別離2
窓の向こうには、高層ビル街が見える。
都心部にそびえ立つ高級マンションの一室の窓辺で、アオイは外の景色を見ていた。
窓を開けようとしても、開かないようにされてあるので、何も出来ない。
ベランダに出たい時は、この部屋を出たらよいのだが、コウスケが雇ったハウスキーパーの監視の目があるので、部屋に大人しくいた方がよい。
(これで…よかったのよね)
ぎゅっと体を抱く。
幾日経とうとも、アオイの体は覚えている。
カナメの感触を…
触れあった肌の温もり…
絡み合った指先…
重なりあった唇…
すべて…
コウスケに何度も汚されようとも、アオイは覚えていた。
(カナメ…ごめんなさい)
涙が溢れてくる。
あの時、カナメに抱かれながら、アオイは感じていた。
カナメが、自分の為に何もかもを犠牲にしようとしていた事を。
カナメには、安定した生活がある。平凡だが、それなりに満たされている生活が。
それを捨てようとしている。
自分の為に…
だから、アオイは決心した。
戻る事を…
カナメの小さな幸せを守る為に。
それは、カナメの望むモノではないのは分かっている。
彼の望みは、二人で一緒にいる事。
アオイと離れる事ではない。
だけど、これ以上、誰かが犠牲になるのは見たくなかった。
身勝手なのかもしれない…
ただの自己満足にしか過ぎない。
あの時、カナメが安心しきったように眠っているのを確認した後、アオイはベッドから降りた。
急いで服を着る。
カナメに再会した、あの日の服に。
そして、メモになりそうなルーズリーフを探し出してから、置き手紙を書いた。
涙が止まらなかった。
…行きたくない
…帰りたくない
このまま、ずっと、カナメと一緒にいたい
だけど、行かなければ、カナメだけではない、リカや実家の父や兄達にも多大な迷惑をかけてしまう。
(ごめんなさい)
声に出さないように謝りながらアオイは、そっと家を出た。
本当は、カナメが起きてきて、自分を止めてほしかった。
しかし、カナメは眠っている。
(さようなら…カナメ。愛しているよ、ずっと)
【パタン】
小さな音を立てて、ドアは閉まった。
アオイは、グッと湧き出てくる感情を堪えた。
まずは、周囲の確認をする。
夜中だという事もあり、誰もいない。
周囲を警戒しながら、家から離れていく。
数十分後、カナメと再会したコンビニの近くに着いた。
今日は、あの日とは違う人がレジに入っていた。それに…
(田宮先輩だ…そっか、ここは田宮商店だもんね)
今更ながら納得している。
アオイは、遠回りしてコンビニの前を通り抜けるのを避けた。
アオイの目指す先は…
亡き母が眠る場所。
あの日、目指した場所。
時間はかかるが、歩くしかない。
歩いている内に、空が明るくなり始めた。
(急がなくちゃ)
明るくなり、誰かに発見されるのは、マズイ。
日高の屋敷に戻るつもりではいるが、今見つかる訳にはいかない。
アオイは、足を早めた。
坂道を上りきると、母のお墓が見えてくる。
「もう少し…」
自分に言い聞かせてから、残りの道を急ぐ。
お墓の前に立ち
「来たよ、お母さん」
呟くと、その場に崩れた。
涙が止まらない。
「お母さん、お母さん、お母さん!」
すがりつくかのように、声を出して泣き出す。
苦しくて、悲しくて、そして、せつない。
アオイは、声の限り泣いた。
しばらく泣いた後、アオイは、お墓の掃除を始めた。
父や兄・姉が、よく来ているのだろう、掃除は行き届いている。
だが、アオイは丁寧にしっかりと掃除をした。
掃除を済ませた後、線香を立てて手を合わせる。
そして、そのままその場にいた。
陽は昇りきり、そして傾きかけた頃、おもむろにスマホを取り出して、電源をONにした。
これでいい…
こうしていれば…
その考え通りに、しばらくすると、黒塗りの車が駐車場に停まる。
中から数人の男が出て来た。
彼らは、まっすぐアオイの元へやってきて
「奥様、お迎えに参りました」
その中の一人に言われ、アオイは、男達の方を向いて
「わかりました。お手数をおかけします」
答えた後に、男達に連れて行かれるままに車に乗り込んだ。
そのまま、日高の屋敷に連れて行かれると思っていたが、連れて行かれたのは、都心のマンションだった。
後部ドアを開かれると、アオイは戸惑ってしまった。
「旦那様が、こちらでお待ちいただくように、と」
傍らの男に言われ、アオイは車から降りる。
いつの間に、こんなマンションを購入したのだろうか…
もしかしたら、コウスケのセカンドハウスなのかもしれない。
玄関を入ると、すぐに中年の女性らしき人物がアオイを出迎えた。
「お帰りなさいませ、奥様」
恭しく頭を下げられて、アオイは驚く。
日高の屋敷では、そのような事はなかったからだ。
女性は頭を上げてから
「私、こちらでお世話をさせていただきます、山下英子と申します。よろしくお願いいたします」
と言われ
「はい…よろしくお願いします」
アオイは、戸惑いを隠せないまま、頭を下げた。
「旦那様より、お待ちするよう言い付けがございます。こちらの方でお待ちくださいませ」
アオイにそう言った後、男達に
「旦那様が、外で警戒するようにと」
と言う。
「わかりました」
男達は、玄関の外に立つ。
英子はアオイを居間に案内した。
「もうすぐ、旦那様がおみえになります。おかけになってお待ちくださいませ」
英子は、アオイをソファーに誘う。
その動きには、隙がない。
言われるまま、ソファーに腰かけていると、英子は紅茶を運んできた。
「さ、ごゆっくりどうぞ」
そう言われても、アオイは逆に戸惑ってしまう。
このような扱いは、初めてなのだから。
…だがもうすぐ、コウスケがやってくる。
そう思うだけで、アオイは恐怖に震えた。
どんな罵声を受けるのか、どれだけ暴力をふるわれるのか、考えただけでも…怖い。
だけれど…
自分で決めた事だ。
自分が、コウスケの手元にいる限り、皆が安全を保証される。
カナメの幸せも守られる…
アオイは、グッと手を握りしめる。
誰かが玄関のドアを開ける音
英子は、急いで玄関へと急ぐ。
「お帰りなさいませ、旦那様」
英子の声に、アオイは体を強張らせる。
(…来た)
アオイの鼓動が早まる。
居間のドアが開き、コウスケが入ってきた。
アオイは、立ち上がり
「お帰りなさいませ、旦那様」
深々と頭を下げる。
アオイの視界にコウスケの足が見えた。
ゆっくりと視線を上げる。
そして、コウスケを真っ直ぐと見る。
憤りに満ちた顔
しかし、コウスケは英子の方を向いて
「今日は、もういい。明日、また来てくれ。外の者達にもそう伝えてくれ」
そう言い付けた。
英子は、頭を下げて
「かしこまりました」
返事をした後、素早く出ていく。
アオイは息を飲んだ。
(始まる…)
両手を胸元で、ギュッと握る。
「…さて」
コウスケは眼鏡を外しながら言う。
「この数日、どこにいたか話してもらおうか」
鋭い眼光を放つ。
アオイは、恐怖に堪えながら
「街をさまよっていました」
と答えた。
「ほぉ…そんなみえすいた嘘を並べるか」
冷ややかにコウスケは言う。
「本当です」
アオイは、恐怖心を必死に抑えて言う。
「そんな言い訳が、この僕に通じると思っているのか?」
ジリジリとアオイに迫る。
アオイは、後退りをしながら
「本当です」
と声を絞り出す。
「誰といた?男か?」
「誰ともいません。私はずっと一人でした」
「まだ、言うか」
コウスケは、ネクタイを外しながら
「では、体に聞くとしよう」
ニヤリ、と笑った。




