別離1
朝の光がカーテンから射し込んできた。
「ん…」
カナメは、眩しそうに眩しそうに瞼を開けた。
「あ…と…」
意味不明な言葉を呟く。
今の彼は何も着ていない。
一糸纏わない姿で掛け布団を掛けているだけだった。
そう…昨日、彼は長年の想いを成就した。
アオイと深く激しく愛し合った。
カナメの肌に、アオイの柔らかい肌の感触が残るぐらいに…
『アオイ、愛している』
と何回も囁いた。
幸せそうに笑うアオイの笑顔があった。
今更ながら、赤面してしまう。
(越えてはならない一線、飛び越えちまったな)
そう思いながらも、カナメの心は満たされていた。
何故なら、【アオイ】というかけがいのない女性を得たから。
だが…
ふと、気付く。
アオイが…いない。
確かに、隣で眠っていた。
幸せそうに寝息を立てて眠っていた。
カナメは起き上がり
「アオイ?」
と声をかける。
返事はない。
ベッドから降りてから、絨毯の上に脱いだままの服を着る。
隣の部屋や台所には人の気配がない。
首を傾げていると、テーブルの上に手紙が置いてある事に気付いた。
カナメは、慌てて手紙を手に取った。
【穂積カナメ様】
ルーズリーフに書かれた最初の文字だった。
【この手紙を貴方が手にしている頃には、私はいないでしょう。
ごめんなさい
貴方の気持ちを裏切るような真似をして
私は、貴方に愛され、愛する事が出来た事、とても幸福です。
だけれど、私の幸福の為に親友や家族が、恐ろしい思いをする事には堪えられないのです。
私は、幸福でいてはいけない…
だから、私は戻ります。
日高の屋敷に戻ると言う事は、今まで以上の苦痛があるでしょう。
でも、私は、大丈夫
私には思い出がある。
本当に愛する人と愛し合った…
その思い出があれば、私は堪えていきます。
出来る事ならば、あなたには幸せになってもらいたい。
普通の優しい家庭を育んでほしい。
だから、私の事は忘れてください。
そして、何処かにいる優しい女性と幸せな家庭を作ってください。
愛するカナメが幸せである事が私の願いです。
勝手な事ばかり言って、ごめんなさい。
怒らせてしまったとしても、仕方がありません。
【最後に…】
手紙を持つ手は震えていた。
涙が溢れてくる。
手紙の最後には、こう書かれていた…
【カナメを誰よりも愛しています。今までも、そしてこれからも…】
読んだ瞬間にカナメは、その場に崩れた。
声を出して泣き出した。
情けなかった…
一人で舞い上がっていた自分に腹が立った。
アオイが、どれだけ苦しんだのか分かっていなかったのだから。
だが…それよりも…
悔しかった。
アオイが、何も言ってくれなかった事に腹が立った。
黙って居なくなった事が、悔しくて堪らなかった。
「…ずるいよ」
カナメは、小さく呟いた。
手紙を破り捨てようとしたが、出来なかった。
手紙を抱き締めて、泣くしかなかった。
「何が忘れろだよ…忘れられる訳がないだろ…」
拳で床を強く殴る。
痛みが走った。
「俺が、どれだけ愛しているのか分かってねぇよ!分かってねぇよ…」
何回も床を殴り付けた。
次第に血が滲んできた。
それでも、止めなかった。
悔しさと悲しさと、そしてアオイへの愛情を、すべてぶつけるかのように…
カナメは、膝を抱えたまま時間だけが過ぎて行くばかりだった。
その日は、結局仕事も休む事にした。
泣き腫らした顔では、さすがに出勤は出来ない。
「…はい…すみません」
【ピッ】
スマホの電話を切った後、その場に寝転ぶ。
まだ涙が止まらない。
「情けねぇな…」
自虐的に呟いてから唇を噛む。
「なんでだよ…アオイ…」
分かっている。
アオイが何故、出ていったのか。
これ以上、カナメや親友、それに家族に迷惑をかけたくない一心だった。
自分の為に、誰かの幸せを壊したくない。
だから、アオイは自ら犠牲になる道を選んだ。
分かっている、分かっているけど…
納得は出来ない。
(俺は、アオイさえいてくれたらよかったんだ。今の生活がどうなろうとも関係ないんだよ)
カナメは選んでいたのだ。
苦難の道に足を踏み入れる事を。
傍に、アオイがいてくれるのなら、それ以外に何もいらない。
それなのに…
アオイは目の前から消えてしまった。
カナメの覚悟は、ムダになったのだ。
カナメは、何度目であろうか自虐的に笑った。
「バカだよなぁ」
呟きながら泣いている。
結局、この数日の日々は何だったのだろう?
あの雨の日から始まった数日間は、一体…
消え入りそうなアオイを放っておけなかった。
だから…家に連れてきた。
どうにかしてあげたい…
その一心で…
何度も、何度も、理性が飛んで行きそうになった時もあった。
それも乗り越えた。
そして、カナメにとってアオイは、【守りたい人】として大きくなっていった。
アオイの口から、事情が話された時、カナメの中では決意が固まり始めていた。
そして、昨日…
苦しんでいるアオイの姿を見て、決意は固まった。
他人の妻を…という行為で世間からは批判されるだろう。
仕事も社会的地位すらも失うだろう。
それでも、アオイがいてくれるなら乗り越えられる…
だから、アオイに想いをぶつけた。
そして、想いは成就した。
だが…結局アオイは、去って行った。
カナメは考えた。
【この数日の意味は、あったのだろうか…】と
一日中考えた。
膝を抱えたまま…
そして、コンビニのバイトの時間になった。
少し悩んだが、こっちも休む事にした。
【ピッピッ…】
スマホでダイヤルをする。
「あ、すみません、カナメです…ナギサさん?…すみません、今日、何か具合が悪くて…いえ、大丈夫です…心配しないでください…はい、明日には出ますから…はい、すみません、じゃあ」
【ピッ】
電話を切った後、ため息が出た。
それから、数日後…
シンから電話があった。
アオイが、日高の家の者に保護されたらしい。
母親のお墓に黙って立っていたところだった。
アオイは、黙って従ったという。
そのまま、日高の屋敷に連れて行かれたらしいが…
それから、アオイがどうしているのかは分からないらしい。
リカやアオイの家族ですらシャットアウト状態なのだ。
だが、屋敷を出て、どこかのマンションに引っ越したとも噂があるらしい。
だが…カナメには、そんなのは関係なかった。
カナメの中では、自暴自棄になっている。
(どうだって、いいんだよ)
妙に冷めたように思っていた。




