第28話 「精霊女王“アプサラス”。そして星焔」
気が付けば俺は、見覚えのある丘の上へ立っていた。
草原の中央。
天を突くようにそびえる巨大な石碑。
――あの石碑だ。
富士演習場で、俺が初めてサラと出会った場所。
一万と二千年後、たった三メートルほどの姿ではあったが。
確かに、“そこ”に存在していた。
「ここが……始まり」
思わず呟く。
石碑の前には三人の姿があった。
翡翠色の髪を揺らす少女――サラ。
俺と同じ年頃の、俺によく似た少年。
そして、その二人を静かに見守る一人の女性。
白銀の衣が風に揺れる。
その人が立っているだけで、この場所全体が神域へ変わったようだった。
誰よりも美しく。
誰よりも儚い。
誰よりも孤独そうだった。
三人はしばらく石碑を見上げたまま、誰も口を開かなかった。
やがて女性が、小さく息をつく。
「……もう、限界なのでしょう」
穏やかな声だった。
だが、その言葉には数え切れない年月の重みが滲んでいる。
「わらわの力では、もう戦は終わらせられぬ」
サラが肩を震わせた。
「アプサラス様……」
女性は静かに首を横へ振る。
「戦どころか」
「留まることを知らぬ人の欲」
「果てを忘れた強欲」
「そのすべてを、もはや止めることはできぬ」
遠くの空を見上げる。
その視線の先では、黒煙が幾筋も立ち上っていた。
とても巨大な戦争――。
この世界は、すでに崩壊の淵に立っている。
「人は豊かになりました」
「知識も」
「技術も」
「魔法も」
「ですが」
その声だけが、少し悲しくなる。
「心だけは、豊かになれませんでした」
風が吹く。
誰も言葉を返せない。
その沈黙を破ったのは、サラだった。
「そんなことありません!」
初めて大きな声を上げる。
「まだ終われません!」
「まだ皆を助けられます!」
「だから……!」
涙をこらえながら女性へ駆け寄った。
「精霊女王様!」
その呼び名に、女性は優しく微笑む。
「いいえ」
静かな声だった。
「今日から」
「その名は、あなたのものです」
サラが息を呑んだ。
「……え」
女性はゆっくりとサラの前へ歩み寄る。
愛おしそうに、その頬へ優しく触れた。
「今日より、そなたが精霊女王」
「わらわの名を継ぎなさい」
「え……で、でも私には……」
「できません!」
「私は、まだ何も――」
「できます」
女性は迷いなく言い切った。
「あなたなら」
「わらわよりも」
「もっと優しい世界を築ける」
その瞬間だった。
石碑が震えた。
ゴォォォォォ……。
地鳴りが響く。
大地の底から莫大な魔力が噴き上がり、空そのものが黒く染まり始める。
世界中から無数の光が集まってくる。
青、白、翠、金、紅――数え切れない色彩。
それらはすべて石碑へ吸い込まれ――。
最後に。
一筋の黒い光が生まれた。
炎ではない、光だ。
夜空よりも深い黒。
それでいて、不思議なほど温かい。
俺は思わず息を呑んだ。
「黒い……光」
見覚えがある。
あれは、俺が精霊魔法を使う時に現れる力。
《星焔》
女性はその黒い光へ手を伸ばした。
「受け継ぎなさい」
「希望も。絶望も」
「願いも。“罪”も」
「すべてを」
黒い光が静かにサラの胸へ吸い込まれていく。
その瞬間だった。
バチチチチッ!!!
傍観者であるはずの俺の右腕が、その光に猛烈に呼応した。
腕に浮かび上がる古代文字が勝手に駆動し、漆黒の火花を爆発させる。
空間を焼き切るような強烈な共鳴感。
ただの過去の記憶のはずなのに――
俺の魂の根源が、その黒い光と直接繋がっていた。
光の中で、少女の身体が柔らかな翡翠色の光に包まれる。
長い髪が風に舞い、背中から小さな光が溢れ出た。
やがてそれは形を持ち――
一対の透き通る翡翠色の羽となって広がった。
「……! 」
サラ自身も驚いたように背中を見つめる。
女性は満足そうに頷いた。
「これでよい」
「今、この時より……」
「新たな精霊女王が誕生した」
その声と同時に、石碑へ無数の古代文字が浮かび上がる。
女性はゆっくり振り返り、今度はあの少年へ視線を向けた。
その瞳だけが、少しだけ寂しそうだった。
女性の唇が穏やかに動く。
少年の名前を呼んだはずだった。
その時、ふと気づく。
ザザッ……。
世界に猛烈なノイズが走る。
激しい耳鳴りが、俺の脳を刺した。
「……っ!」
口は確かに動いている。
それなのに、少年の名前が聞こえない。
まるで、世界の理に消去されたかのように。
ただの無音だけが、そこにあった。
女性は穏やかに微笑む。
「アプサラスを……頼みましたよ」
「この戦は」
「どちらも勝ってはなりません」
「終わらせるのです」
少年は何も言わず、小さく頷いた。
その横顔を見た瞬間、胸が、締め付けられるように苦しくなる。
……涙が、込み上げてくる。
理由なんて分からない。俺は、この少年を知らないはずなのに。
それなのに、どうしてこんなにも懐かしいんだ。
石碑の黒い光が、静かに三人を包み込んでいく。
そして世界は再び、大きく揺れ始めた。
次の瞬間――俺は“サラ”の隣に立っていた。
一万二千年の時を超え、俺を待っていた妖精のサラか。
それとも、あの滅びゆくムーの都にいた、あの少女の隣か――。
――続く。
次話、「終わる世界。再起動する物語」
<終焉を望んだ少年、その隣には>
※本作はカクヨム様と同時投稿を行っております。




