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君と僕との秘密の日々  作者: 如月まりあ
22/59

縁1

カナメが、いつものように出勤すると、社内…というより総務課内は、何やらざわめいていた。


H.C.Cと上層部の方で何かあったのか?


まさか、リストラとかじゃないだろうな…


そんな事を考えながら、いつものように、書類を決済していた。


しかし、コウスケが出勤してくると、ざわめきが広がった。


「おめでとうございます。日高部長」


誰かの一声で、コウスケの周りには人垣が出来る。


カナメは、書類から目を離して近くにいた同僚に


「何?日高部長何かあった?」


と訊いた。


同僚は、驚いた顔になり


「お前知らないのか?日高部長の奥さん、妊娠したらしいぜ」


そう答えてから彼もまた人垣に向かっていく。


カナメは、呆然としていた。


(アオイが妊娠?)


身体中が震える。


(そんな…)


カナメの中で、アオイが遠ざかるような感覚が、巡っている。


深い絶望と悲しみ、そして悔しさが湧いてくる。


(…なんだよ…なんなんだよ…なんで…)


グッと拳を握る。


だが、ふと…


(もしかしたら…)


と顔を上げる。


(俺の子供かもしれない)


と、そんな考えがよぎる。


あの時の…子供


すると、カナメの中を駆けずり回っていた絶望感が、小さな喜びに変わった。


それが、どんなに自分自身に都合がよい考え方であるかなんて、分かっていた。


だが、カナメは失いたくなかった。


【アオイ】との絆を…


「おめでとうございます」


と社員から祝福を受けるコウスケの元に、カナメは向かう。


そして、笑顔を作って


「日高部長、おめでとうございます」


と拍手をしながら声をかける。


笑顔や拍手は、わざとらしく見えたのだろうか?


カナメは、精一杯自然に振る舞ったつもりだが、実際はどうだっかは分からない。


しかし、コウスケは


「ありがとう穂積君」


笑顔で答えた。


「男の子ですか?女の子ですか?」


冷やかしまじりに誰かが聞いた。


コウスケは、困ったように笑いながら


「まだ分からないよ」


と答えた。


「じゃあ、どちらがいいですか?」


別の女子社員の問いかけに


「そうだねぇ、やはり女の子かな。妻によく似た」


照れながら答える。


「日高部長、照れてる」


全員で冷やかしモードに入っていた。


無論、カナメもだが…


だが、コウスケは笑顔を向けて


「さ、そろそろ仕事を始めてもらわないと」


と少しすごみを利かせた。


全員が、始業時間をとっくに過ぎている事に気づく。


皆がバラバラと自分の席に戻り、それぞれの作業を始める。


カナメも席に戻り、書類を決済していたが…


「穂積君」


コウスケに呼ばれ


「はい」


返事をしてから、コウスケの元に急ぐ。


「何か?」


「悪いが、この書類を開発部に持って行ってくれないか?あと、この書類に開発部部長と営業部部長の判をもらってきて」


そう言ってから、書類の束を渡す。


「分かりました」


カナメは返事をしてから、書類の束を持って総務課を出る。


開発部は、別棟になるので一度外に出ないとならない。


今日は天候がよいせいか、歩いていると、うっすらと汗をかいてしまう。


やっとたどり着いた開発棟で、入った途端にエアコンの恩恵を受けた。


(涼しいなぁ)


と、余韻にひたっている場合ではない。


開発部の事務課に顔を出して


「総務課です。日高部長から書類を預りました」


入り口で声をかける。


「穂積さん、お疲れ様。中にどうぞ」


中からの声に、カナメは事務課に入る。


「書類、どこに置いておけばいいですか?」


カナメが問うと、白衣を着た職員が


「あぁ、たぶん部長のデスクの上じゃないかな」


と答えた。


「部長、いらっしゃいますか?」


「たぶん、新薬の研究室だと思うよ。書類なら机の上に置いていればいいから。帰ってきたら伝えておくし」


「いえ…日高部長から判をいただいてくるようにと」


苦笑いを浮かべながら、判をもらう予定の書類を見せる。


職員は、はぁっとため息をついてから


「仕方ないね、ちょっと待ってて今呼ぶから」


と、電話の受話器を取る。


「あ、部長、お忙しいところに申し訳ありませんが、こちらにお願いできませんか?…はい、お忙しいのはわかります。ですが、日高部長が至急部長の判をいただきたいと、穂積さんを…はい、分かりました」


職員は受話器を置いてから


「部長、すぐに来るから。それにしても大変だね」


と、同情の目を向ける。


「仕事ですから」


カナメは苦笑いを浮かべた。


「噂じゃ、日高部長の奥さん妊娠したんだって?」


「ここまで、話が広がっているんですか?」


「まぁ、それだけ彼が社員に注目されているって事だよ」


「そう…ですね」


カナメは、複雑な気持ちで答えた。


そこにドアが開き、白衣を着た人物が入ってくる。


開発部部長だ。


「部長、すみません。お手数をおかけして」


カナメは、頭を下げて謝った。


無精髭にボサボサ頭な感じの部長は仕方なさげに


「仕方ないよ。H.C.Cの幹部さんからだからね。所詮、自分らは、雇われの身なんだし」


と、頭を掻きながら言う。


カナメから書類を受け取り


「少し待ってて」


と言って部長室に入る。


しばらくしてから出てきて


「はい、判を押しておいたよ」


カナメに書類を渡す。


「これ、営業部長の決済もいるみたいだけど、今から営業部にも?」


「はい、今から向かうつもりです」


「毎度ながら大変だね、雑用係も。そういや、通常業務もやっているんだって?」


「はい」


カナメの返事に部長は、眉をひそめて


「大丈夫なわけ?誰かに任せたらいいのに」


と言う。カナメは、苦笑いを浮かべて


「みんな自分の仕事で手がいっぱいなんですよ」


そう答えた。


部長は、ため息をついて


「最近、サイレントにも行ってないみたいだから、マスターが心配していたよ」


「そうですか…じゃ、時間を作って行ってみます」


「ま、無理はしないようにね」


「部長も新薬に没頭しすぎたら、体に毒ですよ」


カナメは、一礼をしてから


「では失礼いたします」


開発部の事務課を出ていく。


「ほんとに、優秀な人材なんだから、潰されてほしくないよ」


部長は、ポツリと呟いた。


開発棟から急いで出ると、すぐに本館に向かう。


日差しが暑い。


(ほんとサイレント行ってなかったな…)


と、会社正門の向こう側にある小さな喫茶店とチラリと見た。


入社当時から通いつめている喫茶店【サイレント】


マスターは、気さくで穏和な人柄で、学生から年輩まで幅広く慕われている。


そのせいか、店は満席の場合が多い。


いつも、優しい笑顔を浮かべてコーヒーをいれている姿で癒される者も少なくはない。


カナメも、その一人で足しげく通いつめていた。


だが、最近は忙しくて通えなくなっている。


通常業務に加えて、コウスケの雑用をこなしている為に。定時では終わらせきれずにいた。


業務を済ませると、急いでコンビニに行かなければならないので、走りながら店内の様子をチラリと見るだけであった。


カナメは、急ぎながらも…


(昼休みに行ってみようかな…)


とぼんやり考えていた。


本館に戻ると、再び冷房の恩恵を受けた。


(ふぃー、涼しい)


うっすらと浮かんでいた汗をハンカチで拭きながら、営業部へと向かう。


カナメが営業部のドアを叩いて


「失礼します」


と中に入ると、営業部部長が、そこにいた。


カナメが驚いてしまった。


「あ…あ、部長」


カナメが狼狽していると


「開発部から連絡があったね。書類は?」


「はい、これです」


カナメは部長に書類を渡す。


部長は、書類に目を通しながら


「少し待っていてもらえないか?すぐに決済するから」


と、部長室に入っていく。


(助かりました。開発部長)


カナメは、お礼を開発部へと馳せた。


少しの間が経ち、営業部部長が出てきてから


「はい、判は押しておいたから」


カナメに書類を渡す。


「ありがとうございました」


カナメは、一礼してから営業部を出る。


あとは、総務課に戻るだけでよい。


階段を急いで駆け下りてから、総務課へとむかった。


総務課に入ると、急いでコウスケのデスクに向かい


「日高部長、書類をお持ちいたしました」


と、デスクの上に、そっと置いた。


コウスケは書類を手にとり


「少し時間がかかったようだね?」


と言い、書類に目を通す。


「申し訳ございません」


カナメが頭を下げると


「まぁ、部長が捕まらなかったのわかるけど、これからは気をつけて」


書類に目線を置いて、カナメの方を見てはいない。


「はい、わかりました」


カナメは、何かをグッと堪えた。


自分は、席に座ったまま動こうともせず、カナメや周囲の人間を動かしている。


【所詮、自分らは、雇われの身だし】


開発部部長の言葉が蘇る。


(所詮、雇われているだけだ…向こうは雇う側…仕方がないんだよ)


自分に言い聞かせるようにして


「それでは、また何かありましたら、お呼びください」


と一礼する。


コウスケは、書類に目を落としたまま返事もしない。


グッと衝動を抑え自分の席へと戻る。


こなさないとならない仕事は山積みだ。


(よしっ!)


気合いを入れて、書類を上の方から取り出す。


サイレントに行く予定なので、ピッチを早めながら処理していく。


「穂積、今日は急ぎすぎてないか?」


同僚が声をかけてくる。


「今日は、サイレントに行こうと思って」


処理の作業を緩めないようにしながら、答えた。


「最近、行ってないわけ?」


「まぁね」


「焦るのは分かるけど、ミスするかもしれないぞ」


「一応、気をつけてる」


「そっか、じゃあ、邪魔したらなんなんで。頑張れよ」


そう言って肩を軽く叩いた。


カナメは、ただ没頭しているだけだった。


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