困惑1
―パーティー当日に話は戻る。
窓の外には、いつものようにビルが見える。
アオイは、ベットに腰掛けたまま、黙ってその景色を見つめていた。
しかし、アオイの眼中には、ビル街は見えていない。
昨日の一件が、アオイの心をかき混ぜて混乱させている。
カナメが、コウスケの部下になっていて、しかも、コウスケに信頼をされている事。
カナメに縁談の話が持ち上がっている事。
雅代によって、お腹の子供の命が狙われた事。
そして、亜由美からもたらされた話ー
すべての事をアオイは、うまく整理出来ないでいた。
なによりも、亜由美の話は…
信じられない話であった。
(そんなバカな…)
お腹に手をやり、アオイは考える。
亜由美の話が本当ならば…お腹にいる子供の父親は、カナメになる。
たった一度だけ…
それだけしか愛し合う事が出来なかった。
なのに、こんな事が起こりうるのだろうか?
アオイは、亜由美の話を思い出した。
監禁生活に慣れて来たアオイは、ひたすらお腹の子供をコウスケから守る事に徹していた。
コウスケの暴力は、続いていた。
腕や足には、無数の痣が出来ていた。
アオイは、お腹だけは必死に庇い続けた。
その行為が気に入らないのか、コウスケはいつも以上に不機嫌だった。
日曜日の朝、コウスケは英子に
「今日は、会社の部下達と用事がありますから、出かけます」
にこやかに言った。
英子は、アオイを見て
「では…奥様も…」
と言いかけたが、
「いいえ、アオイには養生してもらいます。ですから、アオイの事をよろしくお願いしますね」
(そんなセリフをよく言えたものだ…)
アオイは、表情に出さすに思った。
毎日、アオイは腕や足の痣を英子に見つからないように隠し通しているのに必死なのに…
「ですが…」
英子は、何か言いたげだったが
「アオイには、元気な子供を産んでもらわないとなりませんから」
コウスケは笑顔で言った。
(そんな事、微塵も思っていないくせに…)
ハラワタが煮えくりかえる思いだ。
朝食が終わり、コウスケは出かける準備を始める。
アオイは、黙ってクローゼットの中から着替えを取り出して、コウスケに渡す。
沈黙だけが流れた。
着替えを済ませたコウスケは、セカンドバックに財布などを詰めてから部屋を出る。
「それでは、アオイの事をよろしくお願いします」
笑顔で形だけの言葉。
「いってらっしゃいませ、旦那様」
アオイは、頭を下げて見送る。
「お気をつけて」
英子は、にこやかに見送った。
玄関が閉まると、アオイは顔を上げてから、
「体調が悪いので、少し横になります」
いつものように、寝室に入っていく。
窓の外の景色はいつもと変わらない。
これからも…きっと、変わらないだろう。
だが、子供が生まれれば何かが変わるはずだ。
…コウスケも。
自分の子供を見たら、変わるかもしれない。
今の状況から考えると、可能性はゼロに近い。
それでも、微かな希望として、アオイは祈るしかなかった。
いつもと変わらない…そう思っていた。
だが、アオイにとって忘れられない日になった。
だが、その時は横になり、虚ろな表情で窓の外を見ていた。
ドアの向こうから電話の音。
『もしもし、日高でございます』
いつものように、英子が応対している。
『大旦那様!』
英子が声を上げる。
(大旦那様?お祖父様かしら?)
体を動かして、起き上がる。
『…はい、旦那様はお出かけに…え?…ですが、旦那様が奥様には養生をと…いえ、そのような…かしこまりました…では、亜由美様がお迎えにいらっしゃるのですね?…はい、かしこまりました』
何が起こっているのだろうか?
アオイは、ベットから立ちあがりドアへと向かう。
アオイがドアのノブに手をかけようとすると、ドアが開いた。
「あ、奥様」
英子が、驚いた表情でアオイを見つめる。
「どうかしましたか?」
アオイの問いかけに
「奥様、大旦那様より本日のホームパーティに出席するようにとの事です」
英子の言葉にアオイは驚いた。それは初耳だった。
「え?ホームパーティ?」
アオイは、意味が分からない。
「旦那様からお話がございませんでしたか?」
英子の問いかけに
「ええ…何も」
アオイは、頷いた。
英子は首を傾げたが
「本日の午後、本邸にて、旦那様が部下の方々を招いてホームパーティを開かれるそうです」
と、アオイに告げる。
「そうですか…」
アオイは、知らされなかったという事は驚いてない。
コウスケならやりそうだから。
ただ…祖父・宗助により、そのホームパーティに参加しなければならない事に危機感を覚えた。
本能的に…
雅代と離してくれた事に関しては、コウスケに感謝していた。
あのまま、あの屋敷にいたら、子供の命は危なかっただろう。
雅代なら…やりかねない。
だから、アオイは、コウスケから子供を守るだけでよかった。
しかし、本邸のホームパーティに出なければならないという事は、最悪の場合、本邸で一夜を過ごさなければならない。
そうなれば、雅代は喜んでお腹の子供もろとも、アオイに危害を加えるだろう。
「奥様?」
アオイの顔色が青ざめていた。
「…わかりました。では、服を着替えますね」
アオイは、精一杯の笑顔で答える。
日高家の当主たる宗助の命令は、聞かなければならない。
それが、どんな理不尽な事であっても…
英子は、にっこりと笑い
「今から、亜由美さんがお迎えに来てくださるそうです」
と、アオイに告げる。
「え?…」
アオイは、驚きを通り越して凍りついた。
日高亜由美は、コウスケの従兄弟である佑介の妻。
しかし、コウスケの元恋人でもあるのだ。
アオイは、噂で聞いた事がある。
コウスケと秘書課に勤務していた亜由美は、周囲が羨む程、仲睦まじい恋人同士だった。しかし、亜由美は、コウスケを捨てて佑介と結婚した。
当時は、ヒドイ女性だな…と思っていたが、今は違う。
亜由美は、コウスケの本性を知っていたのではないか?
だから、佑介を選んだのではないか?
アオイの中で、それは確信していた。
それでも、今でも二人の仲が続いている事を疑っている。
もしかしたら、佑介を陥れる為に、コウスケに命令されて結婚したのではないか?
そんな疑いも抱いているのだ。
「わかりました」
アオイは、笑顔で答えてクローゼットから、服を選ぶ。
ワンピースがいいだろう。
コウスケの印象を良くする為、淡い色が。
いくつかあるあるワンピースの中から、デザイン・色とも清楚な感じのワンピースを選ぶ。
服を着替えてから、ドレッサーの前に立ち、髪に櫛を通した。
バレッタで、横髪を止めてから、ワンピースにコサージュを胸につける。
そして、膝上のストッキングを履いた。
全身が見える鏡の前に立ち、身なりをチェックする。
(これなら大丈夫ね)
確認してから、部屋を出て
「英子さん」
と、リビングで掃除をしている英子に声をかけた。
「何でしょう?」
英子が返事をすると
「これでどうでしょうか?」
と、英子にチェックをしてもらう。
英子は、まじまじとアオイを見てから
「大丈夫ですわ」
ニッコリ笑って、OKを出した。
「ありがとうございます」
英子からの返事にアオイは、笑顔でお礼を言ってから
「…亜由美さんは、いついらっしゃるの?」
と英子に訊ねる。
英子は、少し思い出すように考える仕草をして
「たしか、お昼ごろになると…」
と、答える。
時計を見るとまだ10時を過ぎたばかりだ。
「少し時間がありますね…」
アオイは、小さく呟く。
英子は、にっこりと笑い
「では、お茶でもいかがですか?今日は、とてもよい茶葉が手に入りましたのよ」
と、台所に向かう。
「でも…今は、お仕事の最中じゃ」
アオイが、立ちあがると
「よろしいですのよ」
と、英子は楽しそうにやかんを火にかける。
アオイは、黙って待っているしかなかった。
「どうぞ」
にこやかな笑顔で英子は、ティーカップをアオイの前に置く。
「ありがとうございます」
アオイも笑顔で答えて、ティーカップを手に取る。
濃厚で優しい香りが鼻をくすぐる。
一口飲むと、なめらかで濃厚…それでいてやわらかい。
「とても、美味しいですね」
アオイが優しい表情を浮かべて言うと
「よかったですわ」
ホッとしたように英子が言う。
「え?」
「最近、奥様のお元気ないように見えましたから…余計な事ですわね。申し訳ありません」
英子が頭を下げる。
「いえ…そんな…ありがとうございます」
カップをテーブルに置いて、アオイは頭を下げる。
「英子さんに、気を使わせてしまって…」
「この年になりますと、おせっかいが過ぎて、本当いけませんわね」
英子は苦笑いを浮かべる。
「いえ、ありがとうございます」
アオイは、素直に頭を下げた。




