悪戯2
コウスケが、社内に馴染むまで、時間はかからなかった。
仕事には厳しいが、それ意外では気さくな性格で、女子社員を始め、様々な若い社員に慕われていた。
休み時間になると、彼の周囲には人盛りが出来る位だった。
だが、カナメはコウスケとは一線置いていた。
『仕事に影響が出るから』
と、周りには言い訳していたが、それはカナメにも分からなかった。
「そういえば…」
書類を届けた際に、コウスケがカナメに問いかける。
「穂積君は、恋人とかいるのかい?」
その問いかけに、カナメは苦笑いを浮かべる。
「日高部長、穂積には恋人なんていませんよ」
カナメをからかうかのように、別の社員が答える。
「でも、穂積君は定時になると急いで退社しているみたいだし…」
コウスケの言葉に
「穂積は、夜はコンビニでバイトしているんですよ」
先程の社員が答える。
「バイト?何か事情でもあるのかい?」
カナメを見て、コウスケは問うた。
カナメは、
「いえ…学生の頃から続けてまして、辞めるに辞められないだけです。一人暮らしですし…」
苦笑いを浮かべたまま答えた。
「そうなんだ…」
何かを含んだ物言いだった。
「それより…日高部長こそ、どんな方なんですか?」
別の社員が、興味深々に乗り出す。
「え?」
コウスケが驚いていると
「日高部長も定時になると、早く退社しているじゃありませんか。やはり、家で奥様が待っておられるからでしょう?」
その社員が言うと、コウスケは照れたように
「まぁ、そうだね」
と、答える。
「どんな方ですか?部長の奥様」
課内にいる社員が注目している。
「いや、そんな、困るなぁ」
社員の視線を浴びて、コウスケは多少狼狽している。
「教えてくださいよ」
社員に言われ、コウスケは照れながら
「アオイは、優しい人でね、いつも笑顔で迎えてくれるんだよ」
コウスケの言葉に、カナメは体に電流が走ったような気がした。
【やはり、この男こそアオイの夫】
疑惑は、完全なる確信に変わった。
「穏やかで優しい女性だから、いつも和ませてくれるんだ」
それから、コウスケは夫婦仲の極めて良好であるエピソードを話始めた。
だが…
カナメの中で、怒りが拡がっていくのが分かった。
コウスケの話が、偽りであるのは分かりきっていたからだ。
それだけでない。
アオイを苦しめているのに、平気な顔をして、嘘を並べ立てているのが、許せなかった。
殴りたい衝動を必死に抑えた。
ここで、感情的に行動をすれば、会社だけではない、多くの人に迷惑がかかる。
咄嗟にお腹を押さえて
「あ、ちょっと失礼します」
と、そそくさとトイレに向かった。
個室に入り拳を握りしめ、壁を数回殴る。
(ちくしょう!あんな奴に…アオイは苦しめられて…今もまだ苦しんでいるんだ)
怒りを何処に向けたらよいのかわからず、立ち尽くしているしかなかった。
(なんて運命の悪戯なんだよ)
その時、ふと思い出す。
アオイは、葛城製薬を知っているような素振りだった。
もしかしたら、夫がもうすぐ出向する事を知っていたのかもしれない。
(…だから余計に【帰らないとならない】ていう義務感に囚われてしまったのか?)
アオイの優しさが、カナメに染みてくる。
それは、残酷なくらいの優しさだったが…
ようやく落ち着いたカナメは、部署に戻り仕事を再開する。
コウスケの周囲には何人か社員がおり、コウスケの話を聞いている。
だが、カナメはその輪に入りたくなかった。
そんな嘘で塗り固めた話は聞きたくなかった。
やがて、話を終えた同僚が席に戻った。
「すっげぇ、仲がいいな。結婚して4年とか言うけど、未だに新婚みたいに仲がいいんだぜ」
得意気に言う。
「へぇ…」
カナメは、相槌を打つ。
「家に帰ったら、奥さんの手料理を食べながら、仕事を話とかしるらしいんだけど、嫌な顔せずに笑顔で聞いてくれるって。それに、毎日部長の体調にも気を配ってくれたりしてくれるんだと」
カナメには、それが嘘だと分かっていた。
アオイは、苦しんでいた。
毎日、毎日、姑のイジメや夫の暴力に、黙って堪えていた。
カナメの中に再び怒りが湧いてくる。
「ん?どうした?」
と、言われハッとなる。
「いや、早くしないと残業になるぜ」
カナメの言葉に
「お、そうだな」
同僚は、席について事務処理を始める。
カナメは、沸き上がる怒りと戦いながら、その日の仕事を続けた。
退社時間になり、カナメが退社しようとしていると…
「穂積君」
コウスケが話しかけてきた。
カナメは、感情を押し隠して振り返り
「はい?何か御用でも?」
出来るだけ平常心を装った。
「いや、今度の週末に皆で飲みに行こう、と話があるんだが、君もどうかな?」
笑顔を向けられたが
「すごい光栄な事なのですが、自分は夜のバイトがありますから…お誘いいただいてありがとうございます」
そう言って頭を下げる。
「なんとか出来ないのかい?」
コウスケの言葉に
「すみません、部長。いきなり休めば迷惑がかかりますから。また、機会がありましたら、よろしくお願いします」
そう言って、もう一度頭を下げた。
「君は、優秀で仕事熱心で真面目な人だ。だけど、付き合いってモノを疎かにしていないかい?」
カナメは、グッと拳を握ってから
「はい、そうですね」
と、答える。
「分かっているのなら、もう少し考えるべきだと思う」
「はい」
「だが、バイト先に迷惑をかけたくないという気持ちも、真面目な君ならば分からないでもない」
「すみません」
「では、再来週の日曜日に課内の社員をうちに招きたいと考えているんだが、それには参加してくれるね?」
「はい、わかりました」
カナメは、少し迷った。
しかし、アオイに会えるチャンスかもしれない、と思った。
会ってどうするかなんて考えてはいない。
ただ、会いたかった。
それだけだった。
そんなカナメの心の内を知らないコウスケは、満足げに微笑み
「では、再来週の日曜日は必ず予定を空けておいてくれよ」
と、言い残して去って行った。
それを見送った後、急いで退社する。
(アオイに会える)
カナメの中で喜びの感情が沸き上がる。
それを周囲には見せたくなかった。
見られたら、勘ぐられてしまう恐れがあるからだ。
(会える、会えるんだ)
だが、会えたとしても…
アオイは、知らない他人のように振る舞うだろう。
カナメの為に別れを決意したのだから、カナメの為に知らないフリをする。
仲のよい夫婦を目の当たりにしてしまうだろう。
分かっている。でも、カナメの【会いたい】という気持ちは抑えきれなかった。
喜びを噛み締めながら、カナメは、バイト先へと急いだ。




