230話 両親を思い(5)
「私が捜索した時、この辺りに沢山の血痕があった。木々もこの通りへし折られていてね。ただ」
「ただ?」
「……死体は一つもなかったんだ」
「……っ」
森の魔物が食ったのだろうか。
いや、何かがいた。この場所に、恐ろしいものがいたんだ。
目を閉じて思考を深く落としていく。
そう……真っ暗な闇と争う剣戟の音、降り行く雪で視界は僅かに煙っていた。そこに、嗅ぎ慣れない匂いがしていた。刺客達は父様や従者に倒されていくのに、何故か笑っていた。
あの時、母様が何かに気付いて叫んだ……。
「魔物寄せの香」
「え?」
母の悲鳴のような声が耳の奥でする。そうだ、魔物寄せの香よ! と叫んだんだ。そして、その直後だった。
「そうだ、魔物だ。とんでもなく大きい……熊やフェンリルよりも大きな二足歩行の……角のある魔物が出た。刺客は魔物寄せの香を焚いて、自分達の血の臭いも使って魔物をおびき寄せたんだ」
そうだ、思い出した。
グラララララララララ! という大きな音がして、枝に積もった雪が一斉に落ちた。地鳴りがして、母は俺を地面に下ろして剣を握り、父の隣に立った。
その魔物はずんぐりとした胴体に角の生えた頭部で、胴は茶色、手足は青く、顔は真っ赤だった。頭部から胸を覆う白く長い毛は汚れていて、手には棍棒を持っていた。
「っ!」
ズキリと頭が痛んで地に膝をついてしまう。割れそうな程痛む頭を抱えると叔父が駆け寄って支え、戻ろうと言ってくれる。オレグも肩を貸してくれる。
だがその時、記憶と現実が同じ音で満たされた。
「グラララララララ!」
「!」
その音は聞き間違えがない。空気が鋭く揺れて枝の雪が落ちる。地響きをさせる重い足音がこっちに近付いてくる。
「なんだ!」
「分かりません!」
「撤退する! 全員急いでコテージに……っ!」
そう指示を出した叔父は、次に目を見開きこちらを見ている騎士達に「しゃがめぇぇ!」と鋭く命じた。
咄嗟に従った騎士達の頭上を棍棒が薙ぐ。轟音を立てへし折れる硬い木々が吹き飛んでいく。そのあまりの破壊力、そして恐ろしさに騎士達はそっと振り返り、そこに立つ巨大な魔物に腰を抜かした。
「雪鬼……」
オレグが恐れ呟く。雪鬼と呼ばれたその魔物は獲物を前に興奮したのか赤い顔を更に赤くして、僅かに上向いて咆哮した。
「こいつだ……こいつらが、母様と父様を殺したんだ……」
思い出した。あの魔物に二人は立ち向かった。騎士達も。
俺は一番後ろで一人震えていた。そんな俺に、母は「逃げなさい!」と言ったけれど、俺は動けなくてただ泣くしかなかった。
その俺に向かい、母は魔法を放った。追い立て、遠ざけるように魔法を放ち声を荒らげ怒ったんだ。
俺はそれに、傷ついた。一番信頼している人に殺されるんじゃないかと思って、悲しくて、怖くて……必死に逃げて、走って走って……そのうち何処を走っているかも分からなくなって……気付いたらレナウォンの近くで倒れていた。
「そうだ……母様も父様も俺を逃がそうとしてくれた。俺が動けなくて……だから母様は無理矢理にでも立たせて追いやるのに俺に魔法を打ったんだ。当てないように、気をつけながら」
なのに俺は恐怖と悲しみで全てを忘れてしまった。あんなに愛されてきたのに、身勝手に……。
悲しみで胸が痛い。苦しさで息ができない。
その時、再度雪鬼が咆哮を上げて棍棒を振り上げ、騎士に向かい振り下ろした。
「逃げろ! 雪鬼はAランクの魔物だ!」
そう言いながら叔父は剣を抜く。騎士達の前に立ち、俺やオレグも庇うように。その姿が、かつての両親に重なって俺は歯を食いしばった。
何をしている。あの頃の、何も出来ない子供じゃない。俺は強くなった。そしてこいつは両親と従者達の仇だ。そいつに、今度は叔父までやられるのか。
そんな事、許す筈がない!
立ち上がった俺はドンと地を踏む。瞬間、放たれた魔力は青白く光り周囲を凍結させていく。狙いの雪鬼は自身の足元が凍った事に多少驚いて様子だが、気にはしていない。むしろ嘲笑うように歩を進めようとして……進めない事に首を傾げた。
怒りが、責任が、思いが俺の力になる。俺の周囲だけ吹き荒れる雪が、意志を持って舞っている。
「氷系で自分が捕まるとは思ってなかったんだろう。だが、俺の魔法は氷系特化の神獣、ソウシュン仕込みなんだよ!」
そうだ、何をしてもこいつをここで仕留める。こんなのが町を襲えばどうなる。フスハイムが、レナウォンが崩壊する事だってありえる。
魔力は全て凍気にしていく。俺の足元を三重の雪の結晶が高速で回る。練り上げる魔力は密度を増して音を立て、空気を凍らせる程だ。
「クナル何を……無茶だ! やめなさい!」
あまりの高出力に叔父は止めようとするが、それももう届かない。
『ここは監獄、咎人の地。その身は動けず引き裂かれ、赤々とした大輪を咲かせるだろう』
極大魔法。神獣であるソウシュンが「俺なら」と教えてくれたものだ。あまりの高出力に使える者がほぼなく、時代の中で消え失せたものだ。
長い詠唱は己の中の魔力を形ある魔法に昇華する為に。言葉を連ねる毎に俺の中のイメージも固まる。ごっそりと魔力が抜かれているが、平気だ。元々の魔力量も多い俺は更に氷特化のソウシュンの加護を得ている。だからこそ出来る事だ。
雪鬼は動く事も出来なくなり、足元から徐々に氷が這い上がっていく。分厚い皮膚と体毛が凍り、腰まで覆う。それを暴れて取ろうと棍棒を振り回すもそれは叶わず、徐々に胸へ、肩へと這い上がり、最後に頭の天辺まで凍り付いた。
『八寒地獄・桑尸!』
その瞬間、一瞬目眩を覚える程に魔力が削れる。だが同時に魔法は正確に発動した。
雪鬼の足元から氷で出来た枝葉が伸びて体を突き刺し更に枝を伸ばし食い込みながら頭の天辺までを一気に貫いていく。貫いた枝は赤く濡れ、それは一瞬で凍り、まるで赤い花のように散っていく。誰の目から見ても雪鬼は間違いなく死んでいた。
それを確かめ、クナルは膝を付く。急速に失われた魔力に体が追いつけず目眩がして姿勢を保てなかった。そんな俺を、この場にいる誰もが恐れただろう当然だ、過ぎた力は畏怖だ。
苦笑して……寂しくなる俺は俯いてしまう。だがその頭を、唐突に強く抱きしめる腕があった。
「クナル、大丈夫か! 無茶をして……体も冷え切っている」
そう言いながら自分のコートを俺に着せかけて、その上から更に摩る叔父を見て……俺は救われたんだと思う。
「あいつが、母様と父様を殺したんだ」
「あぁ」
「魔物寄せの香に誘われて出てきたんだ。父様も、母様も勇敢に戦って、俺を必死に逃がしてくれたのに……俺は恐怖と悲しみで全部忘れてしまったんだ」
「お前は小さかったんだ、仕方がない」
「俺を逃がすのに戦ってくれたのに……俺を想ってくれていたのに俺は……俺は」
「クナル」
せり上がるような悲しみと苦しさに泣きながら、俺はそこでワーワーと子供みたいに声を上げて泣いた。この懺悔は届くだろうか。この思いは……感謝は伝わるだろうか。愛してくれていたのに、それを返せなかった年月を思うとやりきれない。
雪が、しんしんと積もり出す中、俺はどうしようもない感情を吐き出し疲れ果てて気を失うまでこの場所で泣いていた。




