13.壊れそうな背中
「いいことだと……思ったんだけど、なぁ……」
ぽつりとつぶやいた小さな声は、離れていく佐久間には届かない。
風に揺れ、顔に当たる髪を耳にかける。
少し悲しそうな眼の色をしたまま、家路へと帰る。
「……あーぁ」
また、余計なことしちゃった。
わたしは、なにもしない方がいいのかなぁ。
いない方が、いいのかなぁ。
……胸が痛いなぁ。
お昼の薬、ちゃんと飲んだのになぁ。
なんでだろう……なぁ。
「ただいまぁ」
歩いて約二十分。
家に着く。今日はお父さんもお母さんも帰りが遅い。
簡単な料理くらいはしてあげないといけない……それなのに。
気分が悪い。なにも食べられそうにない。なにもしたくない。
夜の薬も、飲みたくない。
***
カーテンから差し込む朝日に目を覚ます。
あのまま朝まで寝てしまったんだ。
目を覚ますと、違う部屋。
「また……入れ替わったんだ」
どうしよう。いつから入れ替わっていたのだろう。
ここ、どこだろう?
夜の薬、飲んでない。朝もまだ。
大変だ。とりあえず誰かに連絡を取って、変わったその人に連絡を……。
手元にあった携帯電話。
着信履歴が一番近い人に電話をする。
「もしもし!?」
≪「どうしたんだ、柊。慌てて」≫
「ひい、ら……ぎ?」
≪「もしかして入れ替わりか? 誰だ?」≫
「ご、ごめんね! 後で詳しく話すから!」
千との電話を切り、急いで要人(自分)にコールをかける。
「要人!! 大丈夫?」
≪「なにが、だ?」≫
「どこも痛くない? 辛くない?」
≪「だ、大丈夫だぞ? 昨日の夜後は寝るってだけの時に入れ替わって、この香穂の身体でもう一回夕飯とかお風呂も済ませることになったんだ。一日に夕飯とお風呂を二回もすることになるとは思わなかったよ。ヌイグルミの多い、可愛い部屋だな」≫
「ふふっ、要人の部屋はシンプルだねぇ。必要最低限があるって感じ」
ホッと安心し、要人の質問に答える。
≪「そうか?」≫
「わたしのヌイグルミ、一つあげようか?」
≪「いや、いらないよ。どれも大切だろ?」≫
「ばれたかぁ」
≪「ばれるよ。学校、行けばいいよな? そこからの行き方分かるか?」≫
「ん~……。迷いながら行ってみる♪」
≪「そうか」≫
「うん、また後でね」
電話を切る。
よかった。要人。元気だった。
下の階から要人を含め数人を呼ぶ声がする。
クローゼットにある桜ヶ丘指定のジャージに着替え、階段を下りていった。
***
あれから数十分。
早くも元に戻れた。だが。
「香穂……。本当に迷ってやがる」
戻った場所は交番前。
暫くすると警官が出てきて、分かりきった学校への道を聞かされた。
しかも、軽く笑われて。
「……ってことがあったんだ。学校は反対方向だし、遅刻覚悟で全力ダッシュして来たんだぞ?」
放課後。
人気のない屋上で香穂に説教する。
「自分家の近くで、しかももう九月になってんのに通ってる学校を聞くなんて恥ずかしかったぞ。もうあの交番使えねーよ」
「えへへ……ごめんね、初めての道分からなくて」
「同じ高校に通ってる奴はいないけど年の近い人に聞けばよかったのに」
「施設の人ってこと? みんな優しかったね。仲良しって感じ!」
「香穂……?」
「はいゴメンナサイ」
正座をして謝る香穂。
同じ施設にいる小さい子供と重なって見えて、怒るに怒れない。
「……ふぅ。まぁいいか。初めてなんだから仕方ないし。チャイムにはギリギリ間に合ったし……な」
「許してくれるのっ? ありがとう♪」
そう笑う香穂に、いつもと少しズレがあるように思えた。
「……お前、無理してないか? なにかあったのか?」
「ぇえ!? どうしてそう思うの?」
「いや、ただ……いつもと違うなって」
「……そっか。要人は凄いね。すぐに人の悩んでるところを当てられる」
「凄くなんかないよ。……で。悩んでんだろ? 相談になら乗るぞ」
「ん。えっと……ね。うん」
暫く口を堅くする香穂。
黙って瞳を見つめていると、やっとその口が開く。
「わたし、ダメな人間なんだ。わたしがいたら、みんなに迷惑かけちゃう。今日も、要人に迷惑かけたばっか」
「迷惑なんかじゃ、ねーよ」
「たまにね、ふとした時とか暇な時とかにね、思っちゃうんだ。わたし……生きてて、いいのかなぁ? って」
生きてて、いいのかな。
そんなの。
「当たり前だろ」
「…………ぇ……」
「お前も含めて、この世に死んでいい人間なんて一人もいやしないんだよ。命を粗末にしないために、大切さを学ぶために、寿命ってもんがあるんだから」
香穂の大きな丸い瞳が見開く。
次の瞬間、嬉しくてたまらないというような笑顔を向けてきた。
「……要人カッコいい。女の子なのに。……女の子、なのに」
「何故二回繰り返した?」
「ふふっ、要人。帰ろう。今日は、二人っきりで」
香穂が俺に手を伸ばす。
「次に変わった時、迷わないようにちゃんと道覚えなくちゃ」
なんの恥ずかしげもなく、俺はその手を握った。
そうだよ。お前は、温かいんだ。
おっちょこちょいで、どうしようもない馬鹿で、変なところで悩んで、失敗して、周りに迷惑をかけているかもしれない。
でも、それをカバーできるほど、お前は優しくて……。
「お前は歩道を歩けよ。施設から学校までは車通り多いし、守ってないと誘拐されそうだからな」
「えー、大丈夫だよ。一応高校生。帰ろう、要人」
なんだが壊れそうで、ほっとけないんだ。
***
翌日、放課後。
昨日はあのまま香穂と二人きり帰ったので、一日ぶりの特別教棟四階の部屋だ。
「佐久間君。悩んでるなら言って!」
「悩んでねぇって!! しつけーんだよ!」
「しつこく言うよ! 心配だもん!」
ドアを開けずとも聞こえる。
叫ぶ歩夢の声と、同じく叫ぶ佐久間の声。
かなりの音量で、歩夢と佐久間が言い合いをしていた。




