第二話
第1章:最初のマネーポイント(初仕事)
一、 契約書という名の誓約書
「……えーと、こちらが今回の出演契約書および、サンライズ・プロダクションとの特待生所属契約書になります」
サンライズ・プロダクションの応接室。
重厚な革張りのソファに腰かけるお母さんの前に、二枚の書類がすっと差し出された。
対面に座るのは、オーディションで私を指名してくれたプロデューサーの黒岩さんだ。その隣には、私の担当マネージャーとなった三十代半ばの真面目そうな女性、松井さんが控えている。
「特待生ですので、月々のレッスン料、教材費、宣材写真撮影費などはすべて弊社が負担いたします。その代わり……」
黒岩さんが眼鏡の奥の光を走らせた。
「お仕事の出演料に関しましては、弊社規定のマージンを引いた額を、毎月ご指定の口座へお振り込みする形になります。里穂ちゃんはまだ5歳ですので、保護者様名義の口座、または里穂ちゃん名義で親権者様が管理する口座をご用意いただくことになりますが……」
(きた……! きたわ!! 口座!!)
私はお母さんの隣で、膝の上に置いた小さなおててをぎゅっと握りしめた。
普通の親なら「わぁ、テレビに出られるだけで光栄です!」と契約書に飛びつくところだろう。
だが、私の脳内ではすでに【お姑さん】による契約書の超高速リーガルチェックが開始されていた。
『里穂、契約項目第7条を注視しなさい。肖像権の二次利用に関する分配率が、新人標準の7対3(事務所7、タレント3)になっています。特待生枠であれば、交渉次第で6対4まで引き上げることが可能です』
(マジで!? 1割の差って大きくない!? 将来的に数千万円規模になったら、1割で数百万円変わるよ!?)
『当然です。ですが、今ここで5歳の貴方が「肖像権の二次利用配分が~」などと口を出せば、怪しまれて契約自体が白紙になりかねません。ここは母親に【無邪気な一言】を言わせ、松井マネージャーの良心に訴えかける作戦をとります』
(オッケー、指示を頂戴!)
「お母さん」
私はお母さんの袖をちょんちょんと引っ張った。
「ん? なに、里穂ちゃん?」
「あのね、わたし、お仕事したお金で、お父さんとお母さんにお家を買ってあげたいの。だからね……いっぱいお仕事して、いっぱい貯金したいな!」
満面の笑み。濁りのないキラキラした瞳。
その可愛らしさに、松井マネージャーが「くッ……!」と胸を押さえて悶絶した。
「く、黒岩さん……! 里穂ちゃんのこの健気な思い……! 新人特約の肖像権配分、6対4のBプランで適用してあげられませんか……!?」
「む……」
黒岩プロデューサーが苦笑いを浮かべた。
「松井、お前は相変わらず情に厚いな……。まあいい、里穂ちゃんの将来性と、その心構えに免じて、特約Bプランで契約を結ぼう。ただし! その代わり最初の現場でしっかり結果を出してもらうぞ?」
「はいっ! がんばります!」
深くおじぎをする私。
『ミッションコンプリート。将来的な二次利用料の配分率が10%上昇しました。見事なアシストです、里穂』
(フフフ……見たか! 5歳児の可愛らしさは最強の交渉カードよ!!)
こうして、私の最初の「集金契約」は、無事に締結されたのだった。
二、 最初の獲物:大手清涼飲料水CM
「で、黒岩さん。里穂ちゃんの最初のお仕事というのは……?」
お母さんが緊張した面持ちで尋ねる。
黒岩さんはニヤリと笑うと、机の上に一枚の絵コンテ(CMの設計図)を広げた。
「大手飲料メーカー『サントリーニ』の清涼飲料水『麦茶っこ』の全国TV-CMだ」
(麦茶っこ!!!)
私の脳内で、前世の記憶が凄まじいスピードで駆け巡った。
(ちょっと待って! 麦茶っこって、平成中期に爆発的にヒットして、夏場になると全チャンネルで流れまくってたあの伝説のCM!? 「麦茶っこ~飲んで~夏が来る~♪」ってフレーズ、社畜時代も覚えてるくらい有名だよ!!)
『記憶と合致しました。前世の歴史データによれば、このCMに起用された子役は一気に全国区の認知度を獲得し、その後多数のドラマやバラエティに引く手あまたとなりました。ギャラ単価を引き上げるための絶好の【実績】になります』
(キタアアアアア!! 最初の仕事でいきなり特大のビッグウェーブ!!)
「ただし」
黒岩さんが少し表情を曇らせた。
「今回のCM、実はメインの子役はすでに決定している。某大手劇団の看板子役、結城あかり(ゆうき あかり)ちゃん(6歳)だ。里穂ちゃんに与えられた役は、彼女の『妹役』……いわゆるサブだ」
「サブ……」
お母さんが少し残念そうな顔をする。
だが、私は違った。
前世の社畜時代、私は学んだのだ。
「メインのプロジェクトでヘマをする責任者より、サブの立場で完璧な仕事をこなし、手柄をかっさらう優秀な二番手の方が、社内評価は跳ね上がる」ということを!
『その通りです、里穂。メインの子役はプレッシャーからNGを出す確率が高い。一方、サブでありながら圧倒的な存在感とNGゼロの完璧な演技を見せれば、監督やクライアントの印象に強く残り、次回の【単体主演CM契約】へと繋がります』
(よし!! 狙うは「メインを食う完璧な妹役」!! 現場の大人たちに『この子、使いやすすぎる……!』と言わせて、単価を釣り上げてやるわ!!)
「松井さん! 撮影はいつですか!?」
私が身を乗り出すと、松井マネージャーは嬉しそうに目を輝かせた。
「来週の土曜日、山梨県のロケ地で行うわ! 里穂ちゃん、頑張ろうね!」
「はいっ!!」
第2章:山梨ロケの魔物と、子役界の洗礼
一、 現場入りと、子役マウント
撮影当日。ロケ地となった山梨県の古い民家は、機材を抱えたスタッフや照明器具でごった返していた。
「おはようございます! サンライズ・プロダクションの小田里穂です! よろしくお願いいたします!」
私がロケバスから降りるなり、スタッフ一同に向かって90度のおじぎをしながら大きな声で挨拶をかます。
前世のビジネスマナーで叩き込まれた「現場に入ったらまず元気に挨拶して名前を売る」という基本中の基本だ。
「うわ、可愛い! 挨拶しっかりしてるね~」
「挨拶できる子は助かるよ~」
スタッフのお兄さんやお姉さんたちが、一瞬で笑顔になる。
『高評価を獲得。現場のスタッフに好印象を与えることで、カメラアングルや照明の微調整で有利に働く可能性が5%上昇しました』
(フフン、現場の味方を増やすのは基本中の基本よ!)
だが、そんな私の完璧なロケバス降車を、冷ややかな目で見つめる存在があった。
「ふん。挨拶が元気なだけで売れたら、苦労しないわよ」
日のかさ(UVカット仕様)をスタッフにさせながら、ロケバスから降りてきた一人の少女。
彼女こそ、今回のメイン子役――結城あかりちゃん(6歳)であった。
子役歴3年。すでに数々のCMや再現ドラマに出演している、いわゆる「ベテラン子役」だ。
くるくるのロール髪に、完璧なお洋服。その横には、眉間にシワを寄せた母親がピタリとついていた。
「あかり、今日のCMは貴方が主役なんだからね。妹役の子に喰われないように、しっかり『主役のオーラ』を出しなさい」
「わかってるわよママ。あんな新人、私の引き立て役にすぎないわ」
ヒソヒソと話しているつもりだろうが、前世のアラサーの耳には丸聞こえである。
(うわぁ……出たよ、子役マウント……! 6歳にしてすでにマウントの取り方をマスターしてるなんて、恐ろしい業界ね……!)
『問題ありません。彼女のストレス値は80%を超えています。母親からの過度なプレッシャーにより、現場での演技が硬くなる傾向が見られます。貴方は冷徹に【完璧な仕事】を遂行すればよろしい』
(了解! 6歳児相手に感情的になっても意味ないもんね。私は淡々とギャラを発生させるだけよ!)
二、 撮影開始:試される「飲みっぷり」
「はい、それじゃあ『麦茶っこ』CM、カット1いきます!」
監督の声がロケ地に響く。
設定は「夏の縁側。汗をかいた姉妹が、冷たい麦茶を美味しそうに飲む」というシンプルなものだ。
「あかりちゃん、里穂ちゃん、縁識に座ってね。合図が出たら、グラスの麦茶を『ごくごく』って飲んで、『ぷはぁーっ! 美味しい!』って笑顔ね!」
「はいっ! 頑張りますっ♡」
あかりちゃんが、完璧な作り笑いで答える。
「それじゃあ……位置について。よーい……スタート!」
カチン、とカチンコが鳴る。
あかりちゃんがグラスを口に運ぶ。
ゴク、ゴク……。
「……カット!!」
監督が手を挙げた。
「あかりちゃん、ちょっと表情が硬いかな! 『美味しい!』の顔が、なんかお上品すぎるんだよな。もっとこう、夏休みに遊んで喉が渇いた時の『身体じゅうに染み渡る!』って感じを出してほしいんだ!」
「……すみません、もう一回お願いします」
あかりちゃんの顔が少し強張る。
「はい、テスト2回目! スタート!」
ゴク、ゴク……「ぷはぁーっ! 美味しい!」
「カット! うーん……なんか『作られた笑顔』なんだよなぁ……。もっと自然なリアクションが欲しいんだよ」
NGが重なる。
二回、三回、四回……。
真夏のロケだ。冷たい麦茶とはいえ、6歳の子供が何杯も何杯も連続で飲まされれば、お腹がタプタプになり、飲み方もどんどん苦しそうになっていく。
「ごめんなさい……お腹が、苦しい……」
あかりちゃんの目が潤み始めた。傍らで見ているあかりママの顔が鬼のように般若化している。現場の空気が重くピリついていく。
(あ~あ……完全に泥沼にハマっちゃったね……。子供に『自然な演技をしろ』って言われても、NG出されるほど緊張してどんどん硬くなっちゃうのよね……)
『里穂。チャンスです』
お姑さんの声が脳内に響く。
『監督およびクライアントのストレスが限界に達しつつあります。ここで貴方が【一発OKの完璧なリアクション】を見せれば、この現場の主導権は完全に貴方のものになります』
(オッケー! 社畜時代、クライアントの無理難題に何度も一発OKを出してきた私を見せてあげるわ!!)
「監督さん!」
私はトコトコと監督の元へ歩み寄った。
「ん? 里穂ちゃん、どうしたの?」
「あのね、私、あかりお姉ちゃんと一緒に、もっともっと楽しく飲める方法があると思うの!」
「え? 楽しく飲める方法?」
三、 5歳児(中身アラサー)の現場救済
「はい! お姉ちゃんが一生懸命飲んでる時にね、私が『お姉ちゃん、すごーい!』って顔で見て、そのあと二人で『せーの!』で顔を見合わせて笑ったら、もっと美味しく見えると思うの!」
監督がハッとした顔をした。
「……! なるほど! 一人で美味しさをアピールしようとするから不自然なんだ! 姉妹で楽しさを共有する絵にすれば、自然な笑顔が引き出せる……!」
監督にあかりちゃんの方を振り向いた。
「あかりちゃん! 次は里穂ちゃんのお顔を見ながら、二人で楽しそうに飲んでみて!」
「……はい」
あかりちゃんが、少しホッとした表情を見せた。
「よし! カチンコ! 麦茶っこカット1、テイク6! よーい……スタート!」
グラスを持ち上げる。
『里穂、演出指示。飲む直前、喉の渇きを表現するために小さく喉を鳴らしなさい。そして一口飲んだ瞬間、瞳を輝かせて身体全体で『生き返る!』という喜びに満ちたリアクションを!』
(了解!! 熱中症寸前の社畜が、金曜日の夜に流し込む【最初の一杯の生ビール】……!! あの快感を思い出せ私!!)
ゴクッ……ゴクッ……!
(う、美味ぇぇぇぇぇぇぇッ!!! 喉を駆け抜ける麦の香ばしさと冷たさ!! これぞ夏の生命維持装置!!)
私の全身から溢れ出る、本物すぎる「美味さの歓喜」。
そして、隣でガチガチになっていたあかりちゃんの方を向き、弾けるような笑顔で「美味しいね、お姉ちゃん!」と目配せをした。
「……ッ!」
あかりちゃんの表情が、ふっと緩んだ。
緊張が解け、素の子供らしい、最高の笑顔がこぼれ出る。
「うん! 美味しい!!」
二人で顔を見合わせ、「ぷはぁーっ!!」と最高の笑顔でグラスを掲げた。
「―――カットォォォォォォッ!!!!」
監督が跳ね起きた。
「オッケー!! 完璧!! 完璧だよ今の!! 姉妹の仲の良さも、麦茶の美味しさも120%伝わってきた!! サンキュー里穂ちゃん! 君、天才だよ!!」
「やったー!」
パチパチパチパチ!!
現場のスタッフ全員から、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
スポンサーであるサントリーニの担当者も、大満足で頷いている。
「素晴らしい……あの子、自分の魅せ方だけじゃなくて、相手の良さまで引き出せるのか……! 素晴らしい子役だ!」
『ミッション完了。クライアント評価:極めて高い(Sランク)。今回のCM放映後、貴方の指名オファー確率が跳ね上がることが確定しました』
(やった……! やったわお姑さん!!)
ふと隣を見ると、あかりちゃんがポカンと私を見ていた。
「里穂ちゃん……さっきは、助けてくれて……ありがとう」
少し赤くなりながらお礼を言うあかりちゃん。
「ううん! お姉ちゃんの笑顔がすっごく可愛かったからだよ!」
私は完璧な天使の笑顔で返した。
(フフフ……敵を作らず、恩を売り、現場の大人を全員味方につける。これがプロの社畜のやり方よ!!)
第3章:第一回目のギャラ明細と、最初の壁
一、 振り込まれた「種銭」
山梨ロケから一ヶ月後。
サントリーニの「麦茶っこ」CMは、全国で放映が開始されるやいなや、大反響を呼んだ。
『あの可愛い姉妹は誰!?』
『特に妹役の子の飲みっぷりが最高すぎる!』
『見てると無性に麦茶が飲みたくなる!』
お茶の間の話題をかっさらったCMのおかげで、我が家のリビングにはお祝いの電話が鳴り響き、お母さんは「まあまあ!」と興奮しっぱなしであった。
そして、ついにその日がやってきた。
毎月25日。
私の通帳(お母さん管理)に、初めての「お仕事の対価」が振り込まれる日である。
「正志さん! 見て! 里穂ちゃんの通帳に……入ってるわ!」
夕食後、銀行から帰ってきたお母さんが、震える手で通帳をテーブルに置いた。
お父さんとお母さんが頭を突き合わせて通帳を覗き込む。
私もすかさず、お母さんの脇からぬっと首を突っ込んだ。
【摘要】サンライズ・プロ(オダリホ)
【お預かり金額】¥185,000-
「ひ、一万八千円……じゃなくて、じゅうはちまんごせんえん!!??」
お父さんが目玉を飛び出させた。
「5歳の子供が……一回のCM撮影で、18万円も稼いで来たのか……!?」
「すごいわ里穂ちゃん! あなた、お父さんの手取りの半分以上を一日で稼いじゃったのよ!?」
「おい恵子、俺の手取りの低さをわざわざ強調するな」
お父さんがショックを受けているが、私はそれどころではなかった。
(じゅ……じゅうはちまんごせんえん……!!)
私の目が、前世の社畜時代以上にギラギラと輝き出す。
(たった一日(予備日含めず)のロケで18万円!! これが……これが子役バブルの力……!! 前世で私が残業80時間やって手に入る手取りとほぼ同じ金額を、5歳児の私が一瞬で稼ぎ出したの!?)
『冷静になりなさい、里穂。これはあくまでサブ役(妹役)の一発契約のギャラです。メイン子役になれば、CM1本で100万~300万円。年間契約を結べば1000万円を超えます。18万円程度で浮かれていてはいけません』
(分かってるわよお姑さん! でも、ゼロから生まれた18万円よ!? これが私の【大富豪プロジェクト】の記念すべき第一号の種銭なのよ!!)
二、 立ち塞がる「親という名の保護責任者」
よし、種銭は手に入った。
次はいよいよ、この18万円を【増やす作業】に入らなければならない。
私の頭の中には、前世の『大富豪計画ノート』の情報が完璧に記憶されている。
(現在、200X年。今、株価が底値を打っていて、数年後に爆上がりする某IT銘柄『L社』の株がある! 18万円あれば、単元株(100株)買える!! 今買っておけば、5年後には10倍の180万円になるんだから!!)
私は意気揚々と、お母さんの手を握りしめた。
「お母さん!」
「なに? 里穂ちゃん?」
「このお給料でね、私、買いたいものがあるの!」
お母さんが優しく微笑んだ。
「まあ、買いたいもの? いいわよ~! 頑張ったんだもんね! なにが欲しいの? お人形さん? それとも、フリフリのお洋服?」
私は満面の笑みで、はっきりと宣言した。
「私ね、『L社の株式』が欲しいの!! 100株買ってお母さんの口座で運用してほしいな!!」
「……はい?」
お母さんの笑顔が、ピキッと凍りついた。
お父さんも、味噌汁を飲もうとした手で固まっている。
「り……里穂ちゃん? 今、なんて言ったの……?」
「かぶ! お株だよ! 今ね、日本の株価は安いの! だからL社の株を買っておけば、将来私がおっきくなった時に、すごーくお金が増えてるの!」
『里穂!! バカ者!! 直球すぎます!!』
脳内でお姑さんが激怒の悲鳴をあげた。
『5歳児が「L社の株を買え」などと言って、誰が納得するのですか! 狂ったかと思われますよ!!』
案の定、お母さんは顔を蒼白にして、私の肩をガシガシと揺さぶってきた。
「り、里穂ちゃん!? あなた、どこでそんな言葉覚えたの!? テレビ!? テレビで観たの!?」
「あ、いや……あのね、絵本で……」
「どんな絵本よ!! 株を推奨する絵本なんてあるわけないでしょ!!」
お母さんは深々と溜め息をつくと、通帳をギューッと自分の胸に抱きかかえた。
「ダメよ、里穂ちゃん。このお金はね、里穂ちゃんが将来大人になった時のために、お母さんが責任を持って【銀行の普通預金】にしっかり貯金しておきますからね!」
「ぎ、銀行の普通預金ぇぇぇぇぇぇッ!!???」
私は絶望の悲鳴をあげた。
(ダメ!! 超低金利の現代日本で、普通預金に預けっぱなしにするなんて、実質的な資金の塩漬けよ!! インフレが起きたら資産価値が目減りするだけじゃない!! 18万円を18万円のまま眠らせてどうするのよ!!)
「お母さんダメ!! 預金じゃ増えないの!! 投資しないとダメなの!!」
「里穂ちゃん!! 子供がお金のことばっかり言わないの!!」
お母さんに本気で怒られ、私はガビーンとショックを受けて自分の部屋へと逃げ帰ったのだった。
第4章:第一号「小田子役ファンド」設立作戦
一、 敵は固い。ならば「迂回路」を作れ
「ううう……お母さんのガードが固すぎる……」
ベッドの上でゴロゴロとのた打ち回る私。
5歳児の悲しさである。
どんなに前世の知識があろうと、私自身には親権がない。口座の開設も、株の注文も、すべて親を経由しなければ不可能なのだ。そして普通の親は「5歳の子供のギャラで株式投資をする」なんてリスクを絶対に冒さない。
「このままじゃ、せっかく稼いだギャラが全部、年利0.001%の普通預金に封印されちゃうよお姑さん……! 私の大富豪計画が立ち枯れちゃう……!」
『だから言ったでしょう、直球ではダメだと』
お姑さんが溜め息を吐きながら、脳内に新しいホログラムウィンドウを展開した。
『親という存在は、リスクを極端に恐れます。特に「株」や「投資」という言葉にはアレルギー反応を示すのが一般的な日本人です。ならば、プレゼンテーションの切り口を変えなさい』
(切り口……?)
『親が納得し、進んで資金を運用したくなるような【大義名分】と【安全に見えるスキーム】を構築するのです。名付けて【小田子役ファンド設立プロジェクト】です』
二、 プレゼンの準備:5歳児の事業計画書
翌日。私は自室の机で、スケッチブックとクレヨンを広げていた。
描いているのは、下手くそな(フリをした)カラフルな絵と、わかりやすい図解だ。
【目的】:里穂ちゃんの将来のレッスン代・衣装代・学費を自分で稼ぐ!
【仕組み】:里穂ちゃんが得たギャラの一部を「お仕事の準備金」としてプールする。
【運用】:お母さんが「管理責任者」となり、プロ(証券会社や信託銀行)ののアドバイスのもとで、減らない仕組み(国債や超安定的インデックスファンド、および成長株)で育てる。
【親の報酬】:マネージャー(お母さん)への「手当て」として、ギャラの10%をお母さんのお小遣いにする!
『完璧です、里穂。特に4番の【親へのインセンティブ設計】が極めて重要です。親を単なる「お金の管理者」ではなく「事業のパートナー(利益配分を受ける側)」に引き入れるのです』
(フフフ……人間、自分にもリターンがあるとなれば、急に話を聞く気になるものだからね……! 社畜時代、予算を通すために役員に袖賄賂……じゃなくて、インセンティブを提示しまくった経験が活きるわ!!)
三、 運命のプレゼンテーション
その日の夜。夕食が終わり、お父さんがビールを飲み、お母さんが食後の茶碗を洗い終えたタイミングを見計らって、私は動いた。
「お父さん、お母さん。ちょっとお話があります」
スケッチブックを胸に抱え、真面目な顔でリビングのテーブルの前に立つ5歳児。
「ん? なに、里穂ちゃん? お絵かき見せてくれるの?」
「ううん。これね、私のお仕事の【じぎょうけいかくしょ】だよ」
「……じぎょう……けいかくしょ……?」
お父さんがビールを吹き出しそうになった。
私はスケッチブックをテーブルの上にパタンと広げた。
「お母さん、さっきはごめんね。『かぶ』とか難しいこと言って驚かせちゃって」
まずは素直な謝罪。これで相手の警戒心を解除する。
「私ね、考えたの。私がお仕事をして稼いだお金はね、お父さんとお母さんが毎日働いて私を育ててくれたおかげで稼げたお金なの。だからね、全額私のお金じゃないの」
「え……里穂ちゃん……」
お母さんの目が潤み始める。
「だからね、これから稼ぐお金は、3つに分けるの!」
私はスケッチブックの図を指さした。
【1つめ:貯金(50%)】:お母さんが言った通り、銀行に預けて絶対に使わないお金!
【2つめ:お母さんの手当て(10%)】:いつも私のお仕事についてきてくれて、お洋服を選んでくれるお母さんに『マネージャーさんのお給料』としてあげるお金!
【3つめ:ふやすお金(40%)】:将来、私がおっきくなった時に、もっとすごいお勉強や海外留学に行けるように、お母さんと一緒に『安全なお金のお勉強』をしながら増やしていくお金!
「お母さん」
私はお母さんの手をギュッと握り、まっすぐな瞳で見つめた。
「私ね、お母さんに『お金のプロ』になってほしいの。お仕事のギャラをただ預けるんじゃなくて、お母さんと一緒に『どうすれば将来のためになるか』を相談しながら決めていきたいの。お母さん、私のマネージャーさんになってくれる?」
静寂。
リビングに、時計の針の音だけがカチカチと響く。
お母さんはスケッチブックの下手くそな(でも論理的な)図解を見つめ、それから私を見つめ、ポロポロと大きな涙をこぼし始めた。
「里穂ちゃん……! あなた……そんなにしっかりしたことを考えてたの……!? お母さん、自分のことしか考えてなくて……恥ずかしいわ……!」
お母さんが私を激しく抱きしめた。
「分かったわ! お母さん、勉強する! 里穂ちゃんが稼いできてくれた大事なお金、ただ銀行に眠らせておくだけじゃなくて、ファイナンシャルプランナーさんとかに相談して、将来のために一番良い方法で運用できるように勉強するわ!!」
(落としたぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!)
脳内で勝ち誇る私。
『お見事です、里穂! 【親のマネージャー化】および【40%の運用枠の確保】に成功しました! これでギャラの4割は、貴方の意図する銘柄への投資資金として動かせるようになります!』
(やった……! やったわお姑さん!! 18万円の4割=7万2000円! これで投資信託からスタートして、次の大型案件のギャラが入ったら一気に株式投資にブチ込める!!)
お父さんも目頭を押さえながらビールを飲み干していた。
「泣かせるじゃねえか、里穂……! お父さんも応援するぞ! お父さんのこづかいを削ってでも、里穂のファンドに出資してやる!!」
「あ、お父さんのお小遣いは削らなくていいよ」
「冷たい!?」
こうして、弱小一般家庭の中に、ひっそりと【小田子役ファンド】が設立されたのであった。
第5章:次なるターゲットと、ライバルの出現
一、 事務所からの緊急召集
ファンド設立から数日後。
サンライズ・プロダクションの松井マネージャーから、お母さんの携帯に興奮した様子で電話がかかってきた。
「恵子さん! すぐに里穂ちゃんを連れて事務所に来ていただけますか!? 超大型案件の指名オーディションが入りました!」
事務所に駆けつけると、応接室には黒岩プロデューサーがニヤニヤと笑いながら待っていた。
「来たな、里穂ちゃん。やっぱり『麦茶っこ』のCM効果は絶大だったよ」
黒岩さんが机の上に置いたのは、分厚い台本だった。
「NHKの大河ドラマ……?」
お母さんが息を呑んだ。
「そうだ。来期放送のNHK大河ドラマ『風雲の城』。その主人公の幼少期――つまり、物語の第1話から第3話までの主役を務める子役のオーディションだ」
(大河ドラマ……!!)
私の全身に鳥肌が立った。
前世の記憶が警報のように鳴り響く。
(大河ドラマ『風雲の城』……! これ、平成のテレビ史に残る最高視聴率30%超えを叩き出した、伝説の大バズりドラマじゃないの!!)
『分析完了。このドラマの主人公幼少期を演じた子役は、その年の「国民的子役」としてフィーバーを巻き起こし、CM契約数が一気に10本を超えました。推定獲得ギャラは……年間5000万円オーバーです』
(ご……ごせんまんえん……!!???)
脳内で万札の雨が降る。
5000万円あれば、何ができる!?
L社の株を買い占め、東京の再開発エリアのワンルームマンションをキャッシュで購入し、ビットコインの初期投資に数百万ブチ込める!! 10代で総資産億越えの大富豪になれる!!
「やります!! 私、そのオーディション絶対に受けます!!」
私が叫ぶと、黒岩さんは嬉しそうに頷いた。
「いい返事だ! だが、今回のオーディションは一筋縄ではいかんぞ。全国から選りすぐりのベテラン子役たちが集まる。そして……」
黒岩さんが一枚の写真を提示した。
そこに写っていたのは、どこか陰のある美少年――ハーフのような整った顔立ちをした、7歳くらいの男の子だった。
「天才子役と名高い、神宮寺 蓮くんだ。彼もこの役に命をかけている。ライバルは最強だぞ」
二、 5歳児の野望は止まらない
事務所からの帰り道。
私はお母さんと手を繋ぎながら、渋谷の街を歩いていた。
街頭の巨大ビジョンには、先日放映が始まったばかりの『麦茶っこ』のCMが映し出され、私の弾けるような笑顔が映し出されている。
「あ、見てママ! CMの子だ!」
「可愛い~!」
すれ違う人たちが、ビジョンを見上げて囁き合っている。
(ふふん……まだまだこんなもんじゃないわよ)
私は胸の奥で、小さな、しかし熱い炎を燃やした。
前世の私は、ただの使い捨ての社畜だった。
毎日他人の指示に従い、自分の人生の時間を切り売りして、雀の涙ほどの給料で耐え忍んでいた。
でも、今の私には武器がある。
28年間の社畜経験。未来の金脈ノート。バグで手に入れた最高の顔面。そして脳内の鬼スパルタ小姑AI。
子役として天下を取り、莫大な金を稼ぎ、それを未来の知識で何倍にも増やして、誰もが羨む大富豪になってやる。
そして絶対に、ハワイの海の見える丘で、金の扇子を右手に掲げて高笑いしてやるんだから!!
『里穂。ニヤけた顔をやめなさい。大河ドラマの台本読み込みと、時代劇特有の所作のトレーニングを始めますよ。本日のノルマは正座で30分発声練習です』
(ひぇぇぇぇ! 正座30分は5歳児の足が痺れて死んじゃう!!)
『不労所得のためです。耐えなさい』
(ううう……頑張るわよぉぉぉぉ!!)
5歳児・小田里穂の、大富豪への道。
次なる舞台は、日本最高峰のドラマ市場――NHK大河ドラマ!
私の集金バトルは、まだまだ始まったばかりなのだ!




