告白1
時間だけが過ぎていった。
アオイは、動けずにいた。
コノテヲフリホドカナイテイケナイ
分かっているはずなのに…
動けない…
…動きたくない
アオイの中に、封じ込めていた…忘れようとしていたハズの想いが、溢れ出してきた。
「怖い…怖いの」
アオイの掠れる位の小さな声。
「怖い?」
カナメの優しくて、甘い声が耳元で響く。
「夫が…怖い。私は、あの人の暴力をずっと受けてきた。殴る蹴るだけじゃない。たくさんの罵声と…脅迫。結婚をしてから…ずっと」
それは、苦しくて辛い告白だった。
蓄積されている、アオイのすべての記憶が一気に押し寄せてくる。
涙は止まらずに、次から次へと溢れてくる。
それでも、止めなかった。
カナメは、腕に力を込めて
「もう、いいよ。ツラい事を無理に話す必要はないから」
そう言うが、アオイは首を横に振り
「聞いて」
と言った。
アオイは、震えながら
「望んだ結婚ではなかった。父が保証人になったばかりに莫大な借金が出来てしまった。家族全員で力を合わせて、地道に返していた。でも…」
アオイは唇を噛み
「母が…過労で倒れた。そして、そのまま…逝ってしまった」
アオイは、ぎゅっと拳を握り締めて
「母の保険金すら、借金の返済に当てられた。でも、それでも膨大な金額が残されてしまった。私達家族は必死に働いて、その借金を返していた。高校卒業しても働いて…その時、夫と出会った」
アオイは、少し間を置いた。
「派遣で勤めていた会社の上司だったの。そこで見初められて、しつこく迫ってきた。私、夜とかもバイトしていたから、断っていたけど…結局、日高の母親の耳に入り、解雇されたわ。私は、安堵した。でも、あの人は…再就職出来ないように、あちこちに手を回して、バイト先にまで手を回して解雇させた。私は困り果ててしまった。そんな時だった…あの人が私に提案をしてきたの。『自分と結婚するならば、借金をすべて肩代わりしてもいい』と」
悔しそうに顔を歪める。
「そんな…」
カナメは、言葉が出なかった。何を言えばいいのか分からなかった。
「無論、家族は大反対。私が犠牲になる必要はないって。でも…私は、知っていた。父の体が限界まで酷使されている事を、兄が恋人との結婚を延期している事を、姉が自分の夢を犠牲にしている事を。何より、断れば再就職の妨害は続く。父や兄、それに姉にまで解雇の危機がある。だから…」
「だから…私は…承諾するしか…なかった」
嗚咽にまみれて言った。
「宮里」
カナメは、背中を向いていたアオイの向きを変える。
カナメの胸の中で、アオイは、声を上げて泣きだした。
だが、すぐに
「結婚式が終わり、新婚旅行の時から、あの人は…本性を出した」
と、再び話し始める。
カナメは、黙って聞いているしかなかった。
「暴力と暴言は日常茶飯事、私を自分の檻に閉じ込めようとして、家族にすら会う事も許さなかった。それだけじゃない、結婚に反対していた日高の母からも…」
アオイは苦しみの表情で
「執拗なイジメを受けた。姿を見たら嫌みを言い、私を貶し、家の中の雑用をさせるようになった。主人が仕事に出ると、すぐにボロい服を着せ、家中の掃除から始まった。少しでも手を休めたり、不備があると、メイド長からモップで殴られたり階段から落とされたりした。掃除した場所をわざと汚して、何回もやり直しをさせた。そして、夫が帰ってくる頃になると、また着替えさせて、何事もなかったかのように振る舞った」
「だけど…ケガがあるだろ?」
カナメは、疑問をぶつける。
アオイは、首を横に振り
「そんなの、いくらでも取り繕うわ。夫は母親の言葉を信じるもの。あの人が『勝手に転んだ』と言えば疑いもしない」
アオイは、悔しそうな表情で
「それでも、私は堪えたわ。私が逃げ出せば、父や兄、それに姉に迷惑がかかるって分かっていたから。だけどさらに…私達夫婦には子供ができなかった。あんな扱い受けているから仕方ないよね。でも、日高の母は、その事でも私を罵倒し続けた。『跡取りを産めない役立たず』と」
拳を握りしめた。
そして、話を続ける。
「夫に日高の母は、私と別れて血筋のいい女性と結婚するように迫った。でも、夫は、断り続けた。自分の妻は私しかいないって」
「…………」
カナメは、なんとか声をかけようとした。だが、何を言えばいいのか分からない。
「でもね…あんな地獄みたいな場所にも、ただ一人だけ味方はいた」
「味方?」
アオイは頷き
「夫の弟のケイスケ君。とはいっても腹違いの弟だけどね」
「腹違いの弟…」
「そう、お父様が外で作った愛人に生ませた子供よ。母親は病気で入院がちだったから、引き取ったらしいわ。日高の母が自分の体裁の為にね」
そこで、また唇を噛む。
「体裁って…」
「【夫と愛人の子供を育てる健気な妻】…その為にケイスケ君は連れてこられた。でも…ケイスケ君も、ヒドイ目に遭っていたわ」
アオイは、悲しそうに涙を浮かべた。
「兄である夫は、ストレス解消にケイスケ君をサンドバッグ代わりに殴ったり蹴ったりしていたわ。日高の母は、事ある毎に【卑しい女の子供】だって罵っていたわ。食事だってマトモなモノを食べさせてなかった。ケイスケ君、堪えていた。母親の入院代の為に。ジッと…」
アオイは、声を出して涙を流した。
「その父親は?自分の息子だろ?」
カナメは怒りを覚えた。
アオイは首を横に振り
「お父様は…知らないと思うわ。仕事で家を空ける事が多い人だから。それに、知っていても何も出来ない。日高の母に、お父様は逆らえないもの」
「どうして?」
「それだけ、日高の母の力は強いと言う事よ。いいえ、その父親の力ね。一人の人間の人生なんて軽く終わらせる事が出来る。それに、お父様も大切な人が人質に取られている状態だもの」
そう言って目を伏せる。
「大切な…人?」
「ケイスケ君のお母様よ。私も聞いた話だけど、昔、将来を約束した恋人だったらしいわ。でも、日高の母が…横やりを入れて、泣く泣く別れたの。でも、裏でこっそりと続いていた。でも、ケイスケ君が生まれた時に日高の母に知られてしまって…」
そこでアオイは、黙り込んだ。
「嫌がらせなんて生易しいモノではないわ。住んでいた家を追い出されるくらいの仕打ちを受け続けた。仕事も長続きしなかった。日高の母の嫌がらせで。幼いケイスケ君を抱えて、必死に頑張ったらしいけど…とうとう倒れてしまって…」
そこで一旦言葉を切ってから
「入院をする事になってしまったの。無論、ケイスケ君は施設に行く予定だった。でも…日高の母が引き取ると言い出したの。日高の一族の親族を施設に入れたら恥だと言って。でも、本当は違っていた」
アオイは、カタカタ震えながら
「それは、あの人の復讐だった。息子を人質に取り、さらに痛め付ける事で母親を苦しめ、母親の入院費用を楯に息子を痛め付ける。それが、あの人のお義父様への復讐」
「そんな…ひどい…」
「ケイスケ君は、本当に優しい子だったわ。私よりツラい思いをしているのに、私を励ましたりしてくれた。『義姉さん、頑張って』って。でも、私に近づいたら…夫から殴られたり蹴られたりしていたの。でも、それでもケイスケ君は、励まし続けていた。でも…だけど…」
そこで、アオイは嗚咽を上げて泣き出す。
よほど、悲しい事なのだろう。
カナメは、黙って抱き締めるしかなかった。
「夫と日高の母の度重なる仕打ちは、私の精神を蝕んだ。倒れてしまった私は、入院した。診断結果は【精神的なことが原因】。さらに、私の体に残っている傷を病院関係者に知られてしまった。だけど…あの人達は…」
アオイは、悔しそうに顔を歪めて
「【ケイスケ君による暴力、暴言】と言う虚偽の事実を口にしたわ。私は必死に否認したの。でも、夫は…それすらも逆手に取り、ケイスケ君を…」
グッと拳を握る。
「警察にまで引き渡そうとした。だけれど、身内の恥になるからと、止めにした。夫がきちんと更正させる、と警察に言っていたわ。ケイスケ君は何も悪くないのに…」
怒りすら覚えた。彼女の夫とその母親に。
なんて、身勝手な母子だろうか…
自分を守る為なら、平気で虚偽すらやってのけてしまう。
無実の人間に責任を押し付けてまで…
だが…アオイの話はまだ続いた。




