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クロックワーク・アリバイ 〜裏社会の天才時計技師、自分が作った「鉄壁の不在証明」を法廷で解体する〜  作者: 六井求真


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第65話:天才魔術師カミーユの不敵な微笑

現れた男は、まるで劇場の主役のように華やかなオーラを纏っていた。

 上等な真紅の裏地がついた黒のインバネスコートに、純白の手袋。胸元には大粒のエメラルドのタイピンが輝き、整った鼻梁の下で薄い唇が不敵な弧を描いている。

 カミーユ・デュプレ。二十六歳。

 帝都社交界で飛ぶ鳥を落とす勢いの天才若手魔術師であり、同時に幾つもの大衆劇場を経営する敏腕興行主。


「カミーユ! 貴様、なぜここへ入ってきた! 立ち入り禁止のはずだぞ!」


 ベルク館長が顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。カミーユは肩をすくめ、胸ポケットから真鍮の通行証を指先で回してみせる。


「失敬だな、館長。私は明後日の満月の夜、この美術館の隣接ホールを貸し切って『光と影の奇術講演会』を開催する契約者だよ。会場の下見をする権利は正当に認められている」


「貴様……! 絵画の所有権を巡る訴訟の腹いせに、警察へ妙な入れ知恵をしに来たのか!?」


「おや、心外だな。私はただ、我がデュプレ家に代々伝わるはずだった『黄昏の幻影画』が、強欲な修復師の手によって国家に安値で売り飛ばされそうになっているのを、法的に取り戻そうとしているだけさ」


 二人の間に、火花が散るような激しい敵意が渦巻いた。

 カミーユとベルク館長の間で、この国宝絵画の真の所有権を巡る泥沼の裁判が起きていることは、エルネスタが持参した警察資料にも記されていた通りだった。

 カミーユは館長を一瞥した後、くるりと身を翻してシオンとエルネスタへと向き直った。


「初めまして、美しい法務執行官殿。そして……裏社会で噂の『時間偽装屋』シオン・エルロード殿」


 カミーユは胸元から、細身で優美な銀装飾の煙管を取り出した。雁首に刻まれた唐草模様がランプの光を照り返す。火を点けると、甘く鼻腔をくすぐる独特の香草の煙が紫色の筋となって漂った。


「私の裏の二つ名をご存知のようですね」


「ええ、奇術師の情報網を侮ってもらっては困るよ。時間を巻き戻し、不在証明を仕立て上げる職人……実に興味深い。だがね、シオン殿。時間は確かに物理法則に従って不可逆だ。だが――人間の視覚や記憶などというものは、光の角度一つ、鏡の配置一つで、いくらでも過去にも未来にも飛ばせるものだよ」


「人の目を欺く手品と、物理的な不在証明は別物です。トリックはいずれ暴かれる」


「ほう? では、明後日の満月の夜を楽しみにするといい」


 カミーユは煙管を指先で弄びながら、不意にエルネスタの前へと踏み出した。

 そして芝居がかった所作でシルクハットを胸に当て、エルネスタの白い手を取ろうと指を伸ばした。


「それにしても、これほど気高く美しい令嬢が警察の先頭に立っているとは、帝都の闇も捨てたものではない。……白薔薇の執行官殿、もしよろしければ明後日の私の特等席へご招待したいのだが――」


 カミーユの指先がエルネスタの指に触れる、そのわずか数ミリ手前。

 スッ――と、横から割り込んだ影があった。

 シオンだった。

 シオンは無言のまま二人の間に割って入ると、右手のエプロンから引き抜いた時計用の極細ピンセットの先端で、カミーユの手首のツボ――内関の急所を、目にも留まらぬ速さでツンと突いた。


「っ……!?」


 カミーユの手首が痺れたように脱力し、指先がピクリと跳ねる。


「失礼。公務中の帝国執行官に許可なく接触することは、帝国保安条例第十二条により処罰の対象となりますよ、カミーユ氏」


 シオンは表情一つ変えず、ピンセットを胸ポケットへと戻した。

 その背後で、エルネスタが息を呑んでいた。シオンの広い背中が、自分の視界を完全に覆っている。普段は冷静沈着で感情を表に出さない彼が、迷いなく自分の前に立ちはだかり、守ってくれた。

 エルネスタの胸の奥で、ドクンと激しい鼓動が跳ね上がった。耳の裏が急速に熱くなっていくのを感じ、彼女は必死に顔を伏せて動揺を隠した。


「……ふっ、手厳しいな、時計屋の旦那。手先が器用な男は嫌いじゃないよ」


 カミーユは痺れた手首を軽く振り、苦笑いを浮かべた。しかしその瞳の奥には、シオンに対する底知れぬ警戒の光が宿っていた。


「予告状を出した『影の演出家』とやらが何者かは知らないが……明後日の夜、大講堂で奇跡を目撃するのは君たちだ。千人の目が、私の完全な無実を証明することになるだろうからね」


 カミーユは煙管の紫煙を吐き出し、翻したマントの裾を揺らしながら、大理石の回廊の奥へと去っていった。

 残された展示室には、ナトリウムランプの不気味な黄色い光と、甘い香草の匂いだけが漂っていた。


「……シオン殿」


 背後から、エルネスタの微かに震える声が落ちた。


「あの男の言う通り、もし明後日の講演会に千人の観客が集まり、その目の前でカミーユが舞台に立ち続けていたとしたら……本当に、不在証明が成立してしまうのでしょうか」


 シオンは展示ケースのガラスに映る自分自身の姿を見つめ、低く呟いた。


「千人の目撃者……。ええ、裁判所も警察も、千人の一致した証言を前にしては、いかなる容疑も立証できないでしょう。だが、だからこそ怪しい」


「怪しい、とは?」


「千人全員が同じものを見たと言い切れる状況など、自然には存在しないからです。もしそれが起きるとすれば――千人全員が、同じ精巧な機械仕掛けの檻に閉じ込められている時だけですよ」

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