第17話 「可能性」
首相官邸。
内閣総理大臣“高井紗奈子”は一本の電話を掛けた。
大型モニターには、“鷲”の紋章。
そして、それがゆっくりと切り替わり。
一人の男性の姿が映し出される。
米国大統領、“ドナルド・キング”
かつて、お互いが政治家を志す中。
「国際総合政策研究機構」で、共にと机を並べた旧友だった。
『久しいね、タカイ』
「ええ。お久しぶりです」
「でも、今日は旧交を温めるための通信ではありません」
穏やかな口調とは裏腹に、会議室の空気は張り詰めていた。
「率直に伺います」
「渋谷第一魔導高専襲撃事件について――」
「政府としては、本当に一切関与していないのですか」
ドナルドは、一拍置いて微笑む。
『公式見解としては、関与していない』
『とはいえ、我が国の機関が――』
『独断とはいえ貴国で多くの市民を危険に晒してしまった――』
『深く遺憾であり、謝罪を申し上げたい』
「その謝罪、痛みいります」
高井は頷いた。
しかし、それ以上の言葉は返さない。
沈黙に耐え切れなくなったように。
ドナルドが口を開く。
『ただし、私の判断は別です』
『これは今後の国家として方針です』
モニターに黒い炎の映像が映し出される。
『天城悠真』
『現在、彼は完全に、現代魔法体系の外側で存在する唯一の観測例』
『《メーティス》による演算も、解析も、制御もできない』
『管理できない力は、やがて秩序を壊す』
『“国際社会”という巨大なシステムに現れた』
『予測不能なバグ』
『それが彼だ』
高井は静かに問い返した。
「では、あなたに一つ質問します」
『何かね』
「《メーティス》は、何のために存在する技術ですか」
思いがけない問いだったのか。
ドナルドは少しだけ目を細める。
『魔法を安定運用するため』
「その通り」
「では、《メーティス》は“世界”そのものですか」
『……違うな』
「《メーティス》は、あくまで人類が作り上げた一つの技術です」
「技術が理解できない現象に遭遇したからといって」
「その現象を間違いだと決めつけるのは」
一瞬の間。
「本末転倒ではありませんか」
ドナルドは腕を組む。
『しかし、管理できなければ危険だ』
「危険だから排除する」
「その論理は便利です」
「ですが、その基準を誰が決めるのでしょう」
高井は続ける。
「かつて《メーティス》の実装時」
「世界は『危険だ』と猛反発しました」
「それでも人類は歩みを止めず、結果として現在の繁栄を手に入れた」
「歴史が証明しています」
「未知だから危険なのではない」
「未知を“理解”しようとしない姿勢こそが危険なのです」
数秒の沈黙が流れた。
『……あなたは、彼を全面的に信頼しているかい?』
「いいえ」
高井は即答した。
「彼も人間です」
「迷うでしょう」
「失敗もするでしょう」
「だからこそ支える大人が必要なのです」
「最初から兵器として扱うことも」
「脅威として隔離することも」
「国家の責任ではありません」
ドナルドの表情から笑みが消える。
『仮に彼が制御不能になったら?』
「その時は、私たちが止めます」
「ですが」
「まだ何一つ起きていない段階で」
「一人の少年を、世界の敵だと決めつけることはしません」
高井は静かに言葉を重ねた。
「あなたは、彼を"バグ"と呼びました」
「私は違います」
「彼は、新しい可能性です」
「世界は、同じ価値観だけで発展したことは一度もありません」
「異なる才能、文化、思想」
「それらを受け入れてきたからこそ」
「文明は進歩してきました」
「もしすべてを均一化することだけが正しいなら」
「人類はとっくに成長を止めていたでしょう」
ドナルドは深く息を吐き、小さく笑う。
『……やっぱり敵わないな。“サナコ”』
『機構にいた頃から、その理屈だけは崩せなかった』
「理屈ではありません」
「信念です」
しばらく沈黙が続いた後、ドナルドはゆっくり頷いた。
『分かった』
『少なくとも当面、アメリカは独自の強制行動を控える』
『その代わり、彼の動向については情報共有をお願いしたい』
高井は静かに微笑む。
「対話の余地がある限り、私たちは協力を拒みません」
通信が終了すると、暗くなったモニターに高井の姿だけが映った。
彼女は小さく息をつき、誰にも聞こえない声で呟く。
「天城君……」
「世界はまだ、君を理解してはいない」
「だからこそ、私たちが君の時間を守る」
もう一度、大きく息を吸い込む。
「始まったばかりね――」
――
昼休みを告げるチャイムが校舎中に響き渡る。
随分と、日常を取り戻した渋谷一高。
悠真たちは珍しく三人で学食へ足を運んでいた。
「今日は俺のおごりだ!」
トレーを高々と掲げる廉太郎に、悠真が苦笑いする。
「昨日、負けた罰ゲームじゃなかったのか?」
「違う違う!」
「これは体育祭の優勝祝い!」
「……財布、大丈夫か?」
「たぶん!」
「『たぶん』って何だよ」
二人のやり取りに、レイナが思わず吹き出した。
「廉太郎くんらしいわね」
「神代さんもそう思う?」
「『レイナ』でいいって言ったでしょう」
「……まだ慣れません」
廉太郎が頭をかく。
「だって監察官だよ?」
「急に呼び捨てなんて呼べないって」
「少しずつ慣れればいいわ」
その柔らかな笑みに、食卓の空気がふっと和らぐ。
悠真も自然と笑みを浮かべていた。
そんな様子を、悠真の肩に腰掛けたサラが眺めている。
まだサラの姿や声は悠真にしか認知できない。
その存在に気付く者はいない。
『人間って不思議』
悠真の耳元で小さく囁く。
『昨日は命懸けで戦っていたのに、今日は笑ってご飯を食べてる』
「だから前に進めるんだよ」
悠真も小声で答える。
『……そういうもの?』
「そういうもの」
サラは少し考え込むように空中で一回転すると、小さく微笑んだ。
『あたしは嫌いじゃない』
その一言に、悠真も思わず頬を緩める。
その時だった。
「天城」
低く落ち着いた声が聞こえた。
一同が振り返る。
そこに立っていたのは、龍之介だった。
食堂のあちこちから小さなどよめきが起こる。
「虹野先輩だ」
「やっぱり格好いい……」
龍之介は周囲を気にすることなく。
悠真たちの前まで歩いてくると。
「一緒にいいか?」
「先日は助かった」
「最後まで立っていられなかったのは、俺の未熟さだ」
悠真は慌てて首を横に振る。
「そんなことありません!」
「先輩たちが時間を稼いでくれたから、俺は最後まで戦えました」
「それでも。礼くらい言わせてくれ」
龍之介は穏やかに笑う。
「聞いてると思うが」
「卒業後、俺は対魔導特別急襲隊《SMA》へ進む」
「その前に――」
「一つ頼みがある」
食堂が静まり返る。
「今度」
「演習場で、本気の組手をしてくれ」
その瞳の奥には、敗北への悔しさではなく。
眼前の強者への純粋な武者震いがあった。
その言葉が広がったと同時に、食堂がざわつく。
「……あの虹野先輩が、天城に頭を下げた……?」
「おい、演習場で本気の組手って……」
「やっぱりあいつ、先輩と同格かそれ以上なのか……!?」
一呼吸置いて、聞き直す。
「本気……ですか?」
「ああ」
「勝敗が目的じゃない」
「互いの実力を知るためだ」
レイナも静かに龍之介を見る。
「先輩がそこまで言うなんて珍しいですね」
「先日の戦いで確信した」
龍之介は悠真を真っ直ぐ見据えた。
「おそらくお前は、まだ自分の力を使い切れていない」
「だから俺も本気でぶつかる」
悠真は少し考えた後、力強く頷いた。
「分かりました」
「よろしくお願いします」
龍之介は満足そうに、その場を後にする。
残された廉太郎は顔を引きつらせた。
「……俺、観客席から応援してる」
「逃げる気満々じゃないか」
「当たり前だ!」
「学生最強クラス同士の組手なんて近くで見たら死ぬ!」
その一言に五人は思わず笑い声を上げた。
穏やかな昼休み。
誰もが、この時間が続くと信じていた。
――
そして――
中東のとある国。
巨大な魔導要塞の最奥。
自然洞窟を改装された一室。
駱駝色の戦闘服と防塵コートを羽織った者たちが。
円卓を囲んでいた。
壁面には、黒炎を纏う悠真の戦闘映像が映し出されている。
「《メーティス》の演算を過去にした黒い炎か。……悍ましいな」
「全くだ」
「だが、これこそが我らの待ち望んだ神の力だ」
「《メーティス》から手に入れたものだ」
議長席の男が低く告げる。
「古代精霊魔法は覚醒した」
「長き計画も、いよいよ最終段階だ」
周囲の幹部たちが静かに頷く。
「各支部へ通達」
「第一級作戦を発令する」
「契約者・天城悠真を確保せよ」
「できる限り、生け捕りでだ」
「神の詔のままに」
指差す先には、古い文字で書かれた壁画。
【従えし者、世界を書き換える】
命令が下された瞬間。
世界各地の隠れ拠点へ暗号通信が一斉に送信される。
確実に、各地で、其々に。
静かに牙を研ぎ始める者がいた。
――続く。




