困惑2
この環境の中で、自分の事を気にかけているというのは、本当にありがたい事だ。
英子の役目が、アオイの監視だとしても…
それを考えると、暗くなってしまうけれど、英子の気使いは本当に嬉しかった。
その時…
【ピンポーン】
チャイムが鳴った。
英子は、インターホンの受話器を取り
「これは…亜由美奥様。わざわざお運びいただきまして…はい、では、外の者に言いつけておきます」
と、マンションの自動ドアを開けるスイッチを押す。
どうやら、亜由美が来たようだ。
しかし、時刻はまだ11時前…
英子は首を傾げながらも、玄関に向かい
「今から、亜由美奥様がいらっしゃいます。お通ししてください」
と、言いつける。
「しかし…旦那さまからは…」
SPの数人が困惑したように答えると
「大旦那様からの、言いつけです。責任は私が持ちます」
英子が、毅然とした態度で臨む。
SPの数人が顔を見合わせていると
「お疲れ様」
亜由美がエレベーターからフロアに現れた。
「これは…亜由美奥様」
SPも英子も恐縮したかのように畏まる。
「コウスケさんの方には、お祖父様から話が行きますから、あなた達に責任が及ぶ事はありません。もし、何かありましたら、私かお祖父様に言ってくだされば結構です」
亜由美は、微笑みながら言う。
SP達は、困惑しながらも
「分かりました」
と答える。
やはり、日高宗助の権力は、何よりも上に君臨している。
亜由美は、微笑みを浮かべたまま
「アオイさんは?」
と、英子に聞く。
「奥様は、ご準備を終えられて、今はお茶を…」
「まぁ、英子さんが煎れるお茶なら、美味しいでしょうね」
「では、亜由美奥様も…」
「残念だけれど、時間があまりありませんの。アオイさんに、すぐに出られるようにしていただけないかしら?」
亜由美の言葉に、英子は少しばかり戸惑った。
しかし、彼女はプロ。すぐに
「かしこまりました」
と、家の中に入って行った。
一旦、ドアを閉めてから、英子はリビングに取って返した。
「奥様」
と、アオイに声をかける。
アオイは立ちあがり
「あら、亜由美さんは?」
当然、亜由美が一緒に来ていると思っていた。
しかし
「いえ、亜由美奥様が、奥様に出かける準備をと」
「え?」
アオイは、時計を見る。
やはり、まだ早い。
もしかしたら、迎える準備を整えるように宗助から言いつかってきたのだろうか?
だとしたら、急がなければならない。
「では、バックを取ってきます」
と、自分の部屋に行こうとするが
「では、私が…」
英子が言う。
アオイは、首を横に振り
「少しは、動かないと」
と苦笑まじりに言った。
「はい…」
「英子さん」
「はい?」
「お茶、とても美味しかったわ。また入れてくださいね」
その微笑みは、お世辞ではなく本心からの言葉だという証明だ。
英子は、微笑み返して
「ありがとうございます」
一礼する。
アオイは、自分の部屋に入りバックを取る。
中身は、ハンカチなどしかないハンドバックだ。
自由のきかない身なのだから、財布や携帯は必要ないし、コウスケから取り上げられている状況だ。
アオイは、軽い緊張を覚える。
思えば、亜由美とまともに話した記憶はない。
会社主催のパーティなどで、挨拶程度の会話。
コウスケの元・恋人…コウスケを捨てて佑介と結婚した人…
会話など、成り立つのだろうか?
不安がよぎる。
しかし…
(逃げる事は許されない)
バックを、グッと握りしめアオイは顔を上げて部屋を出る。
「では、行ってまいります」
いつものように、優しく微笑んで英子に言う。
「玄関まで、お送りいたしますね」
英子も変わらない笑顔だ。
玄関には、アオイのワンピース合うローヒールのパンプスが揃えてあった。
英子が気を利かせておいたのだろう。
「英子さん、ありがとう」
アオイは、英子に感謝を述べてから、パンプスを履く。
「では、行ってらっしゃいませ」
英子が玄関のドアを開けた。
ドアの向こうで亜由美が、微笑んでいた。
アオイは、思わず構えてしまう。
亜由美は、それを悟ったのか
「大丈夫よ。取って食ったりはしないから」
クスクス笑いながらいい、アオイの手を取る。
「さ、行きましょう。いつまでも、表に無断駐車している訳にはいかないから」
と、優しくアオイの手を引いた。
「え?亜由美奥様、ご自分で運転されるのですか?」
英子が驚いた様子で訊ねる。
亜由美は、ニッコリと笑い
「あら、いつも私用で出かける時は、自分で運転しているのよ」
と、答える。
「で、でも…」
アオイの体を気使い、英子が慌てている。
「大丈夫。私、安全運転よ」
亜由美は、爽快に笑う。
アオイは、戸惑っていた。
どうも、アオイが感じていたイメージとは違う。
亜由美は、にっこり笑い
「さ、行きましょ」
と、アオイと共にエレベーターに乗る。
「じゃ、英子さん、今度は、お茶を頂きに参りますね」
と、笑顔で言う。
しかし、エレベーターが閉まると
少し表情が険しくなる。
「あなたと二人で話がしたくてね」
と、小さく言う。
「え?」
「あそこだと、監視の目があるから、話しにくい事なの」
亜由美は、正面に視線を固定したまま答えた。
正直、何が何やら分からない。
一階に降りてから、マンションのエントランスを抜けてマンションの外に出る。
柔らかい日差し。
心地よい風。
道行く人々。
動いている街。
監禁生活を送っているアオイにとっては、心地いいものだった。
確かに、外出する事もあったが、コウスケから雁字搦めにされている状態なのだから、監禁されていると同じだ。
「あんな所に監禁されているから、気持ちいいでしょ?」
亜由美の言葉に
「えっと…」
アオイは、何と答えてよいのか分からない。
「とりあえず、乗って。心配しなくても、安全運転だから」
亜由美は、優しく微笑んだ。
「はい…」
アオイは、後ろの席に乗ろうとしたが
「あ、前に乗って。話をしたいから」
亜由美に言われ、助手席に乗る。
妊婦を助手席に…大丈夫だろうか?
運転席に乗り込んだ亜由美は、アオイのシートベルトをお腹に負担がかからないようにかけて、自分のシートベルトもかける。
「じゃ、出発しましょ」
と、車をスタートさせる。
宣言通りの安全な運転であった。
緊張した様子のアオイに
「そんなに緊張しなくてもいいわよ。あなたとゆっくり話がしたかったの…そのお腹の子供の事も含めてね」
最後の部分は、声を顰めた。
「え?」
アオイは、驚く。
「その子、コウスケさんの子供じゃないでしょ?」
亜由美は、確信したように言う。
あまりの一言に、言葉を失う。
「そ…そんな…」
アオイの頭の中は、真っ白になる。
(何を言っているの?)
微かな怒りさえ覚える。
だが、アオイ自身、お腹にいる子供の父親がコウスケではなく、カナメであってほしいと願っていた。
そこを突かれたようで、言葉が出ない。
アオイの様子をチラッと見て
「あなた…もしかして、知らないの?」
亜由美は驚いた様子で聞く。
「え?」
何の事だか分らなかった。
亜由美は、はぁっと溜息をついて
「なるほど、あのプライドの高い人だから言わなかったのね」
勝手に納得したようだ。
「じゃあ、私が話すわ。私とコウスケさんの事もね」
亜由美はハンドルを、グッと握りしめた。
「知っていると思うけど、私は昔、コウスケさんと付き合っていたの」
亜由美は、話を始めた。
「知って…ます」
アオイは、グッと拳を握った。
「じゃあ、きっと、私がコウスケさんを捨てて佑介に走ったって思っているでしょ?」
「…ええ」
亜由美は、クスクス笑い
「ハッキリ言うわね。まぁ、事実ではあるけどね。そこに至った理由、教えるわ。あなたは知っていると思うけど、日高コウスケという男は、最低な男だったわ」
亜由美は、近くのパーキングに車を停めた。
そして、話を続ける。
「最初は、紳士のように優しかったわ。コロッと騙されるくらいにね。でも、私に近づいたのは、社長である宗男お義父様の情報を得るためだけだった。付き合い出してから、あの人は徐々に本性を見せ始めたの」
亜由美は腕を組んでから
「殴られるとか、そんなの日常茶飯事。しかも、見えない所ばかり。少しでも見えていたら、転んだ事にして私を気遣うフリまでしていたわ。社長の情報を流せ…そう脅されていた。言う事を聞かなければ、また暴力を振るった。それだけじゃないわ。私がコウスケさんと付き合っているって知った雅代叔母様から、執拗な嫌がらせが続いた。ほんと、心も体もボロボロになって、何度死にたいって思ったか…」
亜由美は、腕の力を強める。
亜由美自身も、思い出したくない過去なのだろう。
だが、なぜアオイに話しているのだろうか?
そんな疑問に気付いているのかいないのか、亜由美は話を続けた。
「そんな時だった。佑介に声をかけられたのは。私がコウスケさんに、酷い目に遭わされているって知って、親身になって話をしてくれたの」
亜由美の表情が少し険しくなった。
「でも、コウスケさんの事で、日高家に不信を抱いていた。『この男も私を利用する為に…』って疑ったりもした。でも、佑介って、すごい根性あるのよね。どんなに邪険にされてもめげなくて、知らないうちに惹かれていたの。」
亜由美は、懐かしそうに…だが嬉しそうに微笑んだ。




