生命1
「おめでとうございます。七週目にはいっていますね」
医師の言葉に、アオイは凍りついた。
どんな反応をしたら分からず、何か言おうとしても言葉が出なかった。
「本当…ですか?」
ようやく出た言葉が、それだった。
結婚をして四年、待ち望んだ我が子。それは喜びに満ち溢れているはずだ。
しかし…アオイの心は、複雑だった。
妊娠した事は、素直に嬉しい。待ち望んできたのは事実だ。
しかし…
コウスケとの間の子供。
愛してもいない男の子供。
生まれてきた我が子を幸せに出来るのだろうか…
アオイは、不安だった。
だが、さらにアオイには不安があった。
【もしかしたら、カナメの子供かもしれない】
そんな不安がよぎった。
あの時、本気で愛し合った…
だから、こうなってもおかしくはない…そう思った。
アオイは、自分のお腹に手をやる。
(今、ここに命が息づいている)
実感は湧かなかった。
それは、誰だってそうだ。
医師は、黙っているアオイに
「驚かれているのは、仕方ありませんが、これを」
とエコー写真らしきものを見せる。
見てもあまりよくわからなかった。
「これが、お子さんですよ」
そう指差されても、分からなかった。
戸惑うアオイに医者は
「まだ、分からないのは当然ですよ」
と笑みを浮かべて言う。
それから、診察室に英子が入ってきた。
医者は、英子にアオイが懐妊した事を伝え、これからの注意事項などを伝えていた。
アオイは、何が何だか分からなかった。
(一体どうして…)
今朝からの事を思い出していた。
―話は朝に戻る―
いつも通り朝早く英子は、マンションにやってきて、朝の準備をしていた。
しばらくすると、寝間着姿のコウスケが出てくる。
ドアの隙間からベッドから一糸纏わぬ姿で起き上がるアオイの姿があった。
昨晩もアオイはいたぶられていたのだろう。
後ろ姿に、絶望と諦めが滲んでいた。
「おはようございます。旦那様」
英子は、恭しく頭を下げる。
英子は、夫婦の事には口を出さない。
それはわきまえている。
アオイが、どのようなヒドイ目に遭おうとも、見てみぬフリをしている。
「おはよう、英子さん」
爽やかな笑みを浮かべて、コウスケは言う。
「朝食の準備が整いましたので、お早めにお願いいたします」
いつものセリフである。
だが、この日は違った。
「旦那様、少しご相談がございます」
英子は、いつもと違うセリフを言った。
コウスケは足を止めた。
「アオイの事で何かあったのですか?」
眉をひそめて聞く。
英子は、首を横に振り
「いえ、最近、奥様の体調がすぐれないご様子なので、病院にお連れした方がよいのでは…と思いまして」
英子の言葉に、コウスケは閉じられたドアを見つける。
コウスケが見た感じでは何もないようであったが…
だが、一日中、アオイを監視している英子の言う事も無視できない。
「それで?どこの病院に行くつもりですか?」
コウスケは、病院によっては許可は出来ないと考えていた。
だが、英子の口から発せられたのは…
「婦人科の方に…」
コウスケにとっては想定外の言葉であった。
コウスケの中では、ありえない事なのだ。
「え?婦人科?」
少し戸惑っていた。
「はい…私が見立てた感じでは、ご懐妊されているのではないかと」
コウスケは鼻で笑った。
ありえない、そんな事はありえないのだ。
だが、すぐに眉をひそめて考える。
アオイが行方不明の間に別の男といた可能性。
(もしかしたら…いや、ありえる)
戻ってきてからのアオイの様子は、確かに前と違っていた。
自分の顔を見ると、恐怖と絶望、それに怯えた表情しか浮かべなかった。
だが、戻ってきてからは違う。
恐怖と絶望、諦めの表情は見せている。だが…コウスケに何をされても、黙って受け入れて、いつも虚空を見つめている。
まるで、心ここにあらず…のような。
男の存在を感知したコウスケは、片っ端から調べさせた。
しかし、何も出てこなかった。
アオイは、どんなに殴られようとも辱しめを受けようが、口を割る事はなかった。
アオイが行方をくらましていた間の事は、未だにコウスケにも分からない。
それが、さらにコウスケを苛立たせた。
コウスケは、少し考えてから…
「では、英子さん、お願いします。あと、婦人科で異常がなかったら、一応内科にも連れて行ってください」
やんわりとした口調で言うが、コウスケの中には嫉妬と怒りが渦巻いていた。
それからは、いつもの朝の風景に戻る。
身支度を済ませたコウスケとアオイは、朝食をいただいた。
その場で
「アオイ、今日は英子さんと病院に行くように」
と命じた。
アオイは、何の病院なのかと疑問に思いはしたが
「はい、分かりました」
と抑揚のない声で答えた。
(どこの病院かは英子さんが分かっているだろう)
ぼんやりと思った。
英子が朝の片付けや家事をしている間、アオイは部屋で黙って座っていた。
いつものように、高層ビルを眺めている。
しばらくすると…
【コンコン】
とドアが鳴り
「奥様、そろそろ準備をお願い致します」
ドアの向こうから英子の声がした。
「わかりました」
返事をすると、クローゼットからワンピースを取り出し着替える。
化粧をしようとしたら、吐き気がした。だが、しない訳にはいかない。
我慢した。
用意が出来ると部屋を出て
「用意が出来ました」
と言う。
英子は愛想よく笑い
「それでは参りましょうか」
と監視の大男達を連れて、外に出た。
アオイが逃げないようにする為なのは、両脇を固めている。
そんな事をしなくても、アオイが逃げる事はないのにご苦労な事だ。
そうしてアオイが連れて行かれたのは婦人科であった。
アオイは驚く。
二年前に不妊治療をした際に通った病院だった。
足がすくんだ。
(もし、子供が出来ていたら…私は…私は…)
「さ、奥様」
英子に促されるように中に入る。
手続きなどは英子が行っていた。
SPは玄関を固めていた。
アオイは、黙って待っているしかなかった。
しばらくすると、看護師より尿を取るように指示された。
アオイはトイレに向かう。
その後、しばらく待たされた。
「日高さん」
看護師に呼ばれると、アオイは立ち上がり、診察室に入る。
英子も入ろうとしたが…
「すみません、付き添いの方は、しばらくお待ちください」
丁寧に看護師に止められた。
中に入ると医者は、にこやかに
「お久しぶりですね」
とにこやかに言った。
「その節は、大変お世話になりました」
アオイは深々と頭を下げる。
「さ、お座りください」
医者に促され、椅子に座る。
簡単な問診が終わると、今度は診察台に移るように言われた。
前に経験があるからではないが、これは苦手な方だ。
だが、アオイは下着を脱いで診察台に乗る。
【ウィーーン】
機械は、ゆっくり動き出す。
診察の間、アオイは…
(この子は、あの人の子供…生まれてきても、私は、この子を愛せないかもしれない)
しかし…
(もしかしたら、カナメの…そんなハズはあるわけがない!)
そんな事を考えていた。
【ウィーーン】
機械が、再び動いた。
アオイは診察台から降りて、下着をつけた後、再び医師の前の椅子に腰かけた。
そして医師は、アオイに言う。
「おめでとうございます」
…と。
帰りの車の中でも実感は、あまり湧かない。
むしろ不安が強かった。
愛してもいない男の子供を産む絶望感。
お腹にいる間…いや生まれた後も、子供を守りきれるかという不安。
そして、もしかしたら、カナメの子かもしれないという不安。
(この子が、もしカナメの子供ならば…)
自分が愛した人の子供なら、これほど嬉しいものはない。
だが…それをコウスケが知れば、どのような事態を招くか、容易に予想はつく。
アオイの家族だけではない、カナメやカナメの家族も恐ろしい目に遭うだろう。
身震いがした。
(この子は、日高コウスケの子供、そうカナメの子供じゃないわ)
自分に言い聞かせた。
そうしている内に車はマンションに到着する。
そして、いつものように監禁生活が始まった。
英子は、帰ってきてすぐに電話をかけていた。
おそらくコウスケにであろう。
そうしている間にも胸焼けと吐き気がした。
電話を切った英子は
「お化粧の匂いがいけないのでしょう。落とされてはいかがですか?」
心配そうに言う。
アオイは、それに従い洗面所で化粧を落とす。
少しは楽になったようだ。




