19・共通の知人が人外で気まずい件
小川家の一大事からのモーニングは、思いの他なごやかに過ぎて、お開きとなった。
お会計を済ませた小川母が優雅に店の階段を降りてくる。この人、和服がすごく似合いそうだな。
「それじゃあ、私。病院へ戻るわね」
小川母の眼差しが、とたんに物憂げな陰りを帯びる。こ、これが人妻の色気……。
「俺は一旦帰る。城野先輩、駅まで送ります」
「ありがとう。
あの、小川さんもお気をつけて」
小川母は陰りを抑えて優しく微笑み、美しい会釈を残して病院へ向かった。背筋の伸びた小柄な背中が大きく見えた。
「先輩、ほんとにいろいろとありがとうございました」
「もういいよ。小川主任も大変だったね、ってまだまだこれからだよね」
自然に同じタイミングで二人、ゆっくりと駅の方向へ歩き出す。
「何かお礼がしたいのですが」
「小川主任には、とっても助けられているんだけど」
「ですが」
その時、ピンとひらめいた。以前からの宿題だった、一人ではとても実行できない、あの案件が。
利用するようで気が引ける。でも一人で行く勇気はない。誰か、絶対的味方な人となら出来るかも……。
「じゃあ、あのね、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど、いいかな」
「どうぞ!」
内容を聞いてから、返事はすべきだと思うな。
お願いの内容を聞いた後、小川主任はすぐさま承諾した。なんのためらいもなく。心臓が強い……。
「今、連絡しますか?それとも後で?」
「……。今する。ちょっと待っててもらっても…?」
「もちろんです」
震えそうになる指で連絡アプリを立ち上げ、文を打つ。文が短すぎるかな?だからといって絵文字を詰め込むのは好みじゃない。
息を吸って気合いを入れる。
「送信!」
「ご立派です!」
小川主任の労りに、乾いた笑いがこぼれる。1年以上、放置した不義理な私には、過ぎた言葉だわ。
とは言え、ただ今は朝の8時。なんだかんだで2時間近くファミレスにいたことになる。
連絡するには、朝早い過ぎたかな。仮にも大先輩に対して……。返信が来るまで悶々としそう。
「城野先輩」
声を掛けられて、眉間のシワを慌てて伸ばす。「なにかな?」
「提案があるのですが」
「どうぞ」
「連絡先、交換しませんか」
そういえばそうだ。付き合わせるのなら、連絡先は必須。
「そういえば連絡はいつも陣野経由だったね。交換しよう。しばらく付き合わせることになるし……」
「付き合わせる……。はい、よろしくお願いします」
小川主任は、朝の太陽もかすむくらい、にっこりと微笑んだ。すっごくご機嫌に見えるけど、付き添いか従者扱いする“お願い”をした私としては、良心がモヤりとした。その曇りを打ち消したくて質問する。
「そういえば陣野とはどういった知り合いなの?」
ヤツはランプ……改めドリンク剤の精だ。いや、瓶の精?それだと強壮剤の仲間に聞こえて、語呂がなんかイヤな感じがする……のは気のせいか。
どうやって知り合ったんだろう。栄養剤の精だと、知っているのは間違いない。
小川主任はメガネを中指で押し上げている。
「ジン…野とは……。あまり人に言えない出会い方をしまして……。」
確かに。どう説明すれば良いの?こんなファンタジーな話。
でもジン入りのドリンク剤を渡してくれたのは、目の前の小川主任だ。
分かってて渡したんだよね……?それとも偶然?
そこを聞いて良いのか悪いのか。
私も小川主任も次の言葉を探して黙って歩く。あぁ、余計なこと聞いちゃったな。
だけど都合良く、駅に着いてしまった。
「ごめん、なんか変な質問しちゃったね。」
「いえ、僕の方こそ答えられなくて……申し訳ないです」
「いえいえ。じゃあまた、連絡来たら連絡するね」
「はい。お待ちしてます。」
小川主任の乗る地下鉄線と、私の使う線は東向きと南向きで全く違う方向だ。ここでお別れとなる。
お互い、ビジネスライクに「お疲れ様でした〜」と会釈し合って別れた。
あぁ、濃厚な週末だったなぁ。
ここがビジネス街だからか、休日の地下鉄は閑散として、足音がいつもより響く。カツーンカツーンと足音で遊びながらのんびり歩く。わぁ休日っぽい。
後ろから誰かが走ってくるのも良く分かる。こんな休みの朝なのに遅刻寸前の猛ダッシュ乙…とか思ってたら
「城野先輩!連絡先交換、忘れてました!」
片手にキャベツのドリンク剤を握りしめた小川主任だった。
命がけ気分で送ったメールの返信は、帰宅する前に来た。
“ご無沙汰しています。お変わりありませんでしょうか?
先輩が退職されて、すごく寂しくてすごく大変なことになっています(泣
もし良ければ、お会いしたいです(涙”
“まつり、久しぶり。覚えててくれて、実はすごく嬉しい。いろいろ聞かせてもらおうかな。”
やり取りはスムーズに続き、再来週の土曜日に先輩宅へお邪魔することになった。
同時に小川主任とも連絡を交わし、同行も問題なく決まった。同行というか付き添いというか……。
小川主任の「お礼」にリクエストしたこと、それは総務部を寿退社した先輩宅訪問に着いてきてほしい、ということだ。先輩宅とは、つまり副社長宅。もちろん、副社長と面識なんて無い。いくら大好きな尊敬する先輩とはいえ、副社長のお家へ独りで行くなんてハードルが高すぎる。
あと二週間で先輩に会える。総務部の鬼などとあだ名された、生ける伝説、頼れる柳木先輩に。
あぁ今から緊張してきた。来週の祝日あたり、美容院へ行こうかな。
次回、そういえばジンには話してなかった。
「ジンとインコのノー残業デーの過ごし方」




