その20 市井でお世話になった人達
「マーリン、久しぶりだね。顔もふっくらとして元気そうじゃないか?」
「お母さん!マーリン様って呼ばないと駄目よ。もう次期女男爵様になる方なのだから」
「だって。マーリンはマーリンだよ。可愛いグレースの子だもの。私の娘同然だ。マーリン様なんて、他人行儀な………」
マーリンに挨拶をして来たのは、隣に住んでいてグレースとマーリンの面倒を見てくれた、ミシェルとタリア母子だ。2人とも若くして夫と父を亡くしていたが、代々続く八百屋を継いで生計を立てていた。村には商店も少なく、みんながその店にお世話になっていた。
そんな彼女達が保護していたのがグレースとマーリンだったから、村に受け入れられるのも早かった。いや、受け入れられなければ、とうにここには居なかっただろう。人間として暮らすには何もかも足りないグレースに、1から教えてくれたのがミシェルだった。
(こんなに何も知らないなんて、きっと何処かの良いとこのお嬢様だったんだろうね。だってとっても美しいもの。私が姉として守ってあげるからね)
その誓いも虚しく、男爵にグレースを拐われた時は泣き濡れた。平民の女性には逆らえる力はなかったから。
「ああ、グレース、グレースが!」
「止めるんだ、ミシェル。あんたにはタリアがいるだろう」
「だって、だって。私の妹が、グレースがっ、あぁ、うわあぁ、酷いよぉ」
最後まで引き止めようとしていたミシェルと、それを止めた村人達は、全員苦しい思いをした。だって彼らもグレースのことが大好きになっていたから。
そうこうしているうちに、グレースは再び村に戻って来た。グレースの妊娠が分かったのはその数か月後だった。それからは母子共々、ミシェル達と暮らして来たのだ。グレースが亡くなり男爵に引き取られ、ずっと心配していた2人。男爵が夜逃げしたのは知ったのも、ずいぶんと後だった。貴族の家に会いに行くことは出来なかったから。
その後彼女達はバージルが、家出をして親元を離れたグレースの遠い親戚だと説明されていた。ミシェルは「やっぱりお嬢様だったのね」と納得したのだった。
ミシェル達とマーリンには、こんな経緯があったのだ。
「良いのですよ、今まで通りで。ミシェルさんとタリアさんは、私のもう1人のお母さんとお姉ちゃんですから。私も様なんて付けられると辛いです」
「ああっ、マーリン。お母さんと呼んでくれるんだね」
「マーリンったら、嬉しいよぉ」
抱きしめ合う3人に、護衛とばかりに付いてきたナッカスとクロームは微笑んだ。今日バージルは国王リンデンに呼び出され、登城していたのだ。
「俺は忙しいのに。辞めたやつを呼び出すなんて、他に人が居ないのか? 迷惑な!」
怒るバージルだが、何だかんだ言って行ってあげる程度には面倒見が良い。その間に私の護衛を、事もあろうかナッカスとクロームに頼んだのだ。
「お前ら暇だろ? マーリンを頼んだぞ!」
「OK、OK! まっかせて、バージル。私の妹のことは必ず守るからさ」
「ご安心下さい、バージル様。私もおりますので」
ナッカスは手をヒラヒラと振って、クロームは敬礼をしてバージルを送り出した。
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
「勿論です、お嬢様。なるべく早期に戻ります。では」
後ろ髪をひかれるように、バージルは転移魔法で姿を消した。
「心配症だね、バージルは」
「本当にお世話になっています。バージルは恩人なんです」
「そうだね。彼は良い奴だ」
そうあの時。
1人で借金取りの押し寄せる男爵家に残された瞬間、もう自分の人生は終わるのだと思った。死んだ方が良いと思える地獄に、落とされるのだと諦めていた。
バージルだけだ。
助けの手を差し伸べてくれたのは。
今がどんなに恵まれていたとしても、忘れることなどあり得ない。
バージルが居なければ、自分はここに存在していなかった。ずっと下を見て絶望のまま暮らした筈だ。
だからマーリンは思うのだ。
(バージルを助ける為なら、命を差し出せる)
マーリンの状況は変わっても、思いが変わることはないのだ。
ナッカスはそれを見て思う。
(良い人に巡り会えたのだね。良かったよ。人間も捨てたものじゃないようだ)
なんて考えているが、バージルのことはとっくに気に入っているし、人間と触れあうことでそれを実感しつつあった。
(人間もエルフも、良い奴も悪い奴もいる。種族など違っても、それは不変のようだね)
ナッカスの嬉しげな様子にクロームも相貌を崩す。今日も良い天気だ。
その後は視察を兼ねて領地を散歩するマーリン達。あちこちから声をかけられ微笑むのだった。
マーリンが(殆どバージルだが)男爵家の領地経営をするようになってから、高かった税金は適正にされかなり減額されていたから、領民の暮らしは楽になっていた。みんな元気に暮らしているようだ。
山林まで来た時、ナッカスがマーリンに声をかけた。
「なあ、マーリン。ここに1本だけ木を植えて良いかい?」
マーリンはすぐに頷く。
「何本植えても良いよ。木がたくさんあると森に住む動物や木こりさんも喜ぶから」
「ありがとう。心から感謝するよ」
そう言って、懐から苗木を取り出したナッカス。
「それは!」
クロームが声を出す前に、しーっと言って唇に人指し指を当てるナッカス。驚く筈だ。だってそれは世界樹の苗木なのだから。
そんなことを知らないマーリンは、いつも通り暢気に村人とお喋りしていた。




