張していた。
「……待たせた?」
振り返る。
そこには、白いコートに身を包んだレイナが立っていた。
制服姿とは違う私服。
淡いベージュのマフラーを首に巻き、
いつもより少しだけ柔らかな雰囲気を纏っている。
「いや、俺も今来たところ」
「そう」
レイナは小さく笑った。
「じゃあ、行こうか」
今日の目的地は、新東京スカイツリー。
正確には、その足元にある『新すみだ水族館』だった。
――
「かわいい……」
最初に声を上げたのはレイナだった。
大きな水槽の中を、何匹ものペンギンが自由気ままに泳ぎ回っている。
「見て、悠真くん!」
「あの子、転んだ!」
陸に上がった一羽が盛大に滑って転び、周囲の子どもたちが笑い声を上げる。
普段の冷静沈着な監察官はどこへ行ったのか。
レイナは子どもと変わらない笑顔でその様子を眺めていた。
「そんなに好きなんだ」
「うん」
「かわいいものには弱いの」
少し照れ臭そうに笑う。
意外な趣味を知れたことも相まってその笑顔に、思わず見惚れてしまった。
「……どうしたの?」
「いや」
「監察官の時と全然違うなって」
レイナは少しだけ頬を膨らませた。
「今日はお休みだから」
「神代レイナ」
「普通の高校一年生です」
その言葉に、また自然と笑みがこぼれた。
――
続いて訪れたのは、プラネタリウム。
館内が暗転し、満天の星空が頭上いっぱいに広がる。
「きれい……」
レイナが小さく呟く。
冬の大三角。
オリオン座。
流れ星。
静かなナレーションだけが館内へ響く。
隣を見ると、レイナは星空を見上げたまま目を輝かせていた。
肩が少しだけ触れる。
ほんの数センチ。
それだけなのに、不思議なくらい心臓が速くなる。
「……ねぇ」
「うん?」
「――悠真」
不意に、名前を呼び捨てにされた。
驚いて隣を見る。
レイナは星空を見つめたままだ。
だが、その耳が真っ赤に染まっている。
「あ、ごめんなさい……!」
レイナは慌ててマフラーへ顔を埋めた。
「暗くて、その……幼馴染といるみたいに錯覚しちゃって……」
「いや、別に怒ってないけど」
「……忘れて」
そう呟く彼女の声は、暗闇の中で小さく震えていた。
「……平和だね」
その一言に、俺は静かに頷いた。
「ああ」
「こういう日が続けばいいのにな」
レイナは何も答えなかった。
代わりに、そっと笑った。
――
夕暮れ。
二人は東京スカイツリー最上階の展望台へ上がっていた。
眼下には、冬の東京。
夕焼けから夜景へ変わっていく街並み。
「すごい……」
レイナはガラス越しに街を見下ろす。
「こんな景色、初めて」
「俺も何回見ても飽きないよ」
「何回も来たことあるの?」
「あるよ」
俺は何気なく答えた。
「このタワー」
「父さんの会社が施工したから」
「……え?」
レイナがゆっくり振り向く。
「天城建設」
「俺んち」
「…………」
一瞬、時が止まった。
え?
え?
お互いに見つめ合う。
俺は首をかしげた。
「だから、小さい頃から現場で手伝ってたんだ」
「資材運んだり、鉄骨登ったり、コンクリート流したり」
「……ちょっと待って、悠真」
(あっ……!)
(また、思わず……っ)
悠真は、レイナの小さな動揺に気づく様子もない。
ただ無防備に、次の言葉を待っている。
(もう……)
「……ちょっと待って、悠真くん」
レイナは小さく咳払いをして、俺の手のひらを見た。
「建築資材の鉄骨の重さって……」
「魔法で例えたら《身体強化》を三重要求される重量よ?」
「それを素手で……?」
「え? いや……」
「一緒に働く爺ちゃんに『魔法に頼るな、腰を入れろ』って言われてたから」
「なるほど――」
運動神経が異常なのはそういう……。
いや、そういうレベルじゃない。脳筋の次元が違う。
レイナは異世界の怪物を見るような目で、静かに納得した。
しかし。
「…………」
少しだけジト目になった。
「どうした?」
「悠真くん?」
「うん?」
「今」
「すごくいい雰囲気だったんだけど」
「そうなの?」
「そうなの」
レイナは額に手を当て、大きくため息をついた。
「普通、ここでそんな話する?」
「え?」
「もっとこう……」
「夜景が綺麗だね、とか――」
「また一緒に来たいね、とか――」
「そういう流れじゃない?」
「……あ」
言われて初めて気付いた。
「ごめん」
「いや」
レイナは思わず吹き出した。
「悠真くんらしいかな」
二人で顔を見合わせ、笑う。
その笑い声は冬の夜景へ溶けていった。
――
帰り道。
イルミネーションに照らされた歩道を並んで歩く。
レイナは小さく息を吐いた。
(今日、一番話せた)
(学校でも、任務でもない)
(ただ二人で。)
少しだけ胸が温かい。
他のみんなには悪いけれど。
今日は、自分だけが悠真との時間を過ごせた。
そんな小さな優越感が、心の中で静かに灯っていた。
――
その時だった。
道路の向かい側。
黒いロングコートの男が、二人を静かに見つめていた。
帽子を深く被り、その表情は見えない。
男は胸元の通信機へ小さく囁く。
「目標を確認。契約者と監察官」
「予定通り監視を継続する」
数瞬のザザッというノイズ。
そして通信機の奥から、気品に満ちた冷徹な男の声が返ってきた。
『よろしい。泳がせておけ』
『極東からの極上のクリスマスプレゼントは、我々が頂戴する』
プツリ、と通信が切れる。
男は何事もなかったように人混みへ紛れていった。
その背中を、悠真もレイナも知る由はない。
だが――。
二人の穏やかな時間は、再び世界の思惑に飲み込まれようとしていた。
――続く。
次話、「獅子が従える妖精」
※本作はカクヨム様と同時投稿を行っております。




