疑惑1
屋敷に残っていたカナメは気が気でなかった。
(アオイ…大丈夫なのか?)
だが、表面的には何事もないかのように振る舞う。
「そう言えば…奥様は?」
コウスケの周りにいたうちの一人が問いかける。
コウスケは、にこやかに
「顔色がよくなくてね、今、亜由美さんが病院に連れて行ってくれているんだ」
心配そうに言う。
「大丈夫なんですか?」
「亜由美さんが付いていてくれているし、大丈夫だろう。でも、心配ではあるね」
コウスケは、苦笑しながら答える。
「いいのですか?奥様の所に行かなくても」
「アオイが『大切なお客様だから残っていてください』と言うんだよ。途中で抜ける事を申し訳なさそうにしていた」
そうやって微笑むコウスケが、わざとらしい…と冷ややかに思うのは、カナメだけだろう。
「じゃあ、私達そろそろ…」
皆が顔を合わせて言う。
「いや…」
コウスケが何か言おうとしたら、
【ガチャ…】
とドアが開き
「皆様、せっかくですから夕食までいかがですか?」
機嫌よく現れたのは雅代。後ろには貴子を連れていた。
「こちらの貴子さんが、皆様にお料理を振る舞いたいって、仰っていますのよ」
すごぶる機嫌がいいようだ。
それもそのはず…
先程、メイドがアオイを突き飛ばして階段から落ちそびれて、病院に行った事を聞いた。
最初は、失敗したメイドを詰ろうとしたが、よく考えてから、病院に電話をかけた。
(確か、あの病院は老朽化が進み、建て替え費用の工面に苦労しているはず)
そういった情報は、雅代の耳にも入っていたのだ。
受付の女性から医師に代わってもらい
「今から、そちらにあの女が来るから、…分かりますわね?成功しましたら、あなたの医者としての名声と病院の改装費を約束します。失敗した場合は…どうなるか分かりますわね?」
そう言って受話器を置いた。
万が一医師が迷っても、あの病院には雅代が買収している看護師がいる。
彼女が何とかするだろう。
「フフフ…これでいいわ」
上機嫌になった雅代は、貴子を呼び
「さぁ貴子さん、今日は皆様に手料理でもごちそうしましょう。日高家の嫁として、ね」
上機嫌な雅代に貴子は戸惑ったが、とりあえずアオイとの事を精算出来る材料を手に入れたのだろう、と悟り
「はい、ぜひに」
貴子も機嫌よく答えた。
雅代は知らない、その謀が失敗した事を。
そして、執事を伴い大ホールへと向かった。
だが…
「せっかくだけど、今日はもう…」
コウスケがにこやかに言う。
「コウスケさん、せっかく貴子さんが、仰っていますのよ。皆様だって貴子さんの手料理を、お食べになりたいでしょう?」
そう言って、周囲を見渡す。
皆、どう反応してよいか困っているようだ。
「お母様、皆が困っています。今日はこれまでという事で。それに私はアオイの事が気になりますし」
コウスケの言葉に、雅代はカチンと来たが、すぐに笑みを浮かべ
「あの方なら大丈夫ですわよ」
と不敵な笑みを浮かべる。
コウスケは、冷ややかに見つめ
「とにかく、お開きにします。皆、今日はわざわざありがとう」
そう言った。
「コウスケさん、私はあなたが普段お世話になっている皆様に…」
コウスケは、はぁっと呆れたように息をついて
「皆にも都合があるんですよ」
たしなめるように言うが
「何を言っているのですか?業に入らば業に従えという言葉もあるでしょう?」
「下で頑張ってくれている者達に対する配慮がなければ、上に立つ資格はありません」
コウスケは、キッパリと言い
「今日は、お開きにします。貴子さん、申し訳ありません」
と、貴子に向かって頭を下げた。
貴子は、困ったように雅代を見る。
「コウスケさん、あなた…」
雅代が何か言いかけるが
「後で伺います。今はお客様がいるでしょう?」
笑顔を作り上げる。
雅代は、ぐっと言葉を抑えた。
「皆、今日は本当にありがとう。アオイが途中で具合が悪くなったのは非常に残念だが、また気軽に来てくれると嬉しい」
にこやかな笑顔で、言う。
そこに流れる、気まずい空気…
その場にいた全員が顔を見合せてから
「では…」
と言いながら退室していく。
雅代の鋭い視線に、苛まれたが、その場にいるよりかマシだと考えた。
最後にカナメが出ていこうとすると
「穂積君」
コウスケに声を掛けられる。
「はい?」
振り向き様に返事する。
コウスケがにこやかな笑顔を浮かべている。
カナメは、笑顔を浮かべて
「分かっています」
と言う。
だが、コウスケは苦笑いをしながら
「その事じゃないよ。君は、そういう人間じゃないのは解っている。今日は、ありがとう」
と言われ、カナメは何の事なのか解らずにいると
「アオイの事だよ。助けてくれた事、感謝している」
コウスケが軽くだが頭を下げた時は、正直驚いた。
「いえ…そんな、大したことでは…」
「いや、君のお陰で大切な命が守られた、感謝しても足りないくらいだよ」
言いながら微笑むコウスケ。
…だが、何か影がありそうだ。
「今日は、来てくれてありがとう。昔の同窓生に会えて、アオイも喜んだことだろう」
「私も、懐かしい方に会えて嬉しいです」
カナメは、口でそう言っているが、本当は、叫びたいくらいに喜んでいたりする。
カナメは一礼して
「それでは失礼いたします」
と言いながら、退室しようとする。
だが、一瞬、背後から悪意にも似た視線を感じた。
背後には、コウスケしかいない。
アオイを助けた事が、コウスケに疑惑を持たせたのだろうか?
カナメは振り向く事が出来ない。
恐怖…という訳ではない。
ここで振り向いたら、何かを失う気がしたからだ。
長い廊下を歩き、エントランスに着くと、カナメは腕時計を見る。
(4時前か…)
バイトの時間までまだ余裕がある。
(どっかで時間でも潰すか)
そう思いながら玄関を出ようとした時…
「お待ちなさい」
背後から声がする。
振り向くと、雅代がにこやかな笑みを浮かべている。
その後ろには執事が控えていた。
カナメは、嫌な予感がした。
雅代の微笑みが不気味なモノに見えてくる。
「何か、御用でしょうか?」
カナメは、それを隠しながら、雅代に歩み寄る。
「ええ、あなたにお願いがあるのよ」
雅代は、不気味な笑みを浮かべる。
「私にですか?」
カナメは、背中に変な汗が流れるのを感じたが、それに堪えた。
「立ち話では、何ですから、こちらにどうぞ」
と、カナメを応接室に誘う。
グッと拳を握り締めて、カナメはそれに従った。
「そこへどうぞ」
雅代に、応接室のソファを薦められ
「失礼いたします」
素直に座る。
素材からデザインまで、豪奢な造りをしているソファだ。
(一体いくらすんだよ?)
と、思いながらも雅代の動向に気を使う。
【カチャカチャ…】
隅の方では、執事が、お茶の用意をしていた。
「あなたをお呼びしたのは他でもないわ、コウスケさんの事なの」
不気味な笑みを浮かべてまま、雅代は話を切り出した。
「部長の…事でしょうか?」
何の話になるのか、掴めない。
「あなた…コウスケさんにとても信頼されている部下だそうね?」
雅代の問い掛けに
「いえ…私など…」
カナメは、首を横に振る。
「謙遜しなくても結構よ。あなたが、コウスケさんにとても信頼されている事は聞いていますもの」
ホホホ…と上品に笑うが、カナメには気味が悪いモノにしか見えない。
次の瞬間、表情は一変に険しいモノとなり
「そして、あの女…アオイの同窓生だそうね?」
悪意にも似た問いに、カナメは、身震いする。
「はい…そうですが」
何とかそれだけ答える。
何が来るのか予想がつかず、カナメは唾を飲み込む。
だが、雅代は再び不気味な笑みを浮かべ
「そこであなたにお願いがあるの。あの女…アオイが昔、男遊びが激しくて堕胎を繰り返していた…とでも、コウスケさんに吹き込んでいただけないかしら?」
「え?」
あまりの事に、カナメの頭は真っ白になる。
「言い方は、どうとでもいいわ。とにかく、今、お腹にいる子供がコウスケさんの子供ではない、とコウスケさんに信じさせる事が出来ればいいわ」
雅代は、フフ…と笑い
「報酬は、いくらでも出しますし、あなたの出世も約束いたしますわ。…あなたが望むなら、よい所のお嬢様を紹介いたしますわよ」
悪魔のような誘い掛けだった。
カナメは怒りで我を忘れそうになった。
自分に…アオイを愛する自分に、アオイの人間性を否定する事を口にしろ…と言うのか?
(ふざけるな)
カナメは、雅代に殴りかかろうとしたが、グッと留まった。
ここで感情的になれば、アオイが…頑張ってきた意味が失われる。
歯を食いしばるように、怒りを堪えた。
「どうです?」
雅代は、悪魔にも似た笑みを浮かべる。
その時…
【バーン!】
ドアが激しく鳴った。
「いい加減にしてください!」
コウスケが入ってくる。
「コウスケさん」
雅代の声が裏返る。
「黙って聞いていれば、何を言い出すんですか?」
コウスケの問い詰めに
「わ…私は、コウスケさんの事を思って…」
「僕の事を思うなら、余計な事はなさらないでください」
「コウスケさん…」
「僕の妻はアオイだけです。お腹の子供は私の子供です」
キッパリと言い切ってから
「申し訳ない事をしたね」
そうカナメに言う。
「母の戯れ言は忘れてくれ。さ、君も早く帰りたまえ」
コウスケに言われ、カナメは立ち上がり
「失礼いたします」
一礼してから、部屋から出ていった。
コウスケは、カナメが部屋から出るのを確認すると、
「お母様、僕達夫婦の事は、もう放っておいてください」
静かに言う。
「お母様が、病院に圧力をかけた事は聞いています」
「コウスケさん…」
「…もう止めてください」
そう言い残して、コウスケは部屋を出ていく。
ワナワナ…雅代が震えていた。
「…冗談じゃないわ」
どす黒い声で言う。
「諦めてなるものですか…コウスケは私の…私の…」
ニヤリと笑い
「モノよ」
常軌を逸脱した目で言った。




