流れる時の中で
「…ただいま!」
「おかえりなさい」
「待ってたよ」
数日かけて一葉たちはイングラムへ帰ってきた。イングラム要塞では、皆が帰りを待っていてくれた。ワイバーンはカタレラへ帰した。
「お待ちしておりましたよ、ラスティ様」
迎えてくれた人たちの中に、一葉の知らない人物がいた。初老の男性だ。
「タイナー枢機卿! …いえ、教皇! こちらへいらしたのですか!」
ラスティは彼と親しいようだった。ラスティは嬉しそうに彼に駆け寄る。
「ええ。…実は、オスカーからリダをおわれましてね。こちらで厄介になっているのです」
「そうでしたか、歓迎します」
ラスティは彼に礼をとった。
「あの…」
「もしや、こちらのお嬢さんが?」
「ええ、彼女が超獣使いの一葉です」
タイナーはにっこりと微笑んだ。
「初めまして。私は形ばかりですが、女神教の教皇のタイナーと申します。お会いできて光栄です」
「あ、は、初めまして。一葉です」
一葉は急いでラスティの真似をして礼をとる。
いぬくんが足元でじっと彼を見上げた。
「こちらが超獣ですか?」
「はい、そうです」
タイナーはなるほど、とうなずいた。
「本当に小さな犬のようですね。この角さえなければ。…撫でても?」
「もちろんです」
一葉がいぬくんを抱き上げると、タイナーはいぬくんの頭を撫でた。いぬくんもされるままになっている。
「ありがとうございます」
タイナーは微笑んだ。いぬくんを一葉に渡す。
「陛下、戻られたばかりで恐縮ですが、さっそくカスバート公爵たちを助ける手段を考えましょう」
ガードナーがラスティを急かす。
「そうだな。…すまない、一度ブライアンの様子を見てきても?」
「ええ、もちろんです。クラークたちもいったん戻って準備ができたら来い。部屋で待っている」
「わかった」
「ところで、アンドルーは? 姿が見えないようだが…」
「ああ、それは…」
クラークが手短に説明する。ガードナーは声をあげて笑った。
各々部屋へ戻り、息つく間もなくガードナーの執務室へ向かった。
「ニワトリから聞いたが、コルディア軍が占領地で略奪を行っているというのは本当か?」
ラスティがイヴァンに睨むような眼で尋ねる。
「本当ですよ。ですが、エリザベス様では彼らを止めるのは難しいでしょうね」
「女王様なのに?」
一葉がそう言うと、イヴァンはわざとらしくかぶりを振る。
「実権はオスカーが握っているようなものだよ。あちら側の軍は、実質オスカーに押さえられていると言っていい。エリザベス様の意見はことごとく無視されているようだね」
「彼らが捕らえられているカーゾン村へ行くんだろう?」
「カーゾン村へ軍を派遣するのは、難しいだろうね。それまでにコルディア軍が幾重にも待ち構えている。…そこで、だ」
車いすに座ったイヴァンがテーブルの上に広げた地図を指しながら言う。
「囮に軍を2つに分けて派遣して、3つめの本命であるクラークたちが少数精鋭でカスバート公爵たちを救う。その分、こちらが手薄になる。そうなると、オスカーをここを狙ってくるだろうね。だから、ここを守るのはガードナーと一葉に任せるよ」
「えっ…私?」
一葉は思わず自分を指さす。
「そう。そして、超獣はクラークと一緒に行ってもらうよ」
一葉は困ってクラークに視線を向ける。
「簡単でしょ。超獣にクラークのいうこと聞けって言えば、きくんでしょ?」
「それは…そうだけど」
一葉は肩をすくめる。
「その…今はいぬくんはあんまり強い力が使えないし。それにクラークは、右腕が使えないのに」
「心配しなくても、大丈夫だよ」
クラークは黒い手袋をした右手をあげる。
「この腕で戦う方法はみつけたから」
「方法って…どんな?」
「今はまだ秘密だ」
クラークは人差し指を立てた。
「はいはい、じゃれあいはその辺にして。ともかく、ラスティ様がカスバート公爵とエヴァンズ公爵を助けたという証があれば、オスカーに不満を持つ隠れた貴族もこちらにつくだろうね」
「オスカーに不満て?」
一葉が聞くと、イヴァンはやれやれとかぶりを振る。
「自分の国に来て、好き勝手やってる他国の王を許容する貴族は少ないよ。表面上はそう取り繕っていてもね。何より、エリザベス様では彼を止める力は持っていない。その貴族たちをこちらにつける足掛かりになるってこと」
「そうなんだ」
イヴァンの鼻につく態度に引っかかりを覚えながらも、一葉はうなずいた。
「そのエリザベス様だが…最近は、王都でよく夜会を開いているそうだな」
「夜会? なんで?」
ガードナーの言葉に、一葉は首をひねる。
「…イヴァン、何かエリザベスに指示したのか?」
ラスティの問いに、イヴァンは笑ってみせる。
「ええ、まあ。もっとも、エリザベス様自身はあまり夜会には姿を見せていないようですけどね。貴族たちを取り込むためのものですよ」
「…そういうものか?」
釈然としない様子で、ラスティは首をかしげた。
「クラーク、ブラッド、あんたたち二人が主戦力で公爵たちを助け出す。囮はそのまま、コルディア軍と戦ってできれば勝利してこちらへ戻らせるのが今回の目的かな。それでは、進軍について決めようか」
イヴァンはにんまりと笑って、地図を指さした。
「見直したぜ、クラーク」
「何のことだ?」
長い作戦の話し合いの後、食事をしてる最中にロビンに突然そういわれ、クラークは首をひねる。
「あの女王様相手に、何もしなかったなんて、驚いたぜ。意外と一途な奴なんだな」
「それはありがとう」
クラークは苦笑する。
「その調子で、一葉とうまくやれよ」
ロビンはクラークの肩をたたいた。
「そうだな」
クラークは苦笑した。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
部屋へ戻ると、一葉は心配してクラークに詰め寄る。いぬくんはベッドの上であくびをした。
「何が?」
「右腕だよ。手術したとはいえ、剣は握れないんでしょ?」
「食事できているのは見ただろう?」
「そうだけど。戦うのとは全然違うじゃない」
「心配性だな、一葉は」
クラークは右手で一葉の頭を撫でる。
「だって」
「右腕で戦うわけじゃない」
「え? じゃあ、左手で? クラークって両利きなの?」
「いや、右利きだよ。一葉にはまだ内緒だ。驚かせたいからね」
一葉は首を振る。
「今教えてよ」
「やれやれ…。では、こうしようか」
クラークは一葉を抱き寄せると、ベッドに押し倒してくすぐり始めた。いぬくんは慌ててベッドから飛び降りる。
「きゃはははは! くすぐったい!」
「ほら、右手も十分に使えるだろう?」
「あはは、あはははは! わかった、わかったから!」
笑いながら、クラークは一葉から体を離す。
「はは、それはよかった」
「もう…結局、教えてくれないんだね。どうやって戦うのか」
「大事なことだからね。この戦いが始まれば分かるよ」
「だって…今回、私はクラークのそばにいられないんでしょ」
一葉は唇を尖らせた。
「すねてるのか? …大丈夫だよ。すぐ戻ってくるから。それに、ガードナーがいれば安心だろう?」
「それは…まあ。ガードナー将軍は熊みたいで頼りになりそうだけど」
起き上がって一葉は膝を抱えた。
「私はクラークを守らなきゃと思ってたし、いつもクラークとは一緒にいられると思ってたから」
「ようやく私の気持ちが分かったか?」
「え?」
一葉は
「いつも勝手にいなくなって、私がどれだけ心配していたか」
「それは…あの、いろいろ事情がありまして…」
ぶつぶつと小声で一葉は言い訳する。
「ロビンもいるし、一葉は一人じゃない。イヴァンに考えがあるんだろう」
「うん…。わかった」
それにしても、とクラークは笑う。
「ロビンとは本当に仲が良いな。さっきも一葉のことを言われたよ」
「ロビンに? 何を?」
「…一葉を大切にしろってことを」
「ふうん? どうして?」
「さあ…」
クラークは視線をそらした。
「ロビンていえば、ブラッドがね、ロビンに冷たいんだって。そんなにセシリアのことを思っていたいのかな? それとも、ロビンが嫌いなのかな?」
「ブラッドがロビンを? 嫌うなんてことはないだろう」
クラークは一葉を背中から抱きしめる。
「だって、ブラッドはロビンの気持ちに応えることはないから、いつまでも追いかけてくるなって言ったんだって。ひどいと思わない?」
「ブラッドがロビンにそんなことを?」
「そう! ひどいよね」
一葉は頬を膨らませる。
「いくらロビンがくっついてくるのがうっとうしいからって…」
「一葉、それは逆だ」
クラークは一葉の頬をつついた。
「逆って?」
「ロビンの存在がブラッドの中で大きくなっているから、ブラッドはそう言ったんだ。セシリアのことを思ってね」
「え? えーと…セシリアのことを思ってるけど、ロビンのことも大事ってこと?」
「うーん…。そう思っても間違いではないかな」
クラークは苦笑する。
「あまり急かすものじゃないよ。あんなことがあったから、ブラッドはとても深く傷ついていて、ずっとセシリアは心の中で思い続けるだろう。でも、ロビンのことを嫌いじゃないから、困ってるんだ。ロビンとのことは焦るものじゃない。もう少し長い目で見守ってあげるといい」
「長いって…どのくらい?」
「さあ…半年後か1年後か3年後か。それとも、10年後かもしれないな」
「長いね」
「長いな」
言いながら、一葉は思う。
「でも…もしかしたら、一瞬かもしれないね。ブラッドにとってその時間は」
「…そうだね」
一葉は父のこと、みちるのことを思った。そして、今クラークは、ケイトのことを思っているのかもしれないと想像した。
失った誰かを思うのは、まるで時間が止まっているようだ。
時が止まっているのは、失った誰かのほうなのに。
「エリザベス様、あまりご気分がすぐれないご様子ですね」
シモンズは夜会の片隅でおとなしく過ごしているエリザベスに声をかける。
「楽しくなんてないわ。だって、貴族たちをおとなしくさせるための夜会だもの」
エリザベスは不満を露わにする。
「どうして、私がこんなことしなくちゃいけないのよ」
イヴァンが飛ばしてきたペンギンの文書には、とにかく派手な夜会を開けというものだった。貴族たちの機嫌をとるためと、民衆のオスカーへの不満を募らせるため、というものらしい。
エリザベスには理解できなかったが、コルディアに占領されている南側のこの領地でエリザベスができるのは、夜会を開くくらいだ。
「オスカーにこの国の分だけでなく、コルディアへの税金も徴収され、民衆の不満が高まっていますからね」
シモンズは苦い笑みを浮かべる。
「それだけじゃないわ。私の許可なく自分へすり寄る伯爵や男爵のすげ替えもしている。追い出された者たちは、反逆者の名目で処刑されたり、国外追放されているなんて…」
エリザベスはため息を吐く。
「コルディア軍による略奪も横行しているようですね」
「もう女王なんてうんざり。名前だけで、誰も私の話なんて聞いてないわ」
エリザベスはかぶりを振った。
「エリザベス様…」
「お母様は楽しそうだけど」
たくさんの男性に囲まれ、クラリスは上機嫌でワインを飲んでいる。
「クラリス様もエリザベス様を心配されていますよ」
「どうかしら」
エリザベスは肩をすくめた。
「今この場では、何もかも忘れて踊りましょう」
シモンズは手を差し伸べる。
「そんな無責任なこと…」
「女王にも球速は必要ですよ」
シモンズの笑みに、エリザベスは心が揺らいだ。
「…少しだけよ」
「ありがたき幸せ」
エリザベスはシモンズの手に自分の手を重ねた。
シモンズはエリザベスをリードして優雅に踊る。初めてシモンズと踊ったが、悪い気はしなかった。
エリザベスの塞いでいた心も、この時だけは解放された気がした。
「お気をつけて、ジョージ様」
囮の2軍と、ラスティはクラークたちと一緒にカーゾン村へ向かうことになった。準備に数日かかったが、それでもしくじるわけにはいかないので慎重に行くことになる。
準備の間、クラークは「秘密の特訓をするから」と要塞を出て行く日が続いた。
何の特訓をしているのか、一葉が聞いても教えてもらえなかった。
「ブライアンこそ、早く元気になるんだぞ」
起き上がれるようになったブライアンは、イングラムを発つラスティを見送った。
一葉もクラークたちを見送った。
いぬくんはクラークに連れられて行った。
「はあ…」
一葉は所在無げに要塞の中をうろうろする。いつもなら、足元にいるいぬくんがいないのは、心許ない。
「一葉さま、よろしいですか?」
「ブライアン…」
声をかけられ、一葉は彼のそばに駆け寄る。
ラスティの話通り、痩せて顔色は悪いが、目には力があるように感じられた。彼のいる場所はやはり、ラスティのそばなのだろう。
「体は? 大丈夫なの? 昨日は様子見に行けなくて…」
「いいんですよ。いつまでも寝たままでは、体がなまってしまいますからね。…あなたに、お礼をと思いまして」
「お礼?」
言われて、一葉は気づいた。マーティンのことだろう。
「身代わりになってくれたおじさんのことなら…」
「それもあります。おかげ私はガネス監獄から抜け出すことができました。そして、ずっとジョージ様のそばにいてくれて、ありがとうございます」
ブライアンにそう言われ、一葉はなんだか背中がむず痒くなった。
「いや、えっと…そばにいたのは私だけじゃなくて、クラークもブラッドもイヴァンも…あと、他のみんなも」
「ええ、もちろんです。でも、本音でぶつかり合えるあなたがそばにいたから、ジョージ様は絶望せずにいられたのだと思います」
「買いかぶりすぎだよ」
一葉は照れくさくて、髪を触った。
「本音ではつきあってるかもしれないけど」
「そうですね。これからも、ジョージ様のそばにいてください」
「もちろんだよ。ラスティが王様になるまでは」
「その先は?」
「先?」
一葉は首をかしげる。
「先って…私はラスティが王様になったら用済みで…」
「ジョージ様のおそばにいるという選択はないのですか?」
「え? ない…と思う…けど」
一葉は手を組み合わせる。
「だって、ラスティだって私がいたら邪魔だと思うよ?」
「それはジョージ様のお心ですから。一葉さまはジョージ様のことがお嫌いですか?」
「嫌いじゃないけど…。いや、無理だよ。王様の使用人とか? 無理無理」
一葉はぶんぶんと首を横に振る。
「そうですか…」
ブライアンはため息を吐いた。
「今はそれでもいいでしょう」
「いいならいいけど…」
「きっと、そのうちあなたにも分るでしょう。今は、お礼だけ言わせてください。ありがとうございます」
「どういたしまして…。あ、そうだ」
一葉は人差し指をたてる。
「もしブライアンがお礼を言うなら、私じゃなくておじさん…マーティンにお礼を言って。私は何もしてないよ」
「ですが、あなたが助けた命が私を救ってくれたのです。そのことにはお礼を言わせてください。そしてもちろん、マーティン・ホワイトにも」
「うん。…たまに、おじさんのこと、思い出してくれると嬉しい」
「ええ。忘れませんよ」
ブライアンは微笑んだ。




