195話 救世の聖人(15)
ミシミシ……という生木が立てる音がする。苦しそうなアリスタウスの声がするけれど、抗っている。繋いだ手から女神の応援の声も聞こえる。クナルが俺を、応援する声も聞こえる。
この全部を力に。俺を応援してくれる、全部の力を貸して欲しい。必ず救ってみせるから。だから!
ミシミシ……メリッ、メリメリメリッ!
それはまるで巨木が上げる悲鳴のような音だった。軋む音に続いて太い茨が裂けていく。根元から徐々に上へ、ドロドロの黒い樹液みたいな物を垂らしながらも更に裂け目は大きくなって、やがてアリスタウスの胸の上にあった大きなバラが弾けるように飛散した。
「っ!」
目も眩むような光がほとばしり、白い世界を更に白く染め上げてまだ広がる。吹き飛ばされそうな力に離れかける手を、クナルが強く掴んでくれる。
その衝撃を全身に受けて、俺の意識はまた薄れて消えていった。
◇◆◇
耳に、小川のせせらぎが聞こえる。鳥の囀りと、風にそよぐ草の音も。
ふと目を覚ますとそこは穏やかな草原で、温かな日差しが差し込む綺麗な場所だった。天国っていうなら、信じられるくらいに。
「死んでないわよ」
「え?」
見れば女神が俺を覗き込んでいる。それどころか俺は女神の膝枕で気持ちよく眠っていたみたいだ。
「目が覚めたね。よかった」
「あ……」
声のする方には綺麗な黒髪のアリスタウスもいて、自由に笑っている。それにホッとして……隣で眠るクナルも見た。
「……俺達、死にましたか?」
「そうだね」
そう、何でもないようにタウスが言う。でも、その様子からはあまり悲しげな感じがしなかった。
「でも、これは私達の不始末が招いた事だから。二人の肉体はちゃんと確保してある。望むなら、地上に返すよ」
なんだかその言い方、含みがあるな。
「でもとりあえず、メリノの膝から降りてくれないかな? 彼女、私のお嫁さんなんだ」
「あ……」
微妙にイライラとモヤモヤな空気を感じた。嫉妬したっぽい。俺は慌てて体を起こしてクナルの側へと座った。
居住まいを正し、タウスが女神の隣に腰を下ろす。俺は目覚めないクナルを気にしたけれど、彼から「ここから先は私達と君との話し合いだから」と言われてしまった。
「まず、改めてお礼を言わせてもらいたい。メリノと世界、更には眷属や私まで世話になったね。この世界に生きる全ての者を代表して、お礼を言いたい。ありがとう、智雅」
「いえ、俺で役に立てて良かったです」
形式張った感じではあるけれど、感謝の心は伝わってくる。深く頭を下げた人に俺も同じように返すと、彼は困った顔で笑った。
「さて、お礼の言い合いになっては時間の無駄になるから、先に話を進めよう。まず君の意志を確かめたいんだけれど……元の世界に、戻りたいかい?」
これに、俺は一瞬詰まった。
個人としては戻りたいとは思わない。クナルの側に居たいし、この世界で知り合った人と一緒にいたいと思う。薄情だけれど、元の世界にあまり執着がないんだ。
ただ、自分達の扱いがどうなるのか。母達の供養という所は気がかりだ。
「……この世界には多くの聖女、聖人が取り残されてしまっている。今生きている聖女達はこちらで見て、明らかに不当な搾取が行われていると思える者は元の世界に既に戻した」
「え?」
「更に私の方で君と同じ問いかけをして、戻りたいと願った者も既に返した」
「あの! 妹はどうなりましたか!」
これは考えていなかった。星那はどうしたのだろう。もしも元の世界に戻ってしまっていたら。
そう思い焦って問うと、タウスは苦笑して首を横に振った。
「君と同じ世界で暮らしたいと言っているよ」
「こっちの世界にも大切な人が増えたみたいね。でも、あの子の世界にはお兄ちゃんの幸せも大事みたい。だから、智雅に委ねるって」
「あ……」
そう、望んでくれたのが嬉しい。いいんだろうか……という戸惑いもあるけれど、そう言ってくれるなら。俺の、我が儘を聞いてくれるなら。
「俺は、こっちの世界に残りたいです」
クナルの側に、皆の側に……できれば、騎士団宿舎の家政夫として。
この答えは既に予測していたみたいだ。タウスも女神も顔を見合わせて頷いている。
「あの、でも可能なら伺いたい事があります」
「いいよ、なに?」
「俺と星那は元の世界で、死んだ事になるんでしょうか?」
この問いかけに、タウスと女神は少し困りながらも頷いた。
「世界から人が消えると、周囲などにも影響があるのは事実だよ。けれどそれを埋めるように、出来る限り小さな修正で済むように世界も動く。君たち兄妹は店を引き払い、田舎に越したという事になったみたいだね。常連の客など、関わった人とは穏やかな別れがあり、引っ越した。そこから先は皆の記憶にないよ」
「失踪とか、回りの人に迷惑とか、店の事とか」
「店は新しい店主が入って、小さいけれど賑やかにしているみたいだね」
思ったよりも穏やかで、人に迷惑のかからない方向で修正がされているみたいだ。これで元の世界に影響が大きかったらどうしようかと思った。
「それと、君達の両親についても心配しなくていいよ。二人とも穏やかに眠っているし、安心したみたい。子供が二人とも幸せにしていてくれるならって」
「あ……」
それを聞くと、少し申し訳ない。お墓参りとか、ちゃんと供養をしたいけれど。
「……少し時間がかかるかもしれないけれど、二人の位牌? というのかな? 供養に必要な物をあちらの神に融通してもらうけれど」
「え!」
それは思いがけない事で、俺は素っ頓狂な声を上げた。これに女神は笑っている。
「あちらの神としても処理に困るだろうし、捨てる物ならもらい受けるわ。お詫びの一つと思ってちょうだい」
「女神様! ありがとうございます」
ガバッと勢いよく頭を下げた俺に、二人の神は笑って引き受けてくれた。
「とりあえずいいのかな?」
「はい」
「ではもう一つ。智雅、私達の眷属としてこの世界を安定させる力になってくれないか?」
「え?」
これは予想外で、思わず目を丸くする。俺が神様の眷属? セヴァン達と同じになるってこと?
驚きしかなくて二人を見たら、どうにも冗談じゃなさそうな真剣な顔をしている。
戸惑う俺に、タウスが正直に話してくれた。
「危険な状態を脱したというだけで、世界はまだ荒れている。強い魔物もまだそのままだし、私もメリノも力を大きく削られてしまった。数百年、数千年を使って安定させていくことになる。その為の力を貸してもらいたい」
「智雅は心で魔法を使う事にも慣れているし、とても優しいわ。できればそうして欲しいんだけれど」
「俺は……」
正直、戸惑う。そんなに特別な事はしていないと思う。
何より俺が頑張れたのは側にクナルがいたからだ。他にも沢山、俺を支えてくれる人がいたからだ。俺一人ならとっくの昔に潰れていた。だから……
笑って、俺は二人に向き合った。
「ごめんなさい。俺はクナルや他の大事な人と一緒に、普通の人として過ごしたいです」
「……そう」
「あぁ、そうだね」
素直な笑みで伝えたら、これもきっと予想通りだったんだろう。二人は残念そうにしながらもすんなりと受け入れてくれた。
でもちゃっかり、「死後にそんな気があったら」なんて勧誘も受けた。まぁ、死後ならね……少しだけ覚えておくよ。




