第47話:警察庁捜査本部への堂々たる自首
翌朝、午前九時四十五分。
帝都中央区、重厚な花崗岩と黒鉄のリベットで要塞のように築かれた帝国警察本部――その中央棟三階に位置する『中央大講堂』は、濃密な熱気と異様な興奮に包まれていた。
天井の真鍮製シャンデリアからは青白いガス灯の光が降り注ぎ、高くそびえる大理石の円柱が壁際に厳めしい影を落としている。壁一面に巡らされたスチームヒーターの配管が、蒸気の唸り声を上げながら鈍く脈打っていた。
講堂内の長椅子を埋め尽くしているのは、帝都日報、クロノス・タイムズ、貴族院通信、官報記者クラブなど、帝都中の名だたる新聞各社の敏腕記者たち百名以上である。立ち込める安煙草とパイプの紫煙、インクと湿った羊皮紙の匂い。真鍮製のマグネシウム・フラッシュ装置を三脚に据えたカメラマンたちが、緊張で強張った顔で位置取りを争っていた。
帝都中が注目する世紀の事件――大富豪バローニ侯爵の怪死事件に関する、警察の最終公式発表。民衆の間では侯爵による下町への過酷な高利貸しや孤児たちの搾取に対する怨嗟が渦巻いており、もしこれが単なる親族による遺産争いであれば、帝都を揺るがす大スキャンダルに発展することは必至だった。
壇上に据えられた重厚なオーク材の長テーブル。
その中央には、上質な黒いカシミアの喪服に身を包んだ青年――ジュリアン・フォン・バローニが、痛ましげに伏し目がちに腰掛けていた。
胸元には純銀の喪章。青白い美貌には深い悲嘆の影が刷き込まれ、誰もが同情を禁じ得ない「悲劇の遺児」を完璧に演じ切っている。だがその伏せられた長い睫毛の奥で、彼の瞳は冷酷な計算を巡らせていた。昨夜、地下庭園の隠し場所から回収しようとした「真鍮の星型鍵」が見当たらなかったことへの苛立ちはあったが、ジュリアンの胸中には絶対の余裕があった。
――問題ない。鍵が一本消えたところで、何が暴けるというのだ。警察上層部は我が家の巨額の裏金で飼い慣らされている。それに何より……あの下町の時計屋に作らせた『大時計のアリバイ』は、物理法則そのものを欺く完全無欠の芸術だ。誰一人として、あの密室と時間の壁を破ることはできん――。
ジュリアンの隣には、帝国弁護士会の重鎮モート卿が書類を整え、さらに帝国警察特別捜査局長ボールドウィン中将をはじめとする警察上層部の高官たちが、威厳を繕うように勲章を胸に並んでいた。
「……静粛に! 諸君、静粛に願いたい!」
定刻十分前、ボールドウィン局長が立ち上がり、壇上の真鍮製拡声器に向かって野太い声を響かせた。
記者たちの囁き声が急速に収まり、数百本の万年筆のペン先が紙の上に一斉に構えられる。
「これより、帝都を震撼させたバローニ侯爵怪死事件に関する、特別捜査本部の最終捜査報告を行う。……当本部による極めて綿密な現場検証、遺体の法医解剖、および関係者数十名への徹底的な事情聴取の結果、現場は完全な密室であり、外部からの侵入痕跡は皆無であった。よって本事件は、被疑者不詳のまま、捜査を公式に終結することを宣言する」
講堂内に、波のようなざわめきが走った。
「なお、当初一部の心無き風評により嫌疑を囁かれていた令息ジュリアン・フォン・バローニ卿については、犯行推定時刻における鉄壁の不在証明が完全に立証された。書斎に置かれた大時計の正常なる稼働、ならびに同席していた学友カイル卿の宣誓証言、さらに現場の二重密室構造――これらすべての客観的証拠に基づき、ジュリアン卿の無実潔白は完璧に証明されたのである!」
局長が机上の公式文書にドンと認印を押すと、ジュリアンがゆっくりと立ち上がった。
彼はハンカチで目元を軽く押さえ、悲痛に震える声で演壇のマイクへと歩み寄った。
「……報道関係者の皆様。父の突然の死は、我がバローニ家にとって耐え難い悲劇でした。しかし、帝国警察の迅速かつ公正なる捜査により、我が家の名誉が守られたことに深く感謝いたします。本日午前十時をもちまして、私は正式に亡父の爵位と全遺産を相続し、この悲しみを乗り越えて帝都の産業と弱者のために尽くす所存――」
ボオオオオオン――。
講堂の正面壁に掲げられた、帝都標準時を示す巨大な電気時計が、午前十時丁度の重厚な鐘の音を鳴り響かせた。
ジュリアンが演説を締めくくり、勝利の署名を書類に入れようとペン先を走らせた、まさにその刹那だった。
ドガアアアアアンッ――!
まるで砲弾が直撃したかのような凄まじい轟音が、大講堂の背後で炸裂した。
厚さ十センチを超える巨大なオーク材の二重扉が、猛烈な力で外側から蹴破られ、左右の大理石の壁に激突して跳ね返ったのだ。
「な、なんだッ!?」「何事だ!」
記者たちが一斉に悲鳴を上げて椅子を倒し、振り返る。
外の吹き抜け回廊から差し込む朝の逆光の中、砕け散った木片と舞い上がる白い埃を切り裂いて、二つの人影が堂々と講堂の中へと踏み込んできた。
一人は、漆黒の帝国警察軍服の上に純白のシルク混ロングコートを羽織り、白手袋の右手に銀色に輝く特別捜査官バッジを高く掲げた女性――『氷の令嬢』エルネスタ・フォン・ヴァレンタイン警視。
そしてその隣には、着古した黒の作業用コートを翻し、片手に真鍮金具で補強された黒革の時計工具箱を提げ、琥珀色の瞳に冷徹な知性の炎を灯した青年――シオン。
「そこまでにしてもらいましょう、ジュリアン・フォン・バローニ」
シオンの澄み切った、だが研ぎ澄まされた外科用メスのように鋭い声が、静まり返った大講堂の隅々にまで凛然と響き渡った。
「実の父親を冷酷な毒針で葬り去り、神聖なる時間を汚した殺人犯に……侯爵の座も、不逮捕特権も、一秒たりとも渡すわけにはいきません」
ピシイイイン――!
その瞬間、最前列のカメラマンが反射的にマグネシウム・フラッシュを焚いた。
激しい閃光と白い煙が二人を神々しく照らし出し、大講堂は一瞬にして、制御不能の熱狂とパニックの坩堝へと叩き落とされた!




