第55話:崩れ落ちるジュリアン~「違う! 俺に時計屋を教えたのは……!」~
すべての退路を完全に断たれた大講堂の演壇の上で、ジュリアン・フォン・バローニの喉から、まるで錆びついた大時計の主ゼンマイが限界を超えてへし折れたかのような、耳障りで引き攣った軋み音が漏れ出た。
「あ……あ、ああっ……! う、うわあああああああああっっ!」
ジュリアンは狂乱したように両手で自らの整えられたプラチナブロンドの髪を激しくかきむしり、壇上の真紅の絨毯の上に、崩れ落ちる人形のように無様に両膝をついた。
先ほどまでの優雅で冷徹な高貴の令息の仮面は完全に粉々に砕け散り、そこにあるのは、自らの醜悪な欲望の泥沼に溺れ、逃げ場を完全に失った哀れな犯罪者の無様な姿だけだった。
青ざめた額からは脂汗が滝のように流れ落ち、高級な毛織の絨毯の上にポタポタと黒い染みを作っていく。彼の両手は小刻みに震え、床を爪が剥がれんばかりに掻きむしっていた。
「親父が……あの老いぼれが全部悪いんだァッ!」
ジュリアンは血走った両目で天井を仰ぎ、喉が裂けんばかりの絶叫を大講堂に響かせた。
講堂内を埋め尽くす百名を超える新聞記者、貴族院の廷吏、そして警察関係者たちに向けて、口端から白い泡と唾を撒き散らしながら、長年心の底に溜め込んできたドス黒い憎悪をぶちまける。
「あいつは俺を、自分の操り人形、侯爵家の看板としてしか見ていなかったんだ! 帝都の下町の貧民どもから違法な高利貸しで骨の髄まで搾り取った巨額の金! 孤児たちを外国の鉱山や売春街に売り飛ばして築き上げた莫大な裏金! そのすべてをあの強欲な老いぼれは一人で抱え込み、実の息子であるこの俺には、雀の涙ほどの小遣いしか恵んでくれなかった! 社交界の友人たちと豪遊することも、高級クラブの賭博のツケを払うことも許さず、少しでも口答えすれば……使用人や私兵たちの前で、俺を馬鹿息子と罵り、革の鞭で背中が裂けるまで打ち据えたんだ!」
ジュリアンの瞳に、常軌を逸した狂気と被害妄想の炎が燃え盛る。
「俺はあいつの奴隷じゃない! 高貴なるバローニ侯爵家の真の後継者だ! あんな豚のような男がのうのうと生き永らえ、俺の青春を踏みにじり続けるなど耐えられるはずがないだろう! あいつが死んで、侯爵家の広大な領地と莫大な金、そして貴族院の議席が俺のものになって……何が悪いというんだ! 俺は当然の権利を取り戻しただけだ! あいつこそが死んで当然の悪党だったんだァッ!」
傲慢極まる親殺しの独白。その身勝手極まりない絶叫が、静まり返った大講堂の天井に虚しく木霊した。
だが、記者席からも廷吏たちからも、返ってきたのは同情の欠片もない、凍りつくような軽蔑の眼差しだけだった。誰もが眉をひそめ、冷え切った沈黙の中でその醜悪な告白を書き留めていく。
その時、壇上で椅子に腰を抜かしていたモート弁護士が、自らの身の危険を察知し、顔色を変えて絶叫した。
「ジュリアン様、取り乱すのはおやめなさい! 妄言を吐くのはおやめください! ……諸君、私はこの男に騙されていたのだ! 私は帝都の公認弁護士として、依頼人が無実の罪を着せられていると信じたからこそ弁護に立ったにすぎん! 尊属殺人の凶行など、露ほども知る由もなかった!」
「黙れッ! この卑劣な吸血鬼めッ!」
ジュリアンが床から顔を跳ね上げ、モート弁護士を食い殺さんばかりに睨みつけた。
「貴様、昨夜俺から金貨五百枚の小切手を受け取った時、何と言った!? 『警察上層部のボールドウィン局長への口利きと、検察への根回しのために、あと金貨千枚を秘密金庫から用意してください。そうすればどんな殺人容疑も完璧に揉み消してご覧に入れます』と、その脂ぎった顔で揉み手をして笑ったではないか! 今さら自分だけ助かろうとトカゲの尻尾切りをする気かッ!」
「な、何を馬鹿な出鱈目を……! 証拠もない妄言だ、名誉毀損で訴えてやるぞ!」
悪徳貴族と悪徳弁護士による、司法の神聖さを踏みにじる醜悪極まる罵り合い。
記者たちは一斉に熱狂し、「司法界の巨頭、殺人揉み消しで収賄か!」「警察幹部への裏金工作の動かぬ証言だ!」とペンを猛烈な勢いで走らせ、講堂内は怒号と歓声が入り乱れる蜂の巣をつついたような大騒動となった。
その喧騒を切り裂くように、客席の前方から重い足音が響いた。
壇上へと詰め寄ってきたのは、学友のカイル卿だった。
「ジュリアン……!」
カイル卿は壇の縁に両手をつき、大粒の涙に濡れた瞳で、床に這いつくばるかつての友を見下ろした。
「お前は……私を何だと思っていたんだ……! 寄宿学校で共に学び、チェスの腕を競い合い、親友だと……誰よりも心を通わせた兄弟のような友だと信じていた私を……ただの殺人不在証明の道具、父親殺しの隠れ蓑として利用したのか!? 昨夜、お前が私に淹れてくれたあの温かい紅茶も、震える手で打ったチェスの一手も……すべて私を欺き、時間を偽装するための演技だったというのかッ!」
親友の魂からの叫び。だが、ジュリアンは冷酷に口元を歪め、嘲笑を返した。
「友情だと……? ふん、笑わせるなカイル! 貴族の友情など、社交界の体面を保つための飾りにすぎん! お前のおめでたい善人面と間抜けな証言のおかげで、俺の完全犯罪は完璧に完成するはずだったんだ! お前も、あの下町の小汚い時計屋も、俺が手に入れる栄光と巨万の富のための、ただの踏み台にすぎなかったんだよォッ!」
パシャッ! パシャッ!
カメラマンたちが無言のまま、床に這いつくばり友を罵倒するジュリアンの醜悪な姿を、乾いたシャッター音とともにフィルムへと焼き付けていく。
「……そこまでだ、ジュリアン・フォン・バローニ」
講堂の中央通路を、重い軍靴の音を響かせて歩み寄ってきたのは、トレンチコートを着込んだ無骨な体躯のベテラン捜査官――エルネスタの忠実な部下であるギルバート警部だった。
ギルバート警部は腰の革ケースから、重厚な鋼鉄製の手錠をジャラリと引き抜いた。
「ジュリアン・フォン・バローニ。尊属殺人罪、ならびに偽証教唆、詐欺、公務執行妨害の現行犯で逮捕する」
ガチャンッ!
ジュリアンの細い両手首に、冷酷な鉄の枷が容赦なく打ち込まれた。帝都を支配する名門大貴族の権力と、不逮捕特権の甘い夢が、その冷たい金属音とともに永遠に断ち切られた瞬間だった。
「連れて行け」
ギルバート警部の厳命により、屈強な四名の憲兵がジュリアンの両脇を抱え上げ、壇上から引きずり下ろそうとする。
その時だった。
引きずられていくジュリアンが、突如として激しく身をよじって顔を跳ね上げ、演壇の前に毅然と立つシオンを、血走った憎悪の瞳で睨みつけた。その歪んだ唇の端から、狂気と怨嗟に満ちた嗤いが漏れ出した。
「ふ、ふふ……あははははっ! 時計屋……シオン……! 俺一人を地獄へ送って、正義の味方気取りで満足しているんじゃないぞ……!」
ジュリアンの耳障りな甲高い笑い声が、講堂の熱気を再び芯から凍りつかせた。




