生命2
それでも、やはり気分はすぐれない。
「部屋で休ませていただきます」
英子にそう言うと、アオイは部屋に入り、そのままベッドで横になった。
お腹をさすりながら
(赤ちゃんが…いる…日高コウスケの子供が…)
涙が溢れてきた。
子供は望んでいたはずだ。
なのに、実際に妊娠してしまうと…
ツライ…
(あの人の子供なんて生みたくない)
お腹をさすりながら
(私は、この子を守る自信がない。いいえ…私は、この子を愛せないかもしれない)
様々な思いがアオイの心をキツく縛り付ける。
そして…
(この子が、カナメの子供なら…)
頭の中に再び浮かぶ。
アオイは首を振り
(そんな訳は無いわ、ありえないのよ!)
小さな希望すら、打ち消した。
ふと、思い出す。
コウスケは今、カナメのいる葛城製薬に出向している。
もしかしたら、コウスケとカナメが偶然会う事はないだろうか?
(でも、あの人は営業だもの。総務課に行く事はないわ)
だが、一抹の不安はあった。
もし、カナメがコウスケに偶然会ったとしたら…
考えただけでも身震いがした。
アオイは手を合わせて祈るしかなかった。
(どうか、あの人とカナメが出会いませんように…)
と…
その願いは、打ち砕かれているとも知らずに…
コウスケは、いつも通りの帰宅だった。
「お帰りなさいませ、旦那様」
玄関で迎えるアオイは、無表情のままだった。
喜びの表情を浮かべればいいのだろうが、アオイにはうまく出来ない。
コウスケへの恐怖から笑えないのだ。
「ただいま」
コウスケは、アオイにカバンを渡してから靴を脱いで玄関を上がる。
居間に入ると、食事のテーブルの上には、豪華な料理が並んでいた。
「英子さん、はりきりましたね」
コウスケは、苦笑まじりで言う
英子は、ニコニコ笑いながら
「当然ではありませんか。このようなお目出度い日に」
そう言ってから、コウスケに歩みより
「旦那様、奥様のご懐妊、おめでとうございます」
頭を下げながら言う。
コウスケは、困ったように笑いながら
「ありがとう英子さん。でも、まだ実感がなくてね」
笑顔で答える。
「最初は、そんなものなのですよ。奥様のお腹が大きくなれば、段々と実感が湧いてきますよ」
そう言ってから英子は
「ささ、お着替えを早く済ませてくださいましね。せっかくの料理が冷めてしまいますわ」
と、にこやかに言う。
「そうだね、早く着替えよう」
コウスケは、自室に着替えに入った。
「さ、奥様はこちらに…」
英子は椅子を奨めた。
「ありがとうございます」
お礼を言いながらも、アオイは座ろうとはしなかった。
自分より先に席に座る事を、コウスケは許さないからだ。
「奥様、大事なお体ですから」
と英子は言うが
「いいえ、旦那様をお待ちいたします」
気丈に答えた。
ほんとは、気分がすぐれない。テーブルの上に並んでいる料理を見たら、余計に具合が悪くなった。
今すぐ横になりたい…脳裏をかすめる。
しかし、そんな事は許されないのだ。
気丈に振る舞い、アオイは立ったまま、コウスケを待っていた。
【ガチャリ】
部屋からコウスケが出てきて、椅子に座る。
アオイも、すこしタイミングをずらしてから、椅子に座る。
「では、いただこうか」
コウスケが言い食事が始まる。
しかし、アオイは少しだけ食べてから箸を置いた。
「どうした?」
コウスケの問いかけに
「少し具合が…」
アオイは、か細く答えた。
「具合?」
コウスケは眉をひそめる。
「妊娠初期によくあります、つわりですわよ」
英子が、つかさずフォローを入れる。
そして、アオイに駆け寄り
「さ、奥様、お部屋で横になりましょう」
と手を握り立ち上がらせようとするが…
「大丈夫です」
アオイは答えた。
「ですが…」
英子は、心配そうに顔を覗き込むが
「心配していただいてありがとうございます。ですが、大丈夫ですから…」
気丈に振る舞うが、顔色は少し青ざめているみたいであった。
英子が困り果てたようにしていると
「アオイ、横になってなさい」
コウスケが言う。
「え?」
アオイは、戸惑いを隠せなかった。
コウスケから、そのような言葉か発せられた記憶はない。
暴言と罵声、それ以外は無い。
アオイは、どう反応したらよいのか分からない。
すると、英子がすかさず
「さ、旦那様も、言われておりますので…」
英子は、アオイの腕を優しく取る。
アオイは、コウスケをチラリと見る。
コウスケは、食事を続けながら
「アオイ、早く行きなさい」
と言った。
アオイは、戸惑いながらも英子に連れられて部屋へと移る。
一瞬、鋭い視線を感じた。
ここには、アオイとコウスケ、それに英子しかいない。
気のせいではないのなら、コウスケからであろう。
アオイは、嫌な予感がした。
この視線がコウスケからのものであれば、英子が帰宅した後は、どうなるのだろうか?
考えただけで、身震いがした。
ベッドで横になっても楽になるはずもなく、薄暗い部屋の中で天井を見つめていた。
(気持ち悪い…)
嫌な予感と気持ち悪さが重なり、アオイはたまらない気持ちだった。
『では私はこれで…』
向こうで英子の声がする。
英子が片付けなどを終わらせて帰るのであろう。
【グッ】
と、掛け布団を握りしめる。
(来る…)
唇を噛んだ。
少しの間も置かずにドアが開く。
黒く浮かび上がる影。
「アオイ」
コウスケの暗く澱んだ声。
それだけで、アオイの心は恐怖に支配された。
ゆっくりと近付いてくる影。
声が出せない…
だが、ゆっくりと起き上がった。
コウスケは、ベッド傍らに立ち、上からアオイを見下ろしながら
「答えてもらおうか…」
恐ろしい形相で言う。
アオイは、ガタガタ震えながら
「何…を?」
声を絞り出した。
コウスケは、顔を引きつらせて
「惚けるな、その腹の中にいる子供の父親だ」
「え?何を言って…」
コウスケの言葉にアオイは驚くしかない。
「惚けるな。その腹の中にいる子供の父親だ!」
怒りを露にして怒鳴り声を上げる。
アオイに詰め寄り
「やはり、あの時、男といたんだな?誰だ!誰なんだ?お前を抱いた男は!?」
目は血走り、普段から想像も出来ない程に表情は恐ろしい。
アオイは、恐怖から声も出なかったが、絞り出すように
「この子は、あなたの子です」
ハッキリと言う。
しかし、アオイの言葉が癪に触ったのだろう。
「嘘を言うな!」
叫びながら、アオイをベッドから引きずり降ろす。
アオイは、とっさにお腹を庇った。
コウスケは、アオイのアゴを引き寄せて
「さぁ言え!誰の子供なんだ?」
目は血走り、その表情は普段から想像出来ない程に恐ろしい。
アオイは、懇願するような目で
「あなたの子供です」
と、訴える。
コウスケは、アオイの頬を何回も平手打ちしながら
「この売女が!」
恐ろしい形相で叫ぶ。
次にアオイの体を蹴りだした。
「やめてください…」
お腹を庇いながら懇願するが
「そんな汚れた子供は、いらないんだ!」
コウスケは、我を失ったようにアオイを蹴り続ける。
その時、コウスケのスマホが鳴った。
「チッ」
舌打ちをしてから、スマホを取り出す。
「じいさん?」
呟いてから通話ボタンを押した。
「はい、コウスケですが…お祖父様、何か?…え?、あ、はい、ありがとうございます…そんな…はい、分かっております…アオイには大事にするよう気をつけておきます…では」
【ピッ】
電話を切る。
「英子か…」
忌々しげに言うとケイタイを置く。
アオイの中に緊張が走る。
コウスケは、黙ったままアオイを上から見下すように睨み付けていた。
しかし、一瞬だけ顔をツラそうにしかめてから、無表情に戻り部屋から出ていく。
安堵と共にアオイの体から力が抜ける。
【ガタガタ…】
身体中から震えが沸き上がってきた。
涙も止まらない。
お腹を押さえて
(お願い…死なないで)
切に願った。
しかし―何故、夫はお腹の子供を自分の子供ではないと断定しているのだろうか?
確かに、アオイはカナメとの一夜がある。
だが、確率的には低い。
コウスケの方が確率的に高いのだ。
それも、恐ろしい形相になってまで否定している。
(何故?あの人は…)
だが、同時にアオイは気づく。
今夜のような事が、これからも起こりゆる可能性は高い。
(私は、この子を守れるの?…いえ、守らないと。父親が誰であろうとも、私の子供である事には変わりがないのだから)
強い決心が生まれた。
母親として、子供を守らないとならない、という自覚と共に…




