229話 両親を思い(4)
「クナル?」
反応がないことに気付いたフェレンツがこちらを見て、驚いて立ち上がり俺の頬を撫でる。俺は気付かない間に泣いていた。何がこんなに悲しいのか自分でも分からないのに、胸は締め付けられるように苦しいのだ。
「大丈夫かい?」
「……分からないんだ。なんで、俺は泣いてるんだ?」
分からない事が不快だ。でも……押し潰されそうなんだ。
そんな俺を見て、フェレンツはそっと肩を抱いてくれる。背中を叩く優しい温もりに俺は安堵して、同時に涙は止まらなくなった。
「君の中には、封じてしまった何かがあるのかもしれない。それが、思い出す事を拒んでいるのかもしれない。でも、気持ちが無い訳じゃないだろ?」
「そう、なのか……?」
でも……そうか。可能性はある。襲われたらしい。その時俺も同行していたはずなんだ。俺が……俺だけが何があったのかを知っている唯一の可能性が高い。
ちらりと墓石を見て、俺は願う。この不安や恐怖を乗り越えられれば、大事な何かを思い出すんじゃないかって。大事なものを、取り戻したいと。
そして翌日、熊の引くそりに乗り、数人の護衛を連れてフェレンツと俺、そしてオレグは両親が行方を眩ませたと思われる地点へと向かった。
それは大きな道を途中で逸れた脇道で、森の中をつっきるようなもの。話では旧道らしかった。
「こちらの道は近年じゃあまり使われなくなってね。けれど忍旅路だった姉上達はこっちを通ったらしいんだ」
「どうして使われなくなったんだ?」
俺の問いかけにフェレンツは苦笑して首を横に振る。つまり、明確な理由が残されていないんだ。
「まぁ、こっちの道は険しいですからな」
「……確かにな」
雪国の者は足腰が丈夫である事が多いが、それでも限度はある。今通っている道は勾配がきつく、吹雪けば道を見失いそうにも思う。使いづらくなって新道を開通させたというのはある事だ。
そんな事でゆっくりと進み、日が暮れる少し前に俺達はコテージに到着した。
なんて事はない、普通のコテージだ。高床になっていて、扉もしっかりしている三角屋根に煙突のあるもので、中もおそらく十人以上は泊まれるだろう。
だが俺はそれを見た途端、足が竦んだ。行きたくなくて震える。目を見開き、動けない俺に気付いたフェレンツが隣に来て背を叩いた。
「ここにも、争った形跡があった」
その事実だけで、俺は怖くなる。目を見開き、震えながらも促されて歩を進めて……扉を開けた瞬間、ぼやけた映像が頭を埋め尽くした。
白い騎士服を着た人達の背中と、武器を持った黒服の男達。俺を守るように抱える女性は知っている。凜々しい表情に警戒と恐れを強く滲ませた人が、俺を守ろうとしている。
『ブランシュ、クナルを連れて逃げろ!』
俺と母を振り返りそういった人は、今の俺に瓜二つだ。警戒に毛を逆立てながらも必死にしている人を俺は知っている。
「あ……母様……父、様」
震える声が漏れた。胸にズキリと痛みが走って、息が浅くなってくる。涙が止まらなくなる。俺はこの場所を知っている。そうだ、襲われたんだ。母様を狙った刺客が放たれて、それで……。
「クナル!」
「護衛の騎士が五人、戦ってくれた。黒い服を着た奴等が夜、突然襲ってきたんだ。騎士が俺と母様、そして父様と他の人を逃がして戦って」
ガタガタみっともなく震える俺を抱きしめたフェレンツが沈痛な様子を見せ、頷いた。
「……ここでは騎士五名と、その五倍の黒服の男達が倒れていた。勇敢な騎士だ。たった五名でこれだけの刺客から君達を守ったのだから」
あぁ、やはり彼らは死んだんだ……。
その事に俺はひどく打ちのめされた気分になる。誰も死んでなどほしくなかった。ちゃんとは思い出せないが、彼らは気さくでいい人だったように思う。声を掛けてもらった。初めての長旅で、疲れていないかと。甘い物をくれた。
室内はとても静かで、長く換気もされていなかったのか空気が淀んでいる。そして、戦いの面影が残っていた。
壁や床に残る生々しい剣の跡や、僅かに黒ずんだ床板。オレグがカーテンを開けた時、俺はそこに五人を見た気がした。しっかりと立ち、騎士の礼をしながらも笑っている、そんな彼らを見た気がしたんだ。
その日は早々に休んだ。頭も痛かったし、混乱もしている。精神的にも安定していなかったから早めに布団に入った。
そして、夢の中で母と父に会った。まだ幼い時分だろう、寝入り端に物語を強請る俺に母が優しい声で話をしてくれて、その傍らには父が同じく優しい顔をしている。
幸せな時間だった。優しい気持ちになれた。幼い俺にとっての嬉しい時間だ。
『愛しているよ、クナル』
『ゆっくり休むのよ、クナル』
そう言って二人は俺の頭を撫でて、頬にキスをくれる。俺はそれをくすぐったく思いながら受け入れてキャッキャと声を上げている。
「……俺も、愛しているよ」
夢の中、ジンと痺れるように目頭が熱くなって涙が出た。
◇◆◇
翌日、俺は幸福と寂しさで目が覚めた。
起き上がり、自分の手を確かめてからギュッと握り込む。
まだだ。まだ思い出せていない。あの後、父様と母様と数人とで逃げた。抑えきれなかった五人程の刺客に追われながらも麓を目指して夜の森を逃げた筈だ。
でもその先が分からない。寧ろその先を俺は恐れている気がする。
立ち上がり、身支度を整えた俺は下のリビングへと向かう。そこには既にフェレンツがいて、俺を見て心配そうな顔をした。
「クナル、大丈夫かい?」
「あぁ」
本当に安堵してくれる人を、朧気に思い出した。お菓子をくれる優しい叔父さんがいて、今よりも頼りなかったけれど好きだった。
「そうだ、クッキーなんてどうだい? 私は好きでね、持ち歩いているんだ」
そう言って懐から包装されたクッキーを取りだした人を見て、俺は思わず吹き出した。
「あんた、今もそうやって甘い物隠し持ってるのかよ」
「え?」
キョトッとして、目を丸くした人が俺をジッと見つめる。その目にジワジワと涙が浮かんで、そのまま俺は抱き込まれた。
「覚えているのかい、クナル! そう、そうだよ。昔も会うとこうして甘い物を」
「それで母様に怒られたのに、懲りずにやってたんだな」
「っ!」
「……悪いな、叔父さん。今の今まで、思い出せなくて」
ギュッと強い力が加わる。その背に俺も手を回して、抱きしめた。ようやく俺の中でも何かがストンと落ちてきて、この人を受け入れられる。昔から甘っちょろくて、一緒にこっそりお菓子を食べた人の姿が今に重なった。
外は晴れているが、木々が覆うこの辺りは枝葉が陽光を遮り薄暗い。冬でも葉が落ちない黒々とした木々はそれだけで何かあるのでは? という雰囲気を作り出す。
道はないに等しいが、俺はこの道を知っている。騎士が先頭を行き、俺は叔父の隣にいる。
目を閉じると思い出す。母が俺を抱えて走り、従者達が追っ手に対処しようと戦って、先頭は父だった。
俺は怖かった。真っ暗な闇の中を走るようで。雪が降り出して辺りは黒と白ばかりだった。
「……ここだ」
そう言って立ち止まった場所は何の変哲もない場所だった。木々が同じくあるばかり。
ただ、やたらとへし折れた木々が多い。力任せに折られた断面の木々だ。
そこに叔父はゆっくりと進み出て、そっと地面に触れて祈りを捧げる。その姿を、俺は呆然と見ていた。




