14.欲しかった一言
「……どうしたんだ?」
机が隅に寄せられ椅子が倒されている。
その中心で歩夢と佐久間は言い争いをしているようだった。
片隅で携帯を弄っていた千とその隣にいた香穂に要人は声をかけた。
「宮本と佐久間が歩いてるところを……先生に見られたらしくて……」
ただ一緒に歩いていただけ。
けれど、友達のいない不良と評されている佐久間。
一緒に歩いているところを目撃すれば、仲がいいのだと思うだろう。
担任の先生は、佐久間のことを宮本に任せた。
――――佐久間君と仲良くしてあげてね。不良の道に走ろうとしているのって、悩んでいるのかもしれないから。
それは、周りとの関わりを避けている佐久間にとって、かけてはいけない禁句の一つでもある言葉。
「なんでそこまで俺に関わるんだよ! ほっとけよ!」
「ほっとけないよ!!」
言い合っている二人の倍の大きさ。
それほどの威力で香穂は言い合いを割いた。
佐久間の声は、歩夢から香穂へ移る。
「なんでっ!」
「それは、わたしが……ううん、みんなが佐久間君と本当に友達になりたいって思っているから」
香穂の声は佐久間の中にある酷く小さな世界に、大きく牙を剥く。
その言葉は、ずっと背を向け続けていた佐久間を動かせた。
「……!!」
目を見開き、膝からガクンと床に崩れ落ちる。
身をかがめ俯く顔を覗き込むと、音もなく涙が零れて消えていた。
「さ、佐久間君!?」
男子高校生。
それも泣くイメージのない人が静かに涙を流すその現実に驚きを隠せない。
しかし、すぐに佐久間を包み込むように香穂は優しく声をかける。
「……佐久間君。なにがあった、の? わたしたちは、佐久間君を一人にはしないよ」
佐久間の頬を伝う涙を小さく細い指先で一滴拾い、微笑む。
「一人は……寂しいもんね」
「……本当は、知ってたんだ。俺が施設に、預けられた理由」
声を押し殺し、頬を濡らしながら。
ゆっくりと話し出す。
「辛いのは、一番辛かったのは俺じゃない。母親の方だって」
「耳の不自由な子供が生まれたと聞いた瞬間に父親が逃げて……。でも、家には親戚もいないし、祖父祖母も他界していない。母親しか俺を育てる人がいなくて。でも、女にとって二人分の生活費を稼ぐのは大変で。全然家に帰って来れなくって」
四人は、黙って聞く。
ただただ、なにも言わず。
「俺も小さかったから、寂しいって言ったこともあった。一日でいいから、ずっと一緒にいたいって……。でも、それも叶わなくて」
佐久間の涙が床にポタポタと落ちる。
「母親も、痛感してたんだと思う。だから、家族に似た人たちが沢山できる施設に俺を預けることを決めたんだと思うんだ」
涙を袖で拭き、頭を抱える。
苦しい、辛い。
その言葉が全身からにじみ出ている。
「頭では、ちゃんと分かってる。母親は、俺のことを考えてこれを選んだって……でも、理解は苦しくて。焦って。どうすることもできなくて」
幼かったから、ただ憎むしかなかった。
どうしようもない悲しみを、苦しみを、辛さを母親や園の人にぶつけただけだ。
そうしてずっと、自分と自分の世界だけを守ってきた。
自分だけの小さくも静かな世界に誰も入れないと決め付けてきた。
嫌のことを避けてきた。こんなのただの餓鬼じゃないか。
「もう誰も信じない。そしたら、きっと……一緒にいる人が誰もいなくても、一人でも、大丈夫だと……」
「大丈夫。わたしたちは佐久間君を置いてどこかに行ったりはしない」
佐久間に向かって香穂が両手を広げる。
今までの佐久間の人生を想像して、香穂の瞳にも涙が溢れている。
「わたしたちは、ずっと佐久間君と一緒にいるよ。いたいんだよ」
そうだ。この言葉だ。
ずっと一緒にいてほしかった。
あの時の自分が母親に。父親に。
かけてほしかった言葉は、望んだ言葉は、一つだけだったんだ。
「やっぱり一緒にいよう」でも、「一人にはさせない」でも。
なんでも、よかったんだ。
“一緒にいたい”と思う。
それはそこまで、贅沢なことだった?
「時間は……かかると思う。……迷惑もかけると思う」
一息おいて。
ゆっくりと、正確に。
「それでもいいなら、一緒に……いてくだ、さい……」
「もちろん!」
隣にいた香穂が即答する。
「あぁ」「当然だよ!」「分かってる」
それに続き、要人、歩夢、千が返事をする。
「佐藤、ごめん。あと、あ……ありが――…………?」
急に口を閉ざし、香穂の顔を覗き込む佐久間。
瞬間に香穂の身体から感じたことのある感覚が流れ出す。
それにこの瞳には見覚えがある。
『やぁ、君たち本当面白いね。思わず出てきちゃった』
「…………ホオズキッ!」
『でも……一人だけあんまり面白くない人間がいるんだよね』
ホオズキが自身、つまり佐藤香穂の心臓辺りを突く。
『だーかーらー』
『面白くしちゃった』
ホオズキが佐藤香穂の身体から出て行く。
それと同時に香穂の身体が大きく傾く。
間一髪、佐久間が支えるが目を覚ます様子はない。
呼吸が荒い。
顔が青白い。
その場にいた全員の脳裏に病気の二文字が浮かぶ。
「……なにをした?」
『つまらないから、ちょっと面白くしただけだよ』
いつもとは違う、猫の姿でホオズキが佐藤の方をチラリと見る。
『いくら僕でも健康体に病気を仕掛けることはできないからね。この子のもともともっていた病気に“悪化”という細工をしたんだ』
「……柊。こいつ、頼む」
「え? 佐久間!?」
佐藤を柊に預け、ドアを勢いよく開けて一目散に走り出す佐久間。
急な佐久間の行動が理解できず、全員がだんだん小さくなっていく佐久間を目で追うことしかできなかった。
『あーあ。佐久間透は……逃げたのかな? 折角、自分に居場所を与えてくれた優しい子なのに……。人間って不思議。同じ生物なのに、同種を裏切るようにでも作られてるのかな?』
「……誰が原因だと思ってんだよ……!!」
『ふふっ。人間のそういう瞳は好きだよ。まだまだ、実験のやり甲斐があるね』
影がユラリと窓から消えた。




