第48話:騒然とする本部~「私がアリバイの設計者だ」~
「貴様らッ! 何の真似だ!」
壇上でボールドウィン局長が額の血管を怒張させ、卓上の真鍮製水差しをガシャアンと床に叩き落とした。
「エルネスタ警視! 貴様、停職処分中の身でありながら、どこの馬の骨とも知れぬ不審者を引き連れて捜査本部を愚弄する気か! 警備兵、何を突っ立っている! その反逆者と不審者を直ちに取り押さえろ! 抵抗するなら射殺も辞さん!」
局長の狂乱した怒号が響くや否や、講堂の左右の壁際に整列していた完全武装の帝国警察機動隊員十五名が、一斉に腰の軍刀をチャキンと抜き放った。
さらに後方の警備兵たちが、黒光りする連発式小銃の撃鉄を一斉に起こし、黒々とした銃口をシオンとエルネスタの胸元へと向けた。
金属の擦れ合う乾いた殺気。講堂内の記者たちが悲鳴を上げて長椅子の下へ身を隠し、「撃つな!」「おい、特ダネだ、カメラを構え続けろ!」と怒号と狂乱が渦巻く。
だが、エルネスタ・フォン・ヴァレンタインは、微動だにしなかった。
銃口の前に立ち塞がった彼女の姿は、まるで冬の峰に立つ純白の氷柱のように研ぎ澄まされ、冷酷なまでの威厳に満ちていた。
彼女は白手袋の右手で、軍服の内ポケットから一枚の重厚な羊皮紙を抜き放つと、前進してくる警備隊長の鼻先へとピシャリと突きつけた。
「全員、武器を収めなさい! これは帝国最高検察庁特務監察部が直々に発付した【最高緊急査問状】です!」
凛然たる彼女の美声が、銃撃の緊張を鋭く切り裂いた。
「この男は、バローニ侯爵怪死事件における『最重要司法証人』であり、現時点をもって最高検察庁直属の特務捜査官である私の、絶対的な身柄保護下にあります! 令状には司法大臣および最高検察総長の直筆署名がなされている! この男の証言を武力で妨害しようとする者は、階級の如何を問わず、国家反逆罪および重大司法妨害罪の現行犯として、直ちに軍事法廷へ送致されます!」
最高検察庁の緊急査問状――。
それは、警察上層部といえども決して手出しのできない、帝国司法における至高の『不触の盾』だった。さらにその背後には、帝国貴族院の頂点に君臨する名門ヴァレンタイン公爵家の不可視の重圧が横たわっている。
銃を構えていた警備兵たちの指先が小刻みに震え、隊長は青ざめて一歩、二歩と後退した。
「なっ……最高検察庁だと……!? ヴァレンタイン公爵め、娘のために本気で動いたというのか……!?」
壇上でボールドウィン局長が脂汗を吹き出し、歯噛みしながら呻いた。警察組織が築き上げたもみ消しの壁が、法と権力の真正面からの直撃によって、音を立てて軋み始めていた。
兵たちが立ち往生する中央の通路。
シオンはエルネスタの隣から、静かな足取りで歩み出た。
敷き詰められた深紅の絨毯の上を、彼の革靴が乾いた音を立てて進む。片手に提げた真鍮金具の工具箱が、振り子のように規則正しく揺れていた。
講堂を埋める百名の記者たちが、息を呑んでその痩身の青年を見守っている。派手な軍服でも、豪奢な貴族の外套でもない。下町の油と金属粉の匂いを纏った一人の職人が、帝国の権力の中枢へと堂々と歩み寄っていく異様な光景。
壇上。演壇を挟んでわずか三歩の距離で、ジュリアンとシオンの視線が真正面から激突した。
ジュリアンの青白い額には、先ほどまでの優雅な悲劇の貴公子の面影はなく、獣のような憎悪と狼狽が貼り付いていた。
「シオン……! 貴様、下町の乞食時計屋風情が、一体何の妄言を吐きに来た! 父の喪に服する私を侮辱し、金を強請り取る気か!?」
ジュリアンが声を荒らげて威嚇する。だが、その声の震えを、シオンの鋭い耳は見逃さなかった。
シオンは鳥打帽のツバに軽く指を当て、講堂全体をぐるりと見渡した。
そして、演壇のマイクの前へと歩み出ると、静まり返った講堂に向けて、淡々と、だが鋼鉄のように揺るぎない声を響かせた。
「自己紹介をいたしましょう。私の名はシオン。帝都下町・職人街『真鍮小路』の路地裏にて、時計工房『クロノス堂』を営んでいる、ただの時計技師です」
記者たちの万年筆が、紙の上で一斉に止まった。
「皆様は先ほど、ボールドウィン局長より『ジュリアン様には当夜午後九時三十五分から十時十分まで、鉄壁の不在証明がある』と聞かされました。友人とチェスを指しながら、部屋の大時計を共に眺めていた、と。……警察の鑑識も、時計に異常はなかったと太鼓判を押した」
シオンはそこで言葉を切り、ゆっくりと右手を掲げ、ジュリアンを指差した。
「ですが――ジュリアン様が犯行現場から遠く離れていたと主張する、その『大時計のアリバイ』。……秒針の摩擦を増大させて遅延を生み出し、暖炉の熱で振り子を伸ばして時間を歪め、五分間のタイムラグを作り出したその物理的偽装工作を設計したのは――他でもない、この私自身です」
「「「な、なんだってええええええええええっ!?」」」
ドオオオオオオオオン――!
大講堂が、文字通り割れんばかりの爆音のような絶叫で揺れた。
記者たちが一斉に椅子を蹴倒して立ち上がり、押し寄せた。
「アリバイの設計者だと!?」「本物の共犯者が法廷に自首してきたのか!?」「下町の時計屋が貴族のアリバイを作った!?」「おい、一字一句漏らすな! 号外だ、世紀の特ダネだァッ!」
フラッシュの閃光が雨霰のように焚かれ、白い煙が講堂の天井を覆い尽くす。
その狂乱の中心で、ジュリアン・フォン・バローニの顔からは完全に血の気が引いて失せ、まるで石灰のように白く硬直したまま、カタカタと顎を震わせていた。




