第30話 「雪待ちの日常。霧の都の策謀」
あの日から、一か月。
窓の外を吹き抜ける風はすっかり冷たくなった。
十二月。街はかなりクリスマスの装いへ姿を変えた。
そして俺も――ようやく日常へ戻ってきた。
「悠真、おはよう!」
教室へ入った瞬間、廉太郎がいつもの調子で肩を叩いてくる。
「病み上がりなんだから無理すんなよ!」
「もう大丈夫だって」
自然と笑みがこぼれる。
その笑顔を見て、廉太郎も心から安心したように笑い返した。
「その顔なら安心だ」
窓際ではレイナが静かに本を閉じる。
俺と目が合うと、ほんの少しだけ表情を緩めた。
「おはよう、悠真くん」
「おはよ!」
以前と変わらないやり取り。
それが今は何より嬉しかった。
あの夢を見てから、俺の中で何かが変わった。
サラがどれほど長い時間を一人で生きてきたのか。
その孤独を知った今、以前のように軽口を叩くだけでは済まされない。
だからこそ、俺は今、この平穏を大切にしたかった。
俺の肩へ小さな妖精がふわりと舞い降りる。
『悠真ー』
『ぼーっとしてる』
「考え事」
『また難しいこと?』
「いや」
「今日が普通の日で良かったなって」
サラは一瞬だけ優しく笑った。
その姿は俺含め数人にしか見えない。
教室では、レイナがサラの存在を知っている。
救出作戦の際、二人はサラを目の当たりにした。
だからこそ俺は、退院後すぐに二人へお願いした。
「学校では、サラのことは秘密にしてほしい」
レイナは理由を聞かなかった。
「もちろん」
「彼女も、仲間だからね」
龍之介先輩も賛同してくれていた。
『俺たちだけの秘密だ』と。
その言葉が嬉しかった。
サラも照れくさそうに頭を下げていた。
――
昼休み。
教室は妙な熱気に包まれていた。
「今年のクリスマスどうする?」
「イルミネーション行く?」
「彼氏いる?」
「えー! 誘われたんだけど!」
話題は一つ――クリスマス。
教室中が恋愛一色だった。
「アオハルしとるねぇ……」
廉太郎がパンをかじりながら恨めしそうにする。
「俺? 予定? もちろんゼロ!」
「威張ることじゃないだろ」
二人で笑っていると、女子たちの視線が一斉にこちらへ向いた。
「天城君って予定あるの?」
「え?」
「ないけど」
「ほんと?」
なぜか教室がざわつく。
その様子を見ていたレイナは、本から目を離し、小さくため息をついた。
(……最近、人気なんですね)
体育祭。
龍之介との組手。
そして誘拐事件。
本人は知らないが、悠真の評価は学内でも大きく変わっていた。
以前のように距離を置く者もいる。
だが、それ以上に彼へ興味を持つ生徒が増えていた。
その事実に、レイナの胸は少しだけざわつく。
(私は監察官)
(冷静でいなければ)
そう言い聞かせる。
けれど――心は思うように割り切れなかった。
――
放課後。
映画制作委員会の活動を終え、部室を片付けていると、
レイナが少し緊張した様子で俺の前へ立った。
「悠真くん」
「ん?」
「一つ……お願いがあります」
「なに、急にあらたまって」
彼女は一度だけ深呼吸した。
「その……」
「クリスマス前に、一度だけ街へ付き合っていただけませんか?」
「街?」
「そう」
「えっと……」
レイナは少しだけ頬を赤くする。
「監察官にも、社交訓練があります」
「クリスマス期間は警備任務も増えます」
「恋人同士の行動心理を知っておくことも必要で……」
途中から自分でも苦しい言い訳だと思ったのか、小さく咳払いをした。
「つまり」
「デートの予行演習です」
一瞬、部室が静まり返る。
「……え?」
俺が固まる。
サラが俺の肩の上で、くすっと笑った。
(ちょっと悠真! 監察官の社交訓練にそんなのあるわけないじゃん……!)
(この子、絶対悠真のこと――)
一万二千年前の精霊女王としての記憶が、ニヤニヤとした妖精の悪戯心に変わる。
『ゆうまー!!』
『顔、真っ赤ー!!』
「うるさい」
レイナも耳まで赤くなっていた。
「もちろん……訓練ですので……」
「それ以上の意味はありません」
俺は思わず笑ってしまう。
「分かりました」
「俺で良ければ」
その返事を聞いた瞬間。
レイナは安心したように小さく微笑んだ。
「ありがと。悠真くん」
冬の夕日が校舎を赤く染める。
クリスマスまで、あと数日。
この時は誰も知らなかった。
この穏やかな時間が、二人にとって忘れられない思い出の始まりになることを。
そして、その幸せな時間の裏で、
新たな脅威が静かに動き始めていた――。
――
時間は少し遡る。
悠真たちが穏やかな時間を謳歌する、その数日前。
冬の冷たい雨が石畳を濡らしていた。
連合王国。霧の都、ダウニング十番地。
表向きは歴史保存地区として登録され、多くの観光客で賑わうその一角。
一切の観光案内にも記されていない重厚な石造りの建物がある。
建物の外壁には、一枚の大きな旗。
青白赤の三重十字旗。
その中央には、黄金の獅子が威厳を示すように描かれていた。
連合王国・首相官邸。
世界中の外交官が、その存在を知りながらも決して口にしない場所。
その地下会議室へ、一人の男が静かに足を踏み入れる。
中国首席。“周天平”。
数名の護衛を従えながらも、その足取りは重かった。
分厚い扉が閉まる。
室内は静寂に包まれていた。
真円を描く会議卓。
その奥には二人の人物が待っている。
一人は、白髪交じりの壮年の男。
連合王国・首相。ジア・スターマン。
鋭い灰色の瞳が、獲物を見据える猛禽のように周を射抜いていた。
そして、その隣。
三十代前半ほどの金髪の青年。
端正な顔立ちに、王族特有の気品を漂わせる男。
王室・第一王位継承者。王太子アーサー・ウインザー。
周は静かに一礼した。
「お招きいただき光栄です」
返事はなかった。
代わりに、スターマンが机を軽く叩く。
「座ってくれ」
短く、それだけ。
周は無言で椅子へ腰を下ろした。
沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは、スターマンだった。
「……で?」
低く響く声。
「何だ、この体たらくは?」
空気が一気に凍りつく。
周は視線を伏せた。
「日本への工作」
「精霊魔法の確保」
「アズライルとの連携強化」
「どれ一つ成功していない」
スターマンは資料を机へ放り投げた。
「挙げ句の果てには、体育祭襲撃まで派手に失敗」
「君は、我々を失望させ続けている」
周の拳がわずかに震える。
しかし反論はしない、できなかった。
その様子を見たアーサーが、小さく笑う。
「首相」
「少し言い過ぎですよ」
「失敗は誰にでもあります」
柔らかな物腰、穏やかな口調。
だが、その笑顔の奥には、底知れない冷たさがあった。
スターマンは鼻で笑う。
「甘いです。殿下」
「政治に失敗は許されん」
スターマンの鋭い視線が周へと戻る。
「我が国の莫大な経済支援――」
「それがなければ、君の席などとうにない」
「数年前の政変で、周首席。君は消え去っていたのだぞ」
その言葉に、周は唇を噛みしめるしかなかった。
表向きは対等な同盟。
中国主導のような世論誘導も発動させてはいる。
だが、実態は違う。
中国は、連合王国の意向なくして動けない。
大きな外交判断すら、下せなかった。
世界は誰も知らない。
だが、この地下会議室では違う。
誰もが、その残酷な主従関係を共有していた。
スターマンが静かに指を組む。
「だからこそ」
「君には働いてもらわねば困る」
アーサーも穏やかに頷く。
「私たちは敵ではありません」
「目的は一つです」
彼は壁に掲げられた、“獅子”の紋章を見上げた。
「欧州が再び世界の中心となること」
「それこそが数百年にわたる我々の悲願です」
その声音には迷いがなかった。
誇りでもない、野望でもない。
それは、使命として刷り込まれた信念だった。
スターマンは静かに続ける。
「米国は力で世界をまとめようとする」
「極東は多様性を掲げる」
「貴国は秩序を唱える」
「だが」
彼の瞳が鋭く光る。
「世界を統べる資格があるのは、文明を築き上げた欧州だけだ」
周は無言のまま聞いていた。
その胸中には、屈辱と焦燥が渦巻いている。
だが今は耐えるしかない。
スターマンは一枚の資料を周の前へ滑らせた。
そこには、一人の少年の写真があった。
“天城悠真”
スターマンの灰色の瞳が動く。
写真に写る、少年の右腕。
そこを、睨め付けるように見つめた。
(服の奥に隠された、あの漆黒の古代文字……)
(それこそが、我が国が数百年追い求めた鍵だ)
その瞳には、狂気にも似た確信が宿っていた。
「超古代精霊魔法」
「世界秩序を書き換える力だ」
「日本に持たせるには危険すぎる」
アーサーも静かに微笑んだ。
「ですから、彼は我々が保護します」
その言葉に、周は初めて顔を上げた。
「保護……ですか」
スターマンは冷たく笑う。
「言葉はいくらでも飾れる」
「支配でも」
「征服でも」
「管理でも……な」
会議室に重苦しい沈黙が落ちる。
その誰も知らない場所で、新たな策謀が静かに動き始めていた。
その標的はただ――。
――続く。
次話、「はじめての冬。極東を狙う獅子」
※本作はカクヨム様と同時投稿を行っております。




