222話 マサの出産~クナル~(2)
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こうして一度は側を離れて執務室へと入ったものの……落ち着かない。
今頃マサは辛い思いをしているんじゃないか。苦しいと聞いている。それに、出産時の死亡率もそれなりにある。それはそうだ、あの細い体で小さいとはいえ子を産み落とすんだ。
目の前の書類は何一つ内容が入ってこない。そんなものにサインも出来ず結果ウロウロしてしまう俺に、戸口で声がかかった。
「やっぱお前でもそうなるか」
「団長! いつから」
そこには腕を組んで苦笑しているデレク団長がいて、軽く溜息をついている。普段なら気配に敏感で声が掛かる前に察知できるのに。
彼は苦笑して近付いてくる。何ともいえない様子で。
「五分くらい前か。一応ノックもしたぞ? 聞こえてたか?」
「あっ、いや……」
意外とショックだ。けれど団長は何も言わずに近付いて、ポンと俺の肩を叩いた。
「まぁ、分かるけどな。俺もリデルの出産の時にはこんな感じだったろ?」
「あぁ……だな」
あの時は「落ち着かないな」と思っていた。普段から落ち着きのない人があの時は城の処置室前でずっとウロウロして、気配はずっと処置室に向かっていた。苛立つような気配もあって俺は付き添ってきたものの居心地はあまり良くなかった。この人、普段こんなだが強いんだよ。
でも……今は分かる。落ち着かないし、心配で頭の中がゴチャゴチャする。何をしても集中できないし、ひたすらマサの事だけを考えてしまう。
そんな俺を分かってくれるのか、団長はポンポンと肩を二度叩いた。
「昼から子供生まれるまで、休んでいいぞ」
「え?」
「こんな状態のお前じゃ、ミスするだろ。書類の決裁も急ぎは俺に回せ」
「でも」
それは、副団長を任されているのに怠慢じゃ。
思ったけれど、団長は首を横に振った。
「こういう時はいいんだよ、それで。お前一人で仕事してんじゃない。書類仕事は俺もできるが、マサの旦那はお前だけだろ? どっちが大事か、分かるか?」
「あ……」
そう、だ。子が生まれる、その瞬間は今だけで、俺はマサの番だ。
分かっている、居ても役には立たないだろうというのは。この一瞬だけでも替わってやれるならそうしたいと願うけれど、そうは出来ないし。ただ、側に居て手を握って声を掛けるくらいしか、きっと出来ないけれど。
側に、居たい。
「悪い。お願い、します」
「おう。書類渡せ。あと、引き継がなきゃなんねぇ事とか報告しろ」
「はい」
とは言え、日々それなりに報告をきっちりしているからこの人はある程度把握している。軽く確認で大丈夫だ。
ザッと見て期限の近いもの、判断に迷うもの、慎重に考えなければならないものを選び出して団長に渡した。
説明もして、少しだけ議論をすると午前の時間は過ぎていく。彼が「分かった」と腰を上げる頃には昼休み直前だった。
「これは俺の方でやっておくから、心配すんな。そら、行ってやれ」
「すみません! ありがとうございます!」
きっちりと頭を下げると団長は大股で歩きながらヒラヒラ手を振って出ていく。それを見送り、俺は部屋に鍵をかけて食堂へと駆け込んだ。
食堂ではグエンが小さめに握ったおにぎりを用意していた。塩だけ、鮭、佃煮という甘塩っぱいやつに胡麻を和えたものだそうだ。
それらを持って医務室に行くと、マサの苦しそうな唸り声が聞こえた。
「マサ!」
慌てて中に入るとマサは横向きに寝転がって背中を丸め、辛そうな顔をしている。その背中をリデルが強く摩っていた。
「リデル、大丈夫なのか!」
「えぇ。朝よりも進んできているので、痛みが断続的に強くなっているんです。徐々に間隔も整ってきたので、順調ですよ」
順調って……。
ブルブル震えながら苦しげに息を吐いて硬く目を瞑るマサを見て、愕然としてしまう。苦しくて……何かをしてやりたいのに何ができるのか分からなくて呆然とする。
「クナル?」
「あ……っ」
皿を机の上に置いて駆け寄った俺はマサの手を握った。
酷く汗をかいている、その髪を撫でて見れば薄く目を開けたマサが笑った。
「ごめ……五月蠅いかもっ! でも、まだ大丈夫だから」
「っ!」
情けない。こんなになってる奴に、心配されている。必死で笑っているマサを見て、俺は酷く苦しくなって頭を抱きしめた。
「……心配してない。大丈夫だって、信じてる」
「クナル……」
「あんたは自分の事と赤ん坊の事だけ考えてくれ。俺がちゃんと支えるから、無理して笑わなくてもいい。全部受けとめる」
叶うなら替わってやりたい。痛みだけでも俺が引き受けられたらいいのに。
それが出来ない俺は、ギュッと抱きしめて言葉を尽くすしかない。どんな些細な事でもいいから、出来る事を全てしたいと願う。
そんな俺に、マサがギュッとしがみついた。
「ありがとう、心強いよ」
「んっ」
頼るように、縋るように俺の服を握るマサが愛おしい。この小さな体で頑張るこいつを、俺は守ってゆきたい。この先も、ずっと。
痛みが引ける時間があるらしく、間もなくしてケロッとした顔をしたマサは今ご飯を食べている。三口程度で食べられるサイズとはいえ、それを五個あっという間だ。
「やっぱりお腹に物が入ると落ち着くね」
レモン水を飲みながらそんな暢気な声で言われるとリアクションに困り「おっ、おう」としか言えなくなる。そんな俺をリデルが笑って見ている。
「今はまだ痛みのない時間がありますが、徐々にそれもなくなります。そこからが本番ですから」
「そうなのか……」
あの苦しい時間が長引くのかと思うと、今から心構えが必要そうだ。それでも側にいたいと思う。
「リデル、立ち会いはできるのか?」
「……あまりお勧めはしませんよ。魔物討伐とはまた違う、ちょっとショッキングな状態です。以降の夫夫生活に支障がある事もあります」
「それでも側にいたい。出来る事は全て手伝うから」
「でも、クナル仕事は?」
これを聞いていたマサがキョトッと言う。これに俺は苦笑した。
「こんなソワソワしてる奴に仕事は無理だって、生まれるまで休みだされた」
「えぇ! あっ、ごめんね?」
何だか悪い事をしたような顔をされて、俺は苦笑して頭を撫で……軽くデコを弾いた。
「いた!」
「ばーか、謝る事は何もないだろ? そういう時はなんて言うのか、知ってるはずだぞ」
「あ……ありが、とう」
少し恥ずかしそうに伝えるマサに微笑んで、俺は頭を撫でる。その後でギュッと抱きしめた。
「側に居させてほしい。こんなんじゃ、心配過ぎて寝られもしない」
正直飯も喉を通らないんだ。
背にマサの手が触れる。ギュッと、強く。
「居てくれるだけで力を貰えるよ。ありがとう、クナル」
「んっ」
それしかしてやれなくてごめん。でも、あんたを励まし続ける事はする。この手を離す事は絶対にしない。
リデルも許してくれて、俺はそこからずっと、マサの隣に座って気を紛らわすように他愛ない話をするのだった。




