平穏
小鳥の囀ずりが聞こえる。
(…スズメかしら?何だか久しぶりに聞いたような)
うっすらとしている意識の中でアオイは思った。
(どうして…スズメの鳴き声が…聞こえてきてるのだろう?屋敷の中には、スズメが止まれる場所なんて…)
うっすら重い瞼を開く。
見覚えのない天井…
(ここは…?)
明るい方を見る。
ベージュ色したカーテンの隙間から日が射し込んでいる。
(朝?朝なのね?)
ぼーっとした意識の中で、自分の右手が何かを握りしめている事に気付く。
アオイは、自分の手を見た。
誰かの手を握りしめている。
しっかりと…
(誰の手?)
アオイは手の先に続く人物を確認する。
ベッドに寄りかかるように、カナメが規則正しい寝息を立てて眠っている。
(穂積…君?)
少しの間を置いて、アオイは昨日の出来事を、思い出す。
寝る前の部分は、少しの曖昧ではあるが…
かぁぁぁっと、顔が赤くなる。
(わ、私ってば、何て事をしているの?)
驚きのあまり、手を動かす。
「う…」
カナメが反応するが、すぐにまた寝息を立てた。
アオイは、ホッと胸を撫で下ろしながらも、繋がっている手を離そうとする。
しっかりと握られた手は、離れそうにもない。
アオイは、手を動かさないように起き上がる。
(私、何をしているんだろう?)
漠然と思った。
ジッと、カナメの寝顔を見る。
何を思ったのか、空いている手を、恐る恐る動かす。
高鳴る胸…
心臓の音が、漏れる位に大きく奏でていた。
震える指先は、カナメの前髪にそっと触れる。
「ん…」
カナメの瞼が動く。
反射的に、触れた指を離した。
胸の鼓動は収まらない。
(な、何をしているのぉ)
顔面が真っ赤になった。
(アオイのばかぁ、アオイのばかぁ)
コツコツと頭を叩く。
「痛い…」
小さく呟いた。
はぁっと息をついて
「ほんと…何をしているの」
自分を責めるように呟いた。
(今のうちに、家を出た方がいいかもしれない。でも…)
ジッと繋がれた手を見る。
(どうやって、この手を離したらよいのやら)
悩んだ末に、そっとカナメの指をほどこうとしたが…
急に、どこからかスマホの着信音が響き渡る。
それは、アオイも知っている有名な曲だった。
アオイは、ビクッとしてしまい、カナメは…
「ん…」
と、言って目を覚ましてしまった。
眠気眼で、ポケットを手探り、スマホを取り出す。
画面に表示されている相手は、親友の平川シンだ。
「もしもし…」
寝惚けた声で、電話に出る。
だが、アオイと目が合い、
「あ…」
と、小さく呟いた後、慌てて手を離す。
アオイは、さっきまで握られた手をギュっと握りしめる。カナメの手の感触がまだ残っていた。
カナメは、顔を赤くしながら
「おう、シン、おはよう。何か用?」
焦ったように言う。
だが…
「え?…」
すぐに顔を強張らせた。
チラリとアオイを見る。
「…ごめん、今日は、ちょっと、用事があるんだ。だから……そんなんじゃねえよ。ん、じゃ…」
【ピッ】
と電話を切る。
アオイは、カナメの様子から悟った。
「私の事なのね?」
確認をするかのように聞くが、カナメは答えない。
「私の事なんでしょう?」
カナメは迷いながらも頷く。
「何で平川君が?…あ、そうか、リカの…」
「うん、シンは中沢と付き合っているから」
「そう…」
アオイは俯いて、親友である中沢リカを思い出す。
『このままでいいの?アオイが本当に好きなのは…』
『何で気持ちを伝えなかったのよ。後悔するよ…』
結婚式の日に、彼女が言った言葉を思い出す。
(リカ…ごめん…)
おそらく心配しているであろう親友に、謝るしかなかった。
カナメは、立ち上がり
「さ、朝御飯でも作ろっか」
そう言ってから台所に向かう。
アオイは、慌ててベッドから降りて
「あの…」
とカナメに話しかけると、カナメは振り向いて
「何?」
と、言うが
「あの…その…」
アオイは、中々言いたい事が言えずにいた。
ただ…
『今日、帰るね』
という一言なのに。
カナメは、首を傾げてから
「そこに座っていて。何か軽いモノでも作るから」
と、再び動き出す。
「あの…何か手伝うよ」
アオイは、精一杯でそれしか言えなかった。
カナメは、首を横に振って
「いいよ、君はゆっくりしてなよ」
「でも…」
「ね?」
「…うん」
アオイは、言われるままに座って待っていた。
しばらくすると、お盆を持ったカナメがやってきて、手際よくテーブルに皿を並べる。
ベーコンエッグとちぎりレタス、それにトースト。美味しそうな匂いが、アオイの鼻をくすぐる。
「あと、コーヒー持ってくるから」
そう言ってから、また台所に向かうが、すぐにコーヒーサーバーとカップを持って戻ってきた。
カナメは手際よく、カップにコーヒーを注ぎ、アオイの前に置く。
コーヒーの渋い香りが、少しボーッとしているアオイの頭を刺激した。
「いただきます」
カナメは手を合わせて食事を始めだした。
アオイも、躊躇しがちに
「…いただきます」
と手を合わせて、食事を始める。
沈黙だけが続く。
(うー、この感じ。この何とも言えない緊張感が…)
アオイは、堪えられなかった。
これ以上に、ツラい緊張感を毎日やっていたのにだ。
アオイの心は、カナメに対する申し訳ない気持ちで一杯だ。これだけ、優しくしてくれる人を…自分は、カナメの人生を、ズタズタに引き裂くかもしれないのだ。
だが、今なら間に合うかもしれない。今なら…
アオイは意を決して
「あの…」
緊張した面持ちで言った。
「なに?」
「あのね…もう、私、帰ろうと思うの。穂積君には、いっぱい迷惑かけたね。本当にありがとう」
そう言ってから頭を下げる。
「宮里…」
「ほんとに、ありがとう」
と言って笑顔を作るが、上手く作れない。
…本当は、本当は…
アオイは、本心を抑えた。
「ちゃんと、お礼しないとね。あ、でも私、立場があるから堂々とできないね。その内にリカを通じて何かお礼をするね」
早口で言う。
笑顔がうまく作れない。
「宮里…」
「ごちそうさま。あ、後片付けは私がやるね」
そう言ってから、アオイは食べた後の食器を持っていて流し台に置く。
手際よく、食器を洗い出すが、途中から手が震えてきた。
(あ、あれ…)
その震えは、恐怖。
日高家に戻る事への恐怖心。
それでも手は止めなかった。
しかし…
【ズルッ】
と食器が手を滑り流しに落ちていく。
距離が無かった為、割れはしなかったが、アオイは慌ててしまう。
だが、食器がうまく掴めない。
「あれ…」
言いながら食器を掴もうとするが、やはり掴めない。
いつの間にか、涙が溢れてきていた。
(なんで?…)
涙の意味が分からない。
その様子を見ていたカナメは、立ち上がり
「後は俺がやっておくよ」
そう言った。
「大丈夫だよ」
アオイは、笑おうとするが笑えない。
手は震えて、涙が止まらずにいる。
(しっかりしろ!アオイ!)
自分に言い聞かせるが、どうにも出来ない。
カナメは、アオイの後ろに立ち…
後ろからアオイを抱き締めた。
余りの事に驚いた。
アオイの耳に、カナメの息づかいが聞こえる。
胸が高鳴り、鼓動はどこまでも早くなっていった。




