第83話:3階映写室の密室とアーク放電灯
太い石英光ファイバーケーブルは、埃まみれの配線ダクトを這い、大講堂の三階奥の暗がりへとまっすぐに吸い込まれていた。
天井裏の埃っぽい梁を慎重に渡り、点検用の垂直梯子を音もなく下りた二人は、三階の最奥、立ち入り禁止区域の暗がりへと辿り着く。
目の前に立ちはだかるのは、錆びついた頑丈な鉄の点検扉だった。かつて大衆演劇の華やかなりし時代、幻灯機や初期の活動写真用映写機が置かれていた場所であり、十年前の大時計塔炎上事件以降は保安上の理由で固く閉鎖されていたという『旧映写室』の入口である。
重厚な真鍮のシリンダー錠が掛けられていたが、シオンは上着の内ポケットから二本の極細ピックを取り出すと、迷いなく鍵穴へと滑り込ませた。
タンブラーの噛み合わせを指先の微細な振動で読み解き、わずか五秒。カチリと、夜の静寂を切り裂く澄んだ開錠音が響いた。
「開きました。……行きますよ、エルネスタ」
「ええ。油断しないで」
エルネスタが腰のサーベルの柄に白手袋の手を添え、シオンの背後にピタリと身を寄せる。その研ぎ澄まされた気配が、冷たい鉄扉の前に張り詰める。
シオンがゆっくりと引き開けた重い鉄扉の隙間から、冷たく淀んだ埃の匂いと共に、焦げた機械油、そして高圧電流特有のオゾン臭が微かに漏れ出してきた。
シオンが真鍮製のカンテラを掲げ、部屋の奥を照らし出した瞬間――二人は同時に息を呑んだ。
十畳ほどの狭い映写室の中央。
そこに鎮座していたのは、まるで巨大な機械の蜘蛛のような、異様極まりない光学機器の複合体だった。
直径一メートルを超える巨大なガラス製の凹面鏡――光を極限まで一点へと集束させるシュミット式非球面反射鏡。
その焦点位置には、太い鉛蓄電池に接続された高輝度のアーク放電灯が据え付けられ、放電灯の光を取り込む集光レンズの先には、先ほど天井裏で見つけたあの太い石英光ファイバーの基部が、精密な真鍮クランプで固定されていた。
さらに、壁際には高圧小型コンプレッサーが置かれ、演壇の床下へと続く細い高圧パイプが接続されている。
だが、シオンの目を何よりも釘付けにしたのは、その機器の無骨な真鍮フレームではなかった。
「これは……!」
シオンの藍色の瞳が、驚愕と激しい動揺に見開かれた。
アーク放電灯の真鍮製架台の側面に、一枚の小さな銀色の銘板がリベット留めされていた。
そこには、見覚えのある流麗な飾り文字が刻印されていたのだ。
――『ルミナリア帝都機械工学研究所・光学遠隔検査用第3試作機 設計者:クラウス・フォン・エルロード』。
十年前、大火災の中で刺殺された恩師クラウス。
彼が、大時計塔の地上百メートルに位置する巨大な文字盤を、地上から安全に光学検査するために、まだ駆け出しの弟子だったシオンと共に心血を注いで開発した、あの失われたはずのプロトタイプそのものだった。
シオンの脳裏に、当時の記憶が鮮烈に蘇る。油と硝煙の匂いにまみれた研究所。優しくシオンの頭を撫でてくれた恩師の温かい手。
『シオン、光と歯車は人を幸福にするためにある。決して欺瞞の道具にしてはならないよ』
その恩師の遺作が、今、卑劣な犯罪の道具として目の前に横たわっている。
「恩師の……クラウス先生の機械だ。……やはり奴だ。影の演出家が、十年前に大時計塔から強奪したこの試作機を、カミーユに売り渡していたんだ……!」
シオンの握りしめた拳が、怒りでわなわなと震えていた。
エルネスタが息を呑み、シオンの震える肩へ、そっと手袋越しに温かい手を重ねた。
「シオン殿……」
「大丈夫です。……取り乱しました」
シオンは深く息を吐き出し、氷のような冷静さを無理矢理に取り戻した。
装置の足元に視線を落とす。埃の積もった床の上に、真新しい靴跡がくっきりと残されていた。
放電灯の真下に、演壇の高さに合わせて設置された木製の踏み台。その上には、手品用の純白の手袋が一対と、トランプの束が無造作に転がっている。
そして踏み台の脇に置かれた真鍮の灰皿には、灰色の燃え殻と共に、独特の甘い香りを放つ刻み煙草の吸い殻が一本、残されていた。
「この甘い香草の匂い……美術館でカミーユが吸っていた、あの銀装飾の煙管の灰ですわ!」
「ええ。間違いない。カミーユは昨夜二十一時、大講堂の演壇に立ってなどいなかった。この踏み台の上に立ち、アーク灯の強烈な光を浴びながら、自らの姿を凹面鏡で集光し、光ファイバーを通して演壇のミストスクリーンへと投影していたんだ」
「光学ホログラムによる不在証明……! 千人の観客が見ていたのは、この部屋から送られたカミーユの立体虚像だったのですね!」
すべての謎のピースが、美しく、そして完璧に噛み合った。
これ以上の動かぬ物証はない。
エルネスタが安堵の息を漏らし、シオンを振り返った。
「やりましたわね、シオン! これで千人の不在証明は完全に解体されました! カミーユの逮捕状を請求し、ハルトマンの不当な告発を法的に却下できます!」
「ええ。……ですが、エルネスタ。何かおかしい」
「え……?」
シオンは床の灰皿を見つめ、眉根を寄せていた。
「灰皿の吸い殻……一本しかありません。しかも、吸い口の部分が乱暴に千切れている。カミーユのような神経質な美意識を持つ男が、これほど雑な吸い殻を残すだろうか……」
シオンが呟いた、まさにその瞬間だった。
カチャリ――。
背後の鉄扉が、何の前触れもなく、不気味なほど滑らかに閉ざされた。
ガチャリ、ガチャン!!
外側から、太い鉄の棒が閂受けへと落とし込まれる重苦しい金属音が、狭い部屋に鋭く響き渡った。
「なっ……!?」
エルネスタが即座に振り返り、ドアノブに飛びついて体重をかけたが、鉄扉は微動だにしない。
シューーーーーッ……!
天井の格子状の通気口から、不気味な紫色の煙が、凄まじい勢いで室内に噴き出してきた。
甘く、どこか腐敗した果実のような、吸い込めば瞬時に中枢神経を麻痺させる強烈な催眠毒煙!
「くっ……! 煙が……!? シオン殿、閉じ込められましたわ!!」




