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クロックワーク・アリバイ 〜裏社会の天才時計技師、自分が作った「鉄壁の不在証明」を法廷で解体する〜  作者: 六井求真


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第85話:看破されたトリック、カミーユの拘束へ

帝国警察庁・特別捜査本部の大会議室。

 重厚な樫の木の長テーブルを囲む数十名の捜査幹部や鑑識官たちの前に、シオンが描き上げたばかりの一枚の巨大な精密構造図が広げられていた。

 毒煙の手当てを受け、濃い紅茶で息を吹き返したエルネスタが、白薔薇の徽章を胸に凛とした姿勢で上座に立ち、居並ぶ幹部たちを冷徹に見据えている。

 その隣に立つシオンが、黒板にチョークで数式と光路図を次々と書き殴りながら、通る声で説明を締めくくった。


「……以上の物理的証拠に基づき、昨夜大講堂で千人の目を欺いた【等身大立体光学投影】の全容を立証します。容疑者カミーユは、昨夜二十一時、演壇には立っていませんでした。彼は三階旧映写室に据え付けられたシュミット式非球面凹面鏡と高輝度アーク放電灯を用い、石英光ファイバーを通じて、演壇床下のノズルから噴出させた五百ナノメートルの微細ミストスクリーンへと、自らの姿を等身大で投影していたのです」


 シオンはチョークを走らせ、微細水滴による光のミー散乱の数式と、青色光と赤色光の屈折率の差を図解してみせた。


「演壇に立ち上っていた超音波ミストは、粒径が五百ナノメートル――可視光線の波長とほぼ同等に制御されていました。これにより、光は直進性を保ったまま前方へ強く散乱され、客席のどの角度から見ても、あたかもそこに実体の人間が存在するかのような立体的な陰影を完璧に結像させていたのです。しかし、背後の薔薇のステンドグラスから差し込む青い光だけは、偏光方向の違いによって影を作ることができなかった。さらに、天井のスピーカーから流されたカミーユの声には、電気信号の配線遅延により、音速換算でコンマ零五秒のズレが生じていた。これが、千人の観客を欺いた物理的トリックの全貌です」


 シオンがチョークを置くと、大会議室は水を打ったような完全な沈黙に包まれた。

 机の上に並べられた動かぬ証拠の数々――演壇の床板から採取された微細結晶粉末、天井裏に敷設されていた百メートルの石英光ファイバーケーブル、そして音響記録の波形グラフ。

 鑑識課の老技官が、震える手で眼鏡を押し上げ、感嘆の息を漏らした。


「……信じられん。光と水滴の膜で、人間を丸ごと作り出していたというのか……。十年前の大時計塔の光学技術を犯罪に悪用するとは、なんという悪魔の所業だ……」


「千人の目撃証言が……あの大講堂にいた全員が、ただの立体映像を見せられていたというのか!?」


 どよめく幹部たちの中、エルネスタが机の上に一枚の書類をバシィンと音を立てて叩きつけた。

 帝国最高裁判所から緊急発行された、真紅の公印が鮮やかに輝く逮捕令状。


「容疑者カミーユ・デュプレに対する【帝国国宝絵画窃盗、ならびにベルク館長殺害容疑】の緊急逮捕状です! 千人の不在証明が科学的に偽装であったと証明された以上、彼が最重要容疑者であることは明白です。直ちに特別捜査班を出動させ、カミーユの身柄を拘束し、消えた国宝絵画の行方を厳しく追及します!」


「うむ! 特別捜査課、全軍出動せよ! ホテル・インペリアルを完全に包囲しろ!」


 捜査本部長の怒号のような号令と共に、幹部や刑事たちが一斉に椅子を引いて立ち上がり、嵐のように部屋を飛び出していった。

 足音が遠ざかり、静寂が戻った大会議室。

 熱気に包まれていた部屋には、シオンとエルネスタの二人だけが残された。

 エルネスタはふうと長く細い息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いて、革張りの椅子の背もたれにゆっくりと身を預けた。

 冷めかけた紅茶のカップを指先で包み込みながら、そのアイスブルーの瞳が、机の上の図面を片付けているシオンの横顔をじっと見つめる。


「……シオン殿」


「何でしょう、エルネスタ執行官」


「先ほど……大講堂の映写室から助け出してくださり、階段を駆け下りてくださった時……」


 エルネスタは頬にほんのりと朱を差しながら、視線をわずかに泳がせて呟いた。


「あなたの心臓の音……もの凄く速かったですわね。まるで、ぜんまいが壊れて暴走したクロノメーターのようでしたわ」


「それはそうでしょう。大人の女性一人を抱え上げ、装備を身につけたまま二十メートルの螺旋階段を全力疾走したのです。私の心臓が鉄の歯車でできていない証拠ですよ」


「ふふ、嘘をおっしゃい」


 エルネスタはふわりと悪戯っぽく微笑み、立ち上がると、シオンの胸元を人差し指でツンと突いた。

 仕立てのいいシャツ越しに、指先から伝わる確かな体温。


「走り出す前から……映写室の鉄扉を破って、倒れていた私を抱き上げてくださった瞬間から、あなたの心臓は早鐘を打っていましたわ。……私を助けるために、あんなに必死になってくださったのですね?」


「……っ」


 シオンは言葉に詰まり、思わず片手で口元を覆って視線を逸らした。

 普段のどんな難事件にも動じない冷静沈着な仮面が完全に崩れ去り、耳の先まで真っ赤に染め上げている青年の純情な姿に、エルネスタは心の底から愛おしさを覚えるように目を細めた。


「嬉しいですわ、シオン。……あなたをパートナーに選んで、本当に正解でした」


「……からかわないでください。カミーユの身柄確保に向かいますよ」


 シオンが照れ隠しに早口で告げ、逃げるように会議室の扉を開けた。エルネスタはその背中を追い、軽やかな足取りで廊下へと歩み出した。

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