↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クロックワーク・アリバイ 〜裏社会の天才時計技師、自分が作った「鉄壁の不在証明」を法廷で解体する〜  作者: 六井求真


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

69/122

第69話:特捜監査官ハルトマンの冷酷な視線

帝都中央美術館の正面広場は、早朝から重苦しい鉄の気配に支配されていた。

 黒塗りの警察護送車が何台も並び、銃剣付きの小銃を構えた帝国憲兵隊が、石造りの大階段を完全に包囲している。

 急行したシオンとエルネスタ、そしてギルバート警部が階段を駆け上がると、広場の中央に立つ一団が目に入った。

 軍用の豪奢な黒マントを羽織り、胸元に貴族院の金鵄勲章を輝かせた長身の男。

 ギュスターヴ・ハルトマン卿。四十八歳。

 帝国警察庁・特捜監査官であり、貴族院の保守派重鎮たちから絶大な信任を得ている冷酷無比な法執行官である。その剃刀のように痩せこけた頬と、感情の失われた灰色の瞳は、周囲の兵士たちを蛇のように威圧していた。


「……遅かったな、エルネスタ君。公爵家の令嬢ともあろう者が、朝帰りのような無様な姿で現れるとはな」


 ハルトマンの冷え切った視線が、エルネスタの横に立つシオンを捉えた。

 昨夜のドタバタから急いで軍服に着替えてきたエルネスタは、侮辱の言葉に眉一つ動かさず、背筋をピンと伸ばして一歩前に出た。


「公務の途上です、ハルトマン監査官。この美術館の警備総責任者は、法務執行局の私にあるはず。事前の通告もなく憲兵隊を動員するとは、越権行為ではありませんか」


「越権だと? 笑わせるな」


 ハルトマンは薄い唇を歪め、胸ポケットから黒革の手帳を取り出した。

 手帳を開くその指先には、血のように赤いルビーの指輪が光っている。シオンの鋭い視線が、手帳の小口に刻まれた奇妙な朱色の紋章――仮面が砂時計を呑み込む『影の演出家』のサインを、寸分違わず捉えていた。


「貴族院より緊急勅命が下ったのだ。明日の満月の夜、この美術館で展示される国宝『黄昏の幻影画』を巡り、帝国全土を揺るがす不敬事件が予告されている。……にもかかわらず、貴女はあろうことか、下町の正体不明な犯罪者――裏社会で『時間偽装屋』などと持て囃される泥ネズミを捜査本部に引き入れた。これは重大な治安維持法違反、国家反逆の共犯の疑いがある」


 憲兵隊の兵士たちが、一斉にシオンに向けて銃口を向けた。

 カチリ、カチリと撃鉄を起こす冷たい金属音が響き渡る。

 だが、シオンは微動だにしなかった。両手をポケットに入れたまま、氷のように冷徹な瞳でハルトマンを見据え返す。


「国家反逆、ですか。ずいぶんと大仰な脚本を用意されたものですね、ハルトマン卿」


「何だと……?」


「あなたが配置したこの警備陣形です。広場の外周、美術館の周囲百メートルを三重の兵力で固めている。……一見すると蟻の一匹も通さない鉄壁の包囲網に見えますが、時計の構造で言えば、これはただの外装ケースを分厚くしただけの粗悪品ですよ」


 シオンは淡々と、しかし広場全体に響き渡る明瞭な声で指摘を始めた。


「犯行予告は『満月の夜、千人の観客の眼前で盗む』です。侵入者は外から壁をよじ登って侵入するのではない。すでに内部に潜伏しているか、あるいは光や音といった物理現象を遠隔操作してケースを開けずに消し去る気だ。……外ばかりに兵力を集中させ、展示室の内部や換気ダクト、光学機器の点検を怠れば、敵の手のひらの上で踊らされるだけです」


「黙れ、下賤な職人風情が!」


 ハルトマンの額に青筋が浮き上がった。図星を突かれた怒りか、あるいは計画の綻びを指摘された焦りか。ハルトマンは軍用拳銃のホルスターに手をかけ、シオンへと踏み出した。


「捜査の素人が、帝国の最高監査官に指図するな! 貴様のような危険分子は、今すぐ地下牢に叩き込んで――」


「そこまでです、ハルトマン卿!!」


 バシィィィンッ!!

 エルネスタが帯剣していたサーベルを鞘ごと抜き放ち、ハルトマンの眼前で石畳を激しく叩きつけた。

 甲高い金属音が広場を震わせ、憲兵たちが息を呑んでたじろぐ。


「シオン殿に対するこれ以上の侮辱および不当な拘束は、ヴァレンタイン家の誇りにかけて断じて許可しません! 彼の身柄は、私が特命捜査令状に基づいて完全に管理しています! 不服があるならば、我が父ヴィクター元帥へ直接抗議なさい!」


 アイスブルーの瞳から放たれる、絶対零度の覇気。

 名門武門貴族の長女としての凄まじい威厳に、ハルトマンは顔色を青ざめさせ、伸ばしかけた手をピタリと止めた。


「……ちっ。公爵家の威光を盾にするか、生意気な小娘が」


 ハルトマンは舌打ちし、手帳を胸ポケットへ乱暴にねじ込んだ。


「良かろう。精々その時計屋と仲良くおままごとを続けるがいい。……だが明日の夜、絵画が盗まれたその瞬間、貴女たち二人は揃って国家反逆罪の断頭台へ送られることになるぞ」


 ハルトマンはマントを翻し、憲兵たちを引き連れて美術館の奥へと去っていった。

 嵐が過ぎ去った広場に、冷たい秋風が吹き抜ける。


「……ふう」


 エルネスタが小さく息を吐き、サーベルを腰に戻した。その華奢な肩が、わずかに震えていた。

 公爵家の令嬢とはいえ、帝国の最高権力者たちと真っ向から衝突することは、彼女にとっても命を削るような重圧だったはずだ。

 シオンは静かに彼女の傍らに歩み寄り、ポケットから清潔な麻のハンカチを取り出して差し出した。


「お見事でした、エルネスタ。……ですが、私のためにそこまで危険を冒す必要はなかった」


「……馬鹿をおっしゃらないで」


 エルネスタはハンカチを受け取らず、シオンの藍色の瞳をじっと見上げた。その瞳には、強い信念の光が宿っていた。


「私はあなたを信じると言いました。あの男の歪んだ悪意からあなたを守ることは、私の正義です。……さあ、参りましょう。敵が内部に罠を仕掛けているというのなら、私たちが先に暴き出してみせる番ですわ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。