第96話:頼もしい援軍、トビーとギルバートの潜入
「あ……兄貴ぃぃぃっ! 生きてたぁぁぁっ!」
トビーは部屋に飛び込むなり、シオンの腰へと猛烈な勢いで抱きつき、わあわあと大声を上げて泣きじゃくった。
シオンは真っ赤になった顔を手のひらで覆い、激しく咳払いをしながらトビーの頭を乱暴に撫で回した。
「ト、トビー……! なぜお前がここにいるんだ……!?」
「なぜって、ギルバートの旦那が裏ルートでクロノス堂に来てくれたんだよ! 兄貴とお嬢が警察に追われてるって聞いて、オイラ心配で心配で夜も眠れなくてよぉ!」
トビーは涙と鼻水を袖でごしごしと拭い、ふとシオンの隣を見た。
ソファの上で、薄手のネグリジェ姿のまま、顔から火が出るほど真っ赤になってクッションを胸に抱きしめているエルネスタ。
トビーは目をまん丸にしてパチクリと瞬かせ、シオンとエルネスタを三往復ほど交互に見比べた。
「……あれ? オイラ、もしかして……もの凄く入っちゃいけないタイミングで扉開けちゃった? 兄貴とお嬢、なんか顔が林檎みたいに赤いし……。オイラ、二人が大人の階段を登る邪魔をしちゃったとか……!?」
「の、登っていませんわっ!! 階段なんて一段も登っておりませんことよ、トビー君! ただ足首の手当てをしていただいていただけですわっ!」
エルネスタが金切り声に近い裏返った声で叫び、両手をプロペラのようにぶんぶんと振った。
後ろから入ってきたギルバート警部が、天井を仰ぎ見て苦笑いを漏らしながら葉巻を取り出した。
「へへっ、すまねえなシオン君、お嬢。若い二人の甘い時間を邪魔しちまったようで。だがよ、帝都中の特捜警察が血相変えて街中をひっくり返してるって時に、ずいぶんと熱気のある現場検証だったじゃねえか」
「警部まで茶化さないでください!」
シオンは冷たい息を吸い込み、急速に頭を冷やして鋭い仕事人の表情を取り戻した。
「それで、トビー。頼んでいたものは持ってきてくれたのか?」
「へへっ、抜かりないぜ、兄貴! オイラを誰だと思ってんだ!」
トビーは抱えていた重厚な樫の木の工具箱を、ローテーブルの上にドスンと置いた。
真鍮の頑丈な留め金を外して開くと、ベルベットの内張りの中に、シオンが長年かけて自作・改良を重ねてきた帝都屈指の【特務用精密工具一式】が整然と並んでいた。
微細な金属摩擦音を三万倍に増幅する人工ルビー軸受式の高感度クリスタル聴音機、酸化鉄とアルミニウム粉末を極小カプセルに詰めた超小型テルミット溶断ペレット、配管を急冷脆化させる特殊液体窒素スプレー、そしてあらゆるシリンダー錠を無音で開錠する特注のチタン合金製ピックセット。
さらに工具箱の底には、油染みのついた一冊の古い革手帳――十年前、恩師クラウス・フォン・エルロードが残した『帝都主要建築・機械設備保守図面集』が大切に収められていた。
シオンはその手帳をそっと指先でなぞり、決意を新たにするように瞳を研ぎ澄ませた。
「クロノス堂の地下隠し金庫から、兄貴の道具を全部取ってきたぜ! 店の周囲には特捜の張り込みが三人いたけどな、オイラが下水管の抜け穴を使って煙に巻いてやったのさ!」
「よくやった、トビー。最高の働きだ」
シオンがトビーの頭をポンと叩くと、トビーは誇らしげに胸を張った。
ギルバート警部が真剣な面持ちになり、懐から一枚の皺だらけのメモ用紙を取り出してテーブルに広げた。
「シオン君、俺の方も命がけで収穫を挙げてきたぜ。警察本部の昔馴染みの鑑識課長から、極秘の裏情報を一本引っこ抜いてきた」
「ハルトマンの動向ですね?」
「ああ。ハルトマンの野郎、美術館から押収した『黄昏の幻影画』が入ったジュラルミンケースを、本部の証拠品保管庫には入れず、貴族特区にある自分の【私邸の地下大金庫】へ運び込ませやがった」
「私邸の大金庫……!?」
エルネスタが眉を吊り上げ、厳しい声を出した。
「事件の最重要証拠品を、私邸に持ち帰るなど……明白な職権乱用、刑事訴訟法違反ですわ!」
「全くだ。だが奴は、屋敷の周囲に私設の装甲護衛兵を三十名配備し、高圧電線を張り巡らせて要塞化していやがる。そして明日の査問法廷の直前、自らそのケースを法廷へ直接持ち込む手はずになっている。つまり――今夜のうちなら、本物の絵画と裏地の遺言書は、ハルトマンの屋敷の地下金庫に眠っているってわけだ」
「なるほど……」
シオンの藍色の瞳に、冷徹な計算の光が宿った。
思考の歯車が、超高速で噛み合っていく。
「ハルトマンは、自分が絵画を独占していると確信している。そして明日正午の法廷で、それを開帳し、シオンが絵を損壊したと偽証して私を処刑台へ送るつもりだ。……だが、もしその法廷の場で、ケースの中から現れたものが、奴の思惑とは全く異なるものだったとしたら?」
「え……? シオン殿、一体何を企んでいらっしゃいますの?」
エルネスタが息を呑んで問いかける。
シオンは薄く、不敵な笑みを口元に浮かべた。
「敵の敷いた舞台を、そのまま利用するんですよ。……ハルトマンが帝都中の貴族と最高裁判事たちの前で勝ち誇った瞬間、奴自身の口で真実を告白させ、逃げ場のない破滅を叩きつけてやるんです」
ギルバート警部が獰猛な笑みを浮かべ、拳銃の弾倉を叩き込んだ。
「へっ、面白ぇ! 俺の命なんざ、とっくにこの坊主とお嬢に預けてるんだ。帝都の巨悪どもをまとめてひっくり返してやろうぜ!」




