未遂2
一方でアオイは、亜由美の車に乗せられて、屋敷を出た。
アオイに気を使ってか、緩やかで丁寧な運転だ。
「さっきの方、知り合い?」
唐突に亜由美が聞く。
「え?」
アオイは、誰の事だか分からなかった。
「さっき、階段で会った人よ。あなたと赤ちゃんの恩人」
亜由美の言葉に、アオイは迷った。しかし…
「ええ、小学校と中学校の同級生なんです。偶然、今日再会して、正直驚きました」
笑顔を浮かべて答える。…嘘をつくのは、心苦しかったが。
「そうなんだ。懐かしいわよね。でも、そんなのに浸って話をしていたら、彼…あの人に潰されたでしょうね」
「…ええ、そうですね」
アオイは、グッと拳を握る。
―そうだ。あの嫉妬深いコウスケなら、アオイが他の男と親しげにしていれば、潰そうとするだろう。
亜由美は、前を見ながら
「彼…、あなたと何かあった?」
唐突な質問に、アオイは驚いた。
「…どうして?」
「だって彼、頻繁にあなたをチラチラ見ていたんだもの。あなたも、分からないようにしていたけど気にしていたようだった」
亜由美の洞察力には、驚かされる。
アオイは、俯いてから、笑顔を浮かべる。
「…同級生だから、気になります。こんな状況にでも、話が盛り上がれば、旦那様の癪に触れる事になるでしょう。私の為に関係のない穂積君が犠牲になる必要はありませんから…」
そう言って苦笑する。
「そう?それだけ?」
「はい、私の為に何の関係のない方を犠牲にはしたくありませんから」
アオイが、笑みを作った。
…本当は、違う。
誰よりも大切な人だから、守りたい。
カナメの未来を守りたい。
正直、会場にカナメの姿を見つけた時は驚いた。
コウスケが葛城製薬に出向するのは聞いてはいたが…
よもや、カナメがコウスケの部下になっていたとは。
運命に似たものを感じずにはいられない。
だが、同時にアオイは、運命を呪った。
こんな残酷な運命を…
「そうなの。ま、それはおいといて、今回の事…あの人はどう思うのでしょうね」
亜由美の言葉がグサリを突き刺さる。
【あの人】…それは、コウスケの事であろう。
カナメが助けた事により、お腹の子供の命は長らえた。
しかし、コウスケは、おそらく、いや確実に、この子の誕生を望んではいない。
お腹に手を当てた。
(守らなきゃ…この子は必ず…)
アオイは固く誓った。
いつも通っている産婦人科に到着すると、亜由美はアオイを支えるように中に入って行く。
「すみません、日高ですが…」
亜由美が受付に言うと
「あ、は、はい!今日はどうされましたか?」
受付の女性の目は泳いでいた。
「先程、階段から落ちかけてしまって、子供に影響していないか診ていただけたら」
「それは大変ですね、すぐに検査しますね」
そう言ってから急いでカルテを用意する。
少しの間をおいてから
「日高さん、どうぞ」
看護婦の案内で、中に入る。
だが…
「すみません、ご遠慮ください」
看護婦が亜由美を通さないようにする。
亜由美は
「私は、お祖父様より、アオイさんを…」
「ですが、ここからは」
看護婦が引かずにいると
「すみません、亜由美さんがいてくださった方が心強いので」
アオイがそう言う。
看護婦は、医師を見る。
医師が頷くと
「では、どうぞ」
と道を開けた。
前と同様に、台に座ったり超音波で診たり、その間、アオイは気が気でない。
(お願い無事でいて…)
願わずにはいられない。
やがて、検査が終わり、医師の前の椅子に座る。
後ろには亜由美が控えていた。
「お子さんは大丈夫ですよ」
医師は、カルテと超音波の写真を見ながら、そう言ったが、どこかぎこちない感じがする。
「ただ、奥さん、ちゃんと食べていますか?」
医師の質問に
「はい、ちゃんと食べています」
アオイは答えたが
「でも、栄養不足みたいですね、とりあえず栄養剤出しておきますから」
そう言って、カルテに書き込む。
「では、待合室でお待ちください」
看護師に言われて、診察室を後にする。
待合室で待っている間、亜由美は何か考えているようだった。
「日高さん」
受付の女性に呼ばれ、支払いを済ませる。
「では、この薬を一日3回服用してください」
と、薬袋を差し出す。
アオイが受け取ろうとしたが、パッと亜由美の手が早かったらしく、薬袋は亜由美の手に渡った。
亜由美は、薬袋を開けて中の錠剤を取り出した。
受付の女性だけではなく、後ろに控えていた看護師も動揺していた。
亜由美は、錠剤をジッと見つめ、そして視線を看護師に向けて
「これは…栄養剤ではないですね?」
見据えて問いかけた。
看護師は、驚いてから
「それは栄養剤ですよ。何をおっしゃられているのですか」
明らかに動揺していた。
亜由美は厳しい表情になり
「この薬は、流産を誘発する薬ですよね?」
詰め寄るように言う。
看護師は、
「ち、違います!何を言っているんですか?」
動揺しながらも、ムキになって答えた。
「では、この薬を他の病院で見ていただきましょうか?」
亜由美がそう言うと、看護師は言葉に詰まって何も言えない。
【キィィ…】
診察室のドアが開く。
「その通りです」
切羽詰まった表情で医師が中から出てきた。
「先生!」
看護師が声を上げる。
「いいんだよ」
静かに医師は言う。
「ですが…」
看護師は、さらに続けようとする。しかし…
「いいんだ。私が間違っていたんだ。小さな命の誕生を手助けしなければならない立場なのに…」
そう言ってから、すぐに土下座して
「申し訳ありません、奥様」
額を床に付けて謝る。
アオイは、何が何やら分からずにいたが、亜由美は息をついて
「雅代叔母様ですね?」
医師に確認するように聞いた。
医師が答えられずにいる。
それは、肯定している…と同じことだ。
「先程、電話があったんです」
堪らない様子で声を上げたのは受付の女性だった。
「あなた!何を?」
看護婦が制止しようと女性の肩を握る。
受付の女性は、わぁっと顔を押さえて泣き出す。
「電話とは?」
亜由美が医師に問いただそうとするが
「電話なんてありませんでした!そうですよね?」
看護師が割って入ろうとする。
「あなたは、雅代叔母様に雇われているのね?」
亜由美がそう聞くと
「それは関係ないでしょう?」
看護師は、ツンとした態度で挑んだ。
「この事は、お祖父様に報告させていただきます。雅代叔母様の差し金も含めてです。それがどういう意味かお分かりですよね?」
亜由美の言葉に
「そんな事が出来るはずが…」
看護師が鼻で笑うように言うと
「この度の雅代叔母様のやりようにお祖父様は心を痛めておられます。だから、私をアオイさんに付き添わせているんですよ」
亜由美は強気の姿勢を崩さない。
医師は項垂れたまま
「あなた方が来院される直前でした」
医師が重い口を開いた。
「先生!」
看護師が制止しようとしたが…
「もういいんだ」
医師は、キッパリと言ってから、アオイを見て
「日高の大奥様から、電話が入り、『今からそちらにあの女が来るから、…分かりますわね?成功しましたら、あなたの医者としての名声と病院の改装費を約束します。失敗した場合は、どうなるか分かりますわね?』…と」
そう言ってから再び項垂れた。
「私は、医者として何て事を…」
医師は、後悔しているかのように項垂れたまま両手を見つめていた。
「未遂に終わりましたし、医師が後悔されているのですから…」
アオイは、静かに言う。
大切な我が子が殺されようとしていたのだ。怒りはある。
だが、罪を認めたし後悔もしている。
…だからといって許される訳ではない。
それよりも、雅代に対しての怒りの方が大きい。
「この事は、お祖父様に報告させていただきます。ですが、素直に告白していただきましたから、病院だけは何とか守らせていただきます」
亜由美が言うと
「そんな事が出来るのですか?」
声を荒げたのは看護師。
「雅代奥様は、日高会長の娘ですよ。雅代奥様の意向を無視して日高会長が黙っているわけが…」
怒りをぶつけてくる。
亜由美は、ふう…と息をついて
「今回の雅代奥様のやりようにお祖父様が心を痛めておられます。それは先程申し上げたでしょう?」
と、答えたが看護師は納得出来ずに
「でも、雅代奥様は…」
まだ抵抗を続けた。
「雅代叔母様が、この病院に圧力をかけるとしたら、お祖父様の権力を使うしかありません。ですが、お祖父様は、それを使わせないでしょう。その為に私をアオイさんに付き添わせているのですから」
亜由美は、ハッキリと言い切った。
「私に任せてください」
亜由美は医師に言う。
医師は、何も言わずにコクンと頷くだけだ。
亜由美は、看護師を見て
「雅代叔母様に報告するなら、どうぞ」
と、言いアオイの肩を抱くようにして、病院を後にする。
看護師は、どうしてよいやら分からずに立ちすくんでいたが
「日高の大奥様に報告をしなさい」
医師は静かに言う。
「ですが…」
「私は医者として間違いをした。医者として生きていけないのなら、それは罰だろう」
覚悟を決めたように静かに言った。
「さぁ、患者さん達の受け入れ先と君達、職員の再就職先を当たってみよう」
そう言ってから立ち上がり、診察室へと戻った。




