第97話:反撃のシナリオ、時計仕掛けの法廷侵入作戦
早朝五時三十分。月光亭の地下金庫室。
暖炉の火が静かに揺れる中、テーブルの上にはハルトマン私邸の精密な建築図面、そして帝国司法省中央大会堂の断面図が広げられていた。
シオン、エルネスタ、ギルバート警部、トビー、そしてクラリスの五人が、図面を囲んで息を詰めている。
エルネスタは足首の痛みが引いた右足でしっかりと立ち、凛とした表情でシオンの横に並んでいた。
「正午の最高査問法廷まで、残された時間はあと六時間半です」
エルネスタが首から下げた母の形見の銀の懐中時計を確かめながら、冷静に口を開いた。
「法廷が開かれるのは、帝国司法省の中央大会堂。最高裁判長をはじめ、貴族院の重鎮、各国の外交官、そして新聞記者たち百名以上が傍聴席を埋め尽くします。一度法廷が開廷すれば、ハルトマンの敷いた筋書き通りに、シオン殿への死刑判決が即決で下される危険性が極めて高い」
「ああ。法廷の周囲は、ハルトマン直属の特捜装甲兵が二重三重に取り囲むはずだ」
ギルバート警部が煙草を咥えながら図面を指差す。
「指名手配中の俺たちが、普通に正面から乗り込もうとしたって、玄関ホールで蜂の巣にされるのがオチだぜ」
「正面から乗り込む必要はありません」
シオンがチョークを取り、大会堂の図面の上部――天井の一点に赤い印をつけた。
それは、司法省大会堂の頭上にそびえ立つ、巨大な『司法省大時計塔』の機械室だった。
「司法省大会堂の天井には、大時計塔のからくり人形『正義の女神テミス像』を作動させるための、保守点検用の通気回廊が存在します。十年前、私の恩師クラウス先生が設計した機構です。巨大な振り子の周期運動を減速させる伝達シャフトを伝えば、警備兵に一切察知されることなく、法廷の天井裏――中央シャンデリアの真上へと潜入できます」
「天井裏から法廷へ……!」
クラリスが面白そうに目を細めた。
「相変わらず、派手な手品を考えるわね。でもシオン、潜入したとして、どうやってハルトマンの罪を証明する気? 奴の手元にある本物の絵画と遺言書がなければ、法廷の全員を納得させることはできないわよ」
「だからこそ、作戦は【二段構え】で行きます」
シオンはテーブルの上の特殊工具を指し示した。
「第一段階――午前八時、ハルトマンが私邸を出発して司法省へ向かう直前の隙を突き、ハルトマン邸の地下金庫へ潜入します。実行役は私とトビー、そしてクラリスです。クラリスの裏情報網で私邸の警備に偽の爆破予告を流して陽動を行い、私とトビーが金庫を開錠して、本物の『黄昏の幻影画』と遺言書を奪還します」
「おいおい、シオン君!」
ギルバート警部が目を剥いた。
「ハルトマン邸の地下金庫って言やあ、帝都でも指折りの堅牢さを誇る難攻不落の要塞だぞ!? たった数十分で開けられるもんかい!」
「問題ありません。ハルトマン邸の金庫は、十年前の『スイス・オメガ製三連ダイアル錠』です。あの型の共鳴周波数は完全に私の頭に入っています。ルビー聴音機を使えば、五分で開きますよ」
「……相変わらず、人間離れした自信ですわね」
エルネスタが呆れ混じりに、だが全幅の信頼を込めて微笑んだ。
「では、私は何をすればよろしくて?」
「エルネスタ、あなたには最も危険で、最も重要な役割をお願いします」
シオンはまっすぐにエルネスタのアイスブルーの瞳を見つめた。
「法廷の開始時刻である午前十一時三十分――あなたには、ギルバート警部と共に、正面から帝国最高査問法廷へと堂々と出頭していただきたいのです」
「なっ……出頭ですって!?」
トビーが驚いて叫んだ。
「お嬢が捕まっちまうじゃねえか!」
「逮捕はされません。エルネスタはシルフィード公爵家の令嬢であり、正統な帝国法務執行官の資格を有しています。法廷が開廷するまでは、ハルトマンといえども彼女を即座に拘束する法的手続きを取ることはできません。エルネスタ、あなたが法廷の壇上に立ち、ハルトマンの不当な告発に対して異議を申し立て、審理の時間を極限まで引き延ばしてほしいのです」
「時間稼ぎ……私の舌で、ハルトマンと裁判官たちを釘付けにしろ、と?」
「ええ。あなたが法廷の注目を一身に集めている間に、私が大時計塔の天井裏から侵入し、奪還した本物の国宝と遺言書を、百人の観衆の目の前に叩きつけます。……受けてくれますか、エルネスタ?」
エルネスタは胸元の銀時計をぎゅっと握りしめた。
シオンが丹念に調整してくれたその時計は、今も微かな狂いもなく、チクタクと静かに力強い鼓動を刻んでいた。
「シオン……この時計のリズムが、私の心を落ち着かせてくれますわ。母の遺志と、あなたの技術が宿ったこの時計が」
「ええ。その時計の針が正午を指す時――あなたの目の前に、必ず真実を届けます」
シオンが差し出した右手を、エルネスタは迷うことなく、強く、凛とした力で握り返した。
「当然ですわ。私の誇りと、愛する帝国の法の名にかけて……ハルトマンの思い通りになど絶対にさせません。あなたを信じて、法廷の演壇を守り抜いてみせますわ!」
二人の瞳に宿る、絶対の信頼の絆。
地下金庫室の換気口から、かすかに朝の光が差し込み始めていた。
帝都を揺るがす巨大な謀略を打ち砕く、最後の反撃の刻限が、いま静かに動き出そうとしていた。




