第22話 「悪意の妖精」
冷たい雫が、額へ落ちた。
ぽたり。
ぽたり。
その感触で、悠真はゆっくりと瞼を開いた。
薄暗い石造りの天井。
鼻を突く湿気と鉄錆の匂い。
手足には鈍い痛みが残っていた。
「……ここは」
身体を起こそうとした瞬間。
重い金属音が響く。
ガシャン。
両手首には鈍色の枷。
足元にも同じ材質の拘束具。
それらは床に固定されている。
周囲を見渡す。
地下牢のような石室。
壁一面には見たこともない魔法文字が刻まれ。
淡い翡翠色の光を放ちながら。
ゆっくりと脈動していた。
『悠真……』
肩の上から聞こえるはずのサラの声が、どこか弱々しい。
見ると、小さな身体を抱えるように膝をつき、苦しそうに呼吸していた。
「サラ! 平気か!?」
『平気……じゃないかも』
彼女は壁を見つめたまま震えている。
『この術式……嫌な感じがする』
その時、重い扉が軋みを上げて開いた。
駱駝色の戦闘服をまとった男たちが四人。
その中央に、一人の女が立つ。
仮面で顔を隠し、淡々とした口調で告げた。
「天城悠真。尋問を開始する」
「所属」
「精霊魔法の発現条件」
「妖精との契約方法」
矢継ぎ早に質問が飛ぶ。
悠真は静かに口を閉ざした。
「答えるつもりはない」
「そう」
女は肩を竦める。
「なら、答えたくなるようにするしか」
男たちが一歩前へ出た。
悠真は静かに息を吸う。
(黒炎なら……)
右手へ意識を集中させる。
いつもなら瞬時に応えてくれる星焔。
しかし――何も起こらない。
「……な?」
もう一度。
今度は現代魔法。
「火炎術式!」
沈黙。魔法陣すら現れない。
種火の一粒すら生まれず。
ただ自分の放った魔力が。
壁の翡翠色の文字に「吸い込まれるように」無へ還元されていく。
コードのエラーを強制終了されたかのような――
完璧な拒絶。沈黙。
悠真の顔から血の気が引いた。
「嘘だろ……」
魔力は感じる。確かに体内には存在している。
それなのに、一切発動できない。
『悠真……』
サラも目を見開いていた。
『あたしも……精霊魔法へ繋がれない』
彼女は震える指で床へ刻まれた術式へ触れる。
その瞬間、小さく息を呑んだ。
『これ……ただの封印術式じゃない』
「え?」
『精霊術式』
悠真が目を見開く。
『でも、おかしい』
『こんなの……あり得ないよ』
サラの顔が青ざめていく。
『精霊魔法は、それを司る妖精がいて初めて成立するの』
『 “妖精”は……もう、あたしだけだったはずなのに』
石室の空気がさらに冷えた。
やがて、再び扉が開く。
今度は誰も声を上げなかった。
ゆっくりと、一人の男が姿を現す。
白い外套。初老だが、整った顔立ち。
その瞳だけが、氷のように冷たい。
「もう下がっていいぞ」
「御意」
尋問官たちは部屋を後にする。
そして、男は静かに悠真の前まで歩み寄る。
「初めまして。私は《アズライル》総統」
「イスラフィル」
その瞬間だった。
サラの身体が凍り付く。
「……え」
男の肩へ、小さな光が舞い降りる。
鈍色の髪。
銀色の瞳。
透き通る羽。
小柄な身体。
その姿は――妖精。サラと酷似していた。
「そんな……」
サラは一歩後ずさる。
「どうして……」
その妖精は、感情のない瞳でサラを見つめる。
『久しぶり。今は“サラ”だったかしら』
サラの表情から血の気が消えた。
「嘘……」
「そんなはず……」
「あなたは……」
小さく震える唇から漏れた名前。
「……イブリス」
その名を呼ばれた鈍色の妖精。
例えるならば――
愛らしさとは無縁の、バグのない完璧な機械。
そんな冷徹な美しさを纏うイブリスが、パチンと指を鳴らした。
瞬間、石室の『歪み』がガラスのように弾け飛ぶ。
透明な壁は、もうない。
互いの存在を遮るものが消え、両者の視線が、初めて真っ直ぐに交錯した。
そして、イスラフィルはゆっくりと笑う。
「驚いたか」
「“最後”の妖精は、一人ではなかった」
悠真は何が起きているのか理解できなかった。
だが、サラだけはその小さな身体を震わせていた。
目の前にいる存在は、あり得ない。
絶対に存在してはいけない存在だった。
――
同時刻。
東京・首相官邸、地下危機管理センター。
文部科学大臣・松木公平が慌ただしく駆け込んできた。
「総理! 天城悠真の魔力反応が消失しました!」
首相・高井紗奈が顔を上げる。
「消失?」
「《メーティス》の監視網から完全にロストしました」
「国内外、すべての魔力観測網が沈黙」
「――追跡不能です」
室内に緊張が走る。
その時、外交専用端末が鳴った。
高井は即座に回線を開く。
映し出されたのは、米国大統領・ドナルドの姿だった。
『サナコ』
いつもの余裕はない。
『こちらでも確認した』
『《アズライル》が動いた。天城悠真は拉致された』
短い沈黙。
高井は静かに立ち上がる。
「場所は」
『まだ特定できない』
『だが相手は国家級の隠蔽術式を使用している。時間との勝負だ』
プツン。
と、非情な電子音と共に通信が切れる。
高井は会議室を見渡した。
「防衛大臣」
「はい」
「SMAへ出動命令。最優先事項は――」
一拍置き、力強く告げる。
「天城悠真、奪還」
「作戦名、『オペレーション・ツクヨミ』を発令します」
その言葉と同時に、危機管理センター全体が一斉に動き始めた。
一人の少年のため、日本という国家が、その総力を挙げて動き出す。
だが、その真意を面々は知ることもできなかった。
――続く。
次話、「語られる“一つ”の真実。悠真奪還作戦」
<少年に突きつけられる一つの事実>
※本作はカクヨム様と同時投稿を行っております。




