第56話:暴かれた黒幕の存在~『影の演出家(ディレクター)』という名~
「何を言っているの、ジュリアン!」
エルネスタが眉をひそめ、冷然とした眼差しで一喝した。
「見苦しい負け惜しみはおやめなさい。あなたが自らの強欲のために父を殺害し、無関係な時計職人を罠に嵌めた罪実は、太陽の光の下で完全に証明されたのよ!」
だがジュリアンは、憲兵たちの頑丈な腕の中で激しく身悶えしながら、シオンに向かって唾を吐きかけるように狂乱の叫びを上げた。
「俺だけの罪だと思うなよ! 俺にこの完璧な不在証明の殺人計画を授けたのは……俺自身の浅知恵なんかじゃない! すべてあのお方――帝都のすべての暗部を掌の上で転がす、真の黒幕『影の演出家』の差し金だったんだよォッ!」
「演出家……!?」
シオンの琥珀色の瞳が、鋭く見開かれた。
下町の地下セーフハウスで、情報屋クラリスが口にしていたあの不気味な呼び名。帝都を揺るがす数々の未解決事件、貴族の変死、そして大火災の陰で囁かれてきた伝説のフィクサーの存在が、今、犯人の口から現実のものとして暴き出されたのだ。
「どういうことだ、ジュリアン! 知っていることをすべて話せ!」
シオンが一歩壇上へ詰め寄ると、ジュリアンは痛快そうに口端を吊り上げ、歪んだ優越感に浸りながら語り出した。
「一ヶ月前……深夜、俺の私室の机の上に、何者かが忍び込んで置いた一通の黒い封筒があったんだ。……黒檀の樹皮を漉き込んだような不気味な質感の厚紙で、冷え切った紫の蜜蝋には、見慣れない印章が押されていた。『星と砂時計』……そして奇妙な歯車の紋章だ。封筒の中には、父の私室へ通じるあの隠し螺旋階段の極秘設計図と、無味無臭の即効性神経毒が塗られた細い鋼鉄の針、そして――漆黒に塗られた木製のチェスの駒が一つ入っていたんだ」
「チェスの駒……?」
エルネスタが青い瞳をわずかに瞠った。
「そうさ、黒のナイト(騎士)の駒だ! 台座の裏には、金文字で『反逆の跳躍』と彫られていたよ! そして同封されていた手紙には、冷徹で優雅極まる、貴族風の美しい筆致でこう記されていた……」
ジュリアンは恍惚とした表情で、その手紙の内容を暗唱し始めた。
『親愛なるバローニの騎士よ。強欲なる白のキング(父)の首を落とし、盤上を支配する時が来た。
だが、真の完全犯罪を成し遂げるためには、警察の如何なる追及も跳ね返す、物理法則に守られた鉄壁のアリバイが必要不可欠だ。
――下町・真鍮小路の奥深く、埃まみれの隠れ家【クロノス堂】を訪ねるがよい。
そこにいるシオンという若き時計技師なら、暖炉の熱と油の粘性を操り、神ならぬ身で時間の針を歪め、お前のために完璧なる不在証明を設計してくれるだろう。
あの男の技術を使い、父親を葬るがいい。……あの時計屋が、かつての恩師と同じように、自らの作った時間に踊らされる姿を見るのは、実に素晴らしい見世物になるだろうからな』
ドクンッ……!
シオンの心臓が、氷の刃で貫かれたかのように凍りついた。
全身の血が一気に逆流し、視界が白く明滅するような強烈な衝撃が脳髄を駆け抜けた。
――最初から……仕組まれていたのか。
あの嵐の深夜、クロノス堂の扉を叩いたジュリアンの怯えた表情。
「父の厳しい監視を欺くため、二時間だけ書斎にいた不在証明を作ってほしい」という、いかにも放蕩息子の悪戯じみた依頼。
あれは決して偶然の来訪などではなかった。
シオンという時計職人が下町で偽装屋として生きていること。
熱膨張と真鍮粉の摩擦によって時計を狂わせる物理工学的アプローチを取ること。
そして、職人としての矜持と、恩師クラウス・アルベルトから受け継いだ技術のすべてを――。
この見えざる怪物は、何年もの間、暗闇の中からシオンを監視し、その思考と技術を完璧に読み切った上で、ジュリアンという凶器をシオンの工房へと送り込んだのだ!
「あの方は手紙の追伸に、こうも書き添えていたぞ、シオン!」
ジュリアンは勝ち誇ったように舌を出し、大講堂の記者たちに見せつけるように喚き立てた。
「『もし父親が死んだ後、あの頑固な時計屋が自らの偽装工作に気づき、職人のプライドに耐えかねて自らアリバイを解体しに法廷へ現れるなら……それこそが我が演出の最高のフィナーレだ。どちらに転んでも、哀れな時計屋は自らの手で人生を破滅させる』と! はははっ! 見ろよシオン、お前は自首して真実を暴いた英雄気取りだが、結局はあのお方の書いた筋書き通りに、舞台の上で踊らされた一番のピエロだったんだよォッ!」
会場の空気が、底知れぬ悪意の深淵を覗き込んだ恐怖によって張り詰めた。
記者たちも背筋を震わせ、ペンを握る手を止めてシオンの表情を見つめた。
シオンの脳裏に、十年前のあの大時計塔の火災の夜、煙の中で叫んでいた恩師クラウスの声が蘇る。
『時間を弄ぶ者は、悪魔だ。己の知性を過信した人間が、他人の命と運命を時計の歯車のように操ろうとする……それこそが、この世で最も冒涜的な悪だ!』
その悪魔が、今、帝都の闇の深部で、シオンの生き様そのものを嘲笑いながら見下ろしている。
激しい怒りと屈辱で、シオンの拳がギリギリと音を立てて白く強張った。
「下らない妄言を並べるんじゃないわ、ジュリアン!」
その氷のような沈黙を、エルネスタの澄み渡る凛とした怒号が一閃した。
エルネスタは大股で歩み寄り、冷酷な眼差しでジュリアンを見下ろした。
「道化ですって? 笑わせないで。悪意に唆されて実の父親を毒殺したのも、親友を欺いて身代金代わりに利用したのも、すべてあなた自身の浅ましいエゴと決断よ! そしてシオンが自らの危険を冒してここへ立ち、あなたの卑劣な嘘を粉砕したのも、彼自身の高潔なる職人の誇りと良心によるものよ! いかなる悪党の脚本があろうとも、真実を選び取った人間の尊厳を、あなたの汚れた舌で冒涜することは許さない!」
エルネスタは胸元の警察徽章に手を当て、全霊の威厳を込めて言い放った。
「『影の演出家』がどれほど狡猾な闇であろうと関係ないわ。帝国警察特別捜査局警視エルネスタ・フォン・ヴァレンタインが、このシオンと共に、その悪魔を帝都の底から引きずり出し、断頭台へ送ってやるわ!」
その毅然たる宣言に、ジュリアンは息を呑み、言葉を失った。
「連れて行けッ!」
ギルバート警部が怒鳴り、憲兵たちがジュリアンを力任せに回廊へと引きずっていった。
遠ざかるジュリアンの引き攣った呻き声。
だが、大講堂に残された者たちの胸には、事件が解決した安堵よりも遥かに重い、『影の演出家』という不気味な巨悪の影が、冷たく暗い霧のように立ち込めていた。




