困惑3
亜由美にとって佑介が、どんなに救いになったのか、一目で分かった。
だが、亜由美の表情は再び険しくなり
「だけど、そんな事、あの人が許すはずがない。私への暴力がエスカレートしていくばかりだった。そんな時だったわ、佑介にプロポーズされたの。私をコウスケさんから守りたいって。私は断ったわ。そうなれば、佑介さんの立場が悪くなるもの」
と、言って悲しげに遠くを見る。
「ただでさえ、社内の評判はコウスケさんの方が上。次期社長にコウスケさんを推す一派もいるのよ。そんな中で恋人を奪いましたってなれば、人間性まで疑われるわ」
その声音からして、それは現実に起こりうる状況だった。
確かに、佑介は【コウスケの恋人を奪った】という事で、社内で不穏な話が飛び交っていた。
「だけど…そこに手を差し伸べてくれたのは、宗男お義父様だったわ。父親である宗助お祖父様に、取引を持ちかけたのよ。私の怪我や雅代叔母様の嫌がらせの証拠と引き換えに、私に佑介と結婚するように命じるようにって」
「…お祖父様にですか?」
アオイには、何故そうなるのか分からない。
亜由美は、フフ…と笑い
「お祖父様自身、雅代叔母様の傍若無人ぶりに頭を悩まされていたからね。でも、実の娘だから結局甘やかしてしまう。宗男お義父様も、愛人の息子だからって、相当な仕打ちを受けられたから、佑介から話を聞いて、何とかしてやりたいって、証拠を集めてくれて、お祖父様に取引を持ちかけた」
その事実にアオイは、驚かされた。
本当に自分は何も知らないんだと、痛感させられる。
「お祖父様が、外の女性に産ませたそうよ。雅代叔母様のお母様である春恵お祖母様は、雅代叔母様を産んだ後に子供の産めない体になったから、それでね。でも、産みの母が亡くなって天涯孤独になった所を、大切な跡取りだからってお祖母様が引き取るようにお祖父様に持ちかけたそうよ」
「お祖母様が?」
アオイが嫁ぐ遥か昔に春恵は亡くなっていた。だから、春恵の事は知らない。だが、アオイは、雅代の人格から考えて、もしかしたら…と思った。
だが、亜由美は、面白そうに笑い
「残念ながら、あなたの考えはハズレよ。お祖母様は、雅代叔母様とは似ても似つかない人格の持ち主だったのよ」
と、ことばを続けた。
「お祖母様は、雅代叔母様とお義父様、二人を分け隔てなく育てたのよ。平等にね。雅代叔母様は、それが気に入らなくてね、お義父様をよくイジメていたわ。『愛人の子供が大きい顔をするんじゃない!』ってね。お義父様は、堪えていらしたわ。どんなヒドイ扱いを受けても何も言わず黙っていた。見かねたメイドがお祖母様に話をして、雅代叔母様は叱られていた。それを逆恨みして、『よくもお母様に言いつけたわね!』って、…イタチごっこみたいに続いていたの」
亜由美は、上を見上げて
「お義父様、話していたわ。『自分が道を間違えずにいられたのは、すべてお母様が味方でいてくれたからだ。あの人がいなければ、私は人として最低になっていたよ』てね。『お母様の懐の広さは、計り知れない。あの人が亡くなった時、実の母が亡くなった時のように悲しかった』とも言っていたわ。でも、雅代叔母様の人格は、捻じ曲がってしまった。最期の瞬間まで、お祖母様は、それを悔やんでいたそうよ」
亜由美は、そこでふぅっと息をついて
「だから、お祖父様は、雅代叔母様に甘い部分があるのよ。で、話は元に戻るけど、お義父様からの取引に、お祖父様は応じて、私と佑介との結婚の話を進めたの。もう、雅代叔母様からヒステリーに似た抗議が出て来たわ。伝統あるH.C.Cの一族に、私のような野蛮な女を加えるつもりかってね。お義父様だけじゃなく、お義母様にも、めちゃくちゃな事言ってきたらしいけどね」
亜由美は、可笑しそうに笑う。
雅代の言ってきた事は、それほどに支離滅裂だったのだろう。
「でも、そこはお祖父様が捩じ込んで、収めたんだけどね。でも、ありとあらゆる悪口を会社中にバラ撒きまくって…それは、あなたも知っていると思うけど」
亜由美は、クスクス笑った。
今、こうして笑えるのは、今が幸せだからなのだろう。
だから、笑い話として受け止められる。
「でも、私、結婚出来ないって断ったの。で、会社に辞表を提出しようって思っていたのよ。でも、佑介が『だったら寿退社って事でいいじゃないか』って言ってきたの。口説き方も支離滅裂。もう笑うしかないわよ。結局、佑介の情熱に負けたんだけどね。それに…コウスケさんとは絶対に結婚したくない理由もあったし」
「理由ですか?」
アオイは、その部分が気になった。
亜由美は、顔を引き締めてから
「あの人ね、子供が出来ない体なのよ」
静かに言った。
あまりの事に、アオイは言葉を失う。
「子供が…出来ない?」
やっとことで、それだけ言えた。
「やっぱり知らなかったのね。あの人、昔、こっそり検査をしたらしくてね。それで明らかになったのよ。私には泥酔した時にポロっと話をしたの。本人は覚えてないでしょうけどね。どうやら、あなたは子供が出来ないのは、自分のせいだって思い込んでいたみたいね。まぁ、雅代叔母様に、相当言われたんでしょうけど。事実は違うの。子供が出来なかったのは、あの人のせいなのよ」
ハッキリとした口調で亜由美は言う。
アオイは、戸惑うしかない。
頭の中が真っ白になって、言葉が出ない。
(じゃあ、この子は…)
アオイの頭の中にカナメの顔が浮かぶ。
(そんな…バカな…)
ただ一度、それだけだったのに…
奇跡という確率で、アオイは子供を授かったのだ。
そして、妊娠したと分かった後のコウスケの行動の意味を理解した。
自分が子供の出来ない体だから、アオイが誰かと関係を持ったと確信したのだ。
そして、嫉妬深いコウスケは、お腹の子供を…
アオイは、グッと感情を抑える。
「で、そのお腹の子供の父親は?知っているの?あなたの妊娠を」
亜由美の問いに、答えられない。
認めてはならない。
それを認めたらいけない。
カナメを守りたい…だから。
「この子は、旦那様の子供です」
アオイは、静かに言う。
亜由美は息を飲んだ。
しばらく、アオイを見つめてから
「そう…分かったわ。あなたにとって、その人は守る価値があるのね。だったら、絶対に産みなさい」
「亜由美さん…」
「どんな事があっても、その子を守り抜きなさい。私も出来る事があったら協力するから。それにコウスケさんが子供の出来ない体だっていうのは、私しか知らないの。佑介もお祖父様も、みんなコウスケさんの子供だと思っている。だから、大丈夫よ」
自信に満ちた声で言う。
アオイは、頭を下げた。
「さ、行きましょう」
と、亜由美は、再び車をスタートさせた。
それから、日高の屋敷に到着して、亜由美と一緒に大ホールに向かった。
ドアの向こうにカナメがいた事は驚いた。
葛城製薬に出向になるのは分かっていたけれど、こんな残酷な巡り合わせはない。
しかも、コウスケがカナメの縁談を進めていた。
アオイは、必死に平常心を保った。
決して、動揺を気付かれてはならない。
カナメを…そして、お腹の子供を守り抜かないとならない。
その為には、どんな事だってやれる。
アオイの中で、決意が固まっていた。
しかし、雅代の言動や雅代に忠実なメイドの行い…さらに雅代によって手を回された病院によって、子供の命が危ぶまれた。
それを救ってくれたのは、カナメと亜由美だった。
アオイは、自分を受け止めてくれた時の感触を忘れられない。
ギュッと体を抱く。
(カナメ…私…)
涙が、とめどなく溢れてくる。
(ねぇ…助けて…この子を…守って…)
カナメとの事に嫉妬したのか亜由美と勝手に屋敷に来た事に対して怒っていたのか、昨晩のコウスケは荒れていた。
新しい痣が増えている。
(私…守れないかも…しれない…あなたの子供かもしれないのに…あなたの…)
「助けてよ…」
小さく呟いた。
コウスケが仕事で不在とはいえ、英子がいるのだ。
大きな声で泣けやしない。
(…ダメよ…弱気になったら…誰がこの子を守るの?)
そう自分に言い聞かせる。
お腹の子供は、アオイにしか守れない命なのだ。
カナメを巻き込む訳にはいかない。
アオイは、涙を拭いた。
小さく深呼吸をして
「そうよ、もう泣けない」
アオイは、自分に言い聞かせた。
この子がカナメの子供ならば、それは二人の愛の証明。
守り抜かなければならない。
亜由美も言っていた。
『絶対に産みなさい』
と…
(絶対に守り抜いてみせる)
アオイは、覚悟を決めた。
【コン、コン…】
ドアが鳴り
「奥様、失礼いたします」
英子の声がした。




