衝動2
前を行くカナメは、表玄関の前に到着するとチャイムを鳴らす。
出て来た執事に
「葛城製薬の穂積です」
と言う。
「大奥様より、お話は伺っております。どうぞ…」
と、門を開けてカナメを中に入れる。
屋敷への道を歩きながら
「あの…部長はまだでしょうか?」
執事は、少し間を置いて
「コウスケ様は、まだお着きになっておりません」
短く答える。
「ありがとうございます」
カナメは礼を言う。
「穂積様」
「はい?」
「大奥様…雅代様は、とても気難しい方でいらっしゃいますが、本当は心根のお優しい方なのです」
「…はい」
突然の言葉に戸惑いを覚えた。
「ただ…少し心の在り方を間違われただけなのです」
執事は、悲しそうに言う。
執事の年齢からしても、雅代との付き合いは長いのだろう。
もしかしたら、誕生から雅代を見守っていたのかもしれない。
「分かりました」
カナメは、短く答えた。
「ありがとうございます」
そう言ってから、カナメを屋敷の中へ誘った。
門の外にいた絵莉花は、途方にくれてしまった。
これ以上の追跡は出来ない。
さっきから、二人の門番がこちらを睨んでいる。
(どうしよう…気になるんですけど)
絵莉花は考え込んだ。
そこに黒塗りの車がやってきて、後部座席の窓が開き、門番と誰かが話している。
絵莉花とは反対側の窓なので、姿は確認出来ないが声からして中年女性のようだ。
「失礼いたしました」
門番はそう言ってから門を開ける。
車は、中へと入って行く。
門番の一人は周囲の監視をしていたが、もう一人は門を閉めながら内線電話をかけていた。
「アオイ奥様が、お着きになりました」
門番の言葉で、誰がその車に乗っていたのか分かった。
(奥様?どういう事だろう?やっぱり、子供の父親って)
考えたくもない事に頭を振る。
「村瀬君?」
声をかけられて振り向くと、コウスケが立っていた。
緊張した面持ちで、日高家の門をくぐった。
アオイは、今更ながら震えてきた。
そんなアオイの手を英子は握りしめて
「大丈夫ですわ。私がついております」
英子に言われると、何だか安心する。
「ありがとう」
アオイは、微笑みで返した。
車は、玄関の前にたどり着くと執事が控えていた。
「お待ちしておりました、アオイ奥様、それに英子さん、お久しぶりでございます」
執事が恭しく礼を取ると、英子はアオイの手を取って車から降ろしてから
「お久しぶりでございます。何年ぶりでしょうか?」
「私が、雅代様と共に本邸を出てからですから、かれこれ30年になります」
「そうでしたわね。お互い年を重ねました」
英子が微笑むと
「しかし、今日は…?雅代様からは、アオイ奥様のみと聞いておりましたが…」
「アオイ奥様の体調を考えて、コウスケ様と相談して私がお傍に着く事を決めました」
英子のきっぱりとした口調に、執事は戸惑いながらも
「しかし…雅代様は…」
何やら言いにくい事らしい、言葉を詰まらせる。
「私は、何を言われても構いませんから」
「ですが…」
「相変わらず、雅代様に甘いですね」
英子に言われ、執事は顔を曇らせ
「春恵様より、雅代様をお守りするよう言いつけられましたから。『あなただけは、いつまでも雅代の味方でいてあげてちょうだい』と」
と、言う。
「そうでしたわね」
英子も顔を曇らせた。
「では、中へ」
そう言って、中に通される。
アオイは、英子と共に居間に通されたが、居間のドアが開いた瞬間に、アオイとカナメ、雅代の表情は強張った。
カナメとアオイは、一瞬目が合い驚いてしまうが、
「何故、あなたがここにいるの!?」
声を張り上げて雅代が叫んだ。
恐ろしい眼光で英子を睨んでいる。
「お母様からの恩を忘れて、お母様を裏切ったあなたが!!」
今にも掴みかかろうとしているのを
「奥様、落ち着いてください」
そう言って執事が間に入る。
「何故、この女を屋敷に入れたの!?」
ヒステリーにも似た声で、執事に詰め寄る。
「それは…」
執事が答えようとすると
「コウスケ様より、アオイ奥様に付き添うようにと」
答えたのは英子だった。
雅代は、顔をひきつらせて
「あの子が、私のコウスケがそんな事を言うはずがないわ!!私のコウスケは私を裏切る事は決して…!!」
英子に、掴みかかろうとしているのを、執事が止める。
「奥様、落ち着いてください」
「これが、落ち着いていられますか!?この女狐、よくもそんな嘘を、いけしゃあしゃあと…お前ね?お前がコウスケさんを…」
今度はアオイに、掴みかかろうとしたが…
「お母様、お止めください!!」
凛としたコウスケの声が、アオイ達の後ろから響き渡る。
アオイが振り向くと、コウスケの姿があった。
「旦那様…」
アオイは、どういう顔をしていいのか分からなかった。
今、自分の目の前にカナメがいる。
自分が今でも愛した人が。
しかし、生まれ変わったのようなコウスケに対して、罪悪感を感じるようになっていた。
どうしてよいのか分からずにいるアオイに
「すまないね。私の到着が遅かったばかりに」
と、優しく言う。
「いえ…私は、大丈夫です」
俯いてから答える。
コウスケは、アオイの肩に手を置いて
「さ、中に入ろう」
と、アオイを中に誘う。
「…はい」
アオイは、カナメと目を合わさないようにして中に入って行った。
「コウスケさん」
雅代の声が上擦る。
「お母様、私が英子さんにアオイに付き添うように言いました」
ハッキリと口調で言う。
雅代の目が信じられないように見開く。
「そ、そんな…コウスケさん…」
「アオイは、まだ体の調子がよくない。だから、英子さんに付き添うように言いました。よろしいですね?」
雅代が、その場にへたり込む寸前に執事が支えて何とかソファに座らせる。
コウスケは、呆然としているカナメに
「穂積君にも、見苦しい所ばかり見せて申し訳ない」
と言い
「ところで、何故君が?」
と、問いかけた。
カナメは、呆然自失になっている雅代をチラリと見る。
「それは…」
口を開いたのは執事の方だった。
「大奥様が、穂積様にお話があるという事で、お呼びになられたのです」
と、説明を入れる。
カナメは、一瞬アオイを見た。
(まさか…)
やはり、あの数日間の事が、雅代の耳に入ったのだろうか?
アオイはの顔色も青くなる。
同じ事が頭に浮かんだのだろう。
コウスケは、アオイを椅子に座らせてから
「お母様、一体何のお話ですか?」
と、雅代に言う。
雅代は、ハッとしてから
「そうでしたわね」
と、気を取り直す。
そして、カナメに鋭い視線を向けて
「最近、会社でのコウスケさんの様子がおかしいと報告がありました。仕事に影響はない、という事でしたが…心にここにあらず…というように呆然としていていたり、屋上で空を見上げている事があるそうです」
…いつの話をしているのだろうか?
それは、ついこの前までの話である。
最近では、そういう事はない、むしろハキハキしている。
カナメは、首を傾げた。
「聞けば、あなたと屋上で話をした後から、様子がおかしくなったそうですね?一体、コウスケさんに何を言ったのです?事と次第によっては、あなたの進退を考えさせていただきますからね」
通告するように言う。
「待ってください!」
抗議の声を上げたのは、コウスケだった。
「彼は、私に何もしていない。何をバカげた事を…」
立ち上がって言うと、雅代の顔が悲しげに変わり
「コウスケさん、えらいわ。こんな方でもお庇いになるなんて…でも、あなたの経歴に傷がつく事は許されません。ですから、悪い芽は早く刈り取らないと…」
同情するかのような言い方だ。
コウスケは、顔をしかめて
「だから、彼は私に対して何もいません。無実の彼をどうして陥れようとするのですか?」
と、抗議するが雅代は聞く耳を持つ気はない。
「いいえ、この方と話をした後にコウスケさんの様子が変わってしまったと、ちゃんと部下の方から報告が入っているのです。コウスケさん、あなたのお優しい気持ちは分かりますが、こういう事は、ちゃんとしておかないと」
強気な口調で言う。
「…確かに、彼と話した後、私の様子が変わったかもしれない」
コウスケは、雅代から視線を逸らしながら言う。
「ほら…ごらんなさい」
雅代の表情は明るくなったが…
「ですが、それは、偶然です。彼のせいではありません」
コウスケは、断言した。




