第43話:刺客の正体~侯爵の息の根を止めたかった裏組織の影~
「誰だッ!?」
エルネスタが瞬時に腰のコンバットナイフを逆手に構え、頭上の木箱の天板へと鋭い切先を向けた。
シオンもまた、身構えて上方を仰ぎ見る。
コンテナの縁に腰を掛け、すらりとした長い足をブラブラと揺らしていたのは――燃えるような赤毛を高い位置でポニーテールに結わえた、抜群のプロポーションを誇る美女だった。
身体のしなやかな曲線美を余すところなく強調する、黒い光沢を放つ特注の革製キャットスーツ。
腰には無数の極小ピッキングツール、超極細ワイヤーランチャー、小型煙幕弾を下げ、胸元が大胆に開いたスーツの谷間には、真鍮の精密な歯車をあしらったアンティークのペンダントが妖しく揺れていた。
歳の頃は二十代前半。猫のようにしなやかで、獲物を品定めするような悪戯っぽい琥珀色の瞳。
「おっと、物騒な刃物は仕舞って頂戴な、お嬢様警視。私みたいなか弱い情報屋を脅しても、何も出ないわよ?」
赤毛の美女はクスリと笑うと、羽毛のように音もなく木箱の天板から華麗な宙返りを決め、二人の目の前の敷石へと軽やかに着地した。
猫のような足取りでシオンへと歩み寄ると、臆することもなくシオンの腕に自らの豊かな胸をぎゅっと押し当て、甘えたような上目遣いで顔を覗き込んできた。
「久しぶりね、シオン坊や。元気にしてた? クロノス堂の裏口が派手に吹き飛ばされたって聞いて、心配で見に来てあげたのよ? ……まあ、こんな美人の警視様とイチャついてる余裕があるなら、私の心配なんてお門違いだったみたいだけど」
「ク、クラリス……! 腕に抱きつくな、離れなさい!」
シオンが露骨に嫌そうな顔をして腕を引き抜こうとするが、赤毛の美女――クラリスは、フフンと楽しげに鼻を鳴らして離そうとしない。
クラリス・フォン・ベルンシュタイン。
表向きは下町の高級アンティーク骨董商、だがその真の顔は、帝都裏社会の情報ネットワークを牛耳る伝説の元怪盗にして、超一流の闇情報ブローカーだった。
ピキッ……。
その瞬間、木箱の隙間の空間全体の気温が、文字通り氷点下まで急降下したような錯覚をシオンは覚えた。
恐る恐る横を見ると――そこには、抜身のナイフを手にしたエルネスタが、一切の感情を消し去った「絶対零度の微笑」を浮かべて立ち尽くしていた。
青い瞳の奥に、青白い冷気のオーラが凄まじい勢いで渦を巻いている。
「……あら。シオン、この泥棒猫のような女性は、どなたかしら? 随分と……親密なご関係のようにお見受けするけれど?」
エルネスタの声は極めて上品で、鈴のように澄んでいた。だが、その語尾には、触れたものすべてを凍結粉砕するような凄まじい威圧感が込められていた。
「め、滅相もありません、エルネスタ警視! 彼女はクラリス、下町の骨董市場を通じて時計の希少なアンティーク部品や特殊金属を融通してもらっている、ただの腐れ縁の情報屋です! それ以上の関係など天地神明に誓って一切ありません!」
シオンがこれまでにないほど激しく狼狽し、両手を振って必死に弁明する。
「まあ、冷たいこと言っちゃって! 三年前、あなたがアカデミーを追い出されて路頭に迷ってた時、私の隠れ家で一晩中……ふたりきりで時計の機構について熱く語り明かした仲じゃないの!」
「ただのクロノメーター脱進機の設計議論だろうが! 誤解を招くような言い方をするな!」
「ふーん……一晩中、ふたりきりで、ねえ……?」
エルネスタの微笑みがさらに深くなり、手にしたナイフの柄をギリギリと締め上げた。
「職務執行の妨害として、公務執行妨害および風紀紊乱罪で二人まとめて現行犯逮捕してもよろしくて?」
「キャハハッ! 冗談よ、冗談! 怖い怖い、さすがは名門ヴァレンタイン家の『氷の令嬢』様ねぇ!」
クラリスは降参するように両手を挙げ、シオンからパッと身を離した。
そして、先ほどまでのふざけた態度を一変させ、真剣なプロの情報屋の鋭い眼差しになって声を低めた。
「からかいすぎたわね。……本題に入りましょうか、シオン。あなたたちを付け狙っていた、あの黒革鎧の連中のことよ」
エルネスタも表情を引き締め、ナイフを鞘へと収めた。
「……知っているのね、あの刺客たちの正体を」
「ええ。あいつらはバローニ侯爵が裏で飼っていた非合法の暗殺部隊『シャドウ・ギア』……帝都の裏組織『影の演出家』の実行部隊よ。バローニ侯爵が死んだことで、組織の上層部は今、大混乱に陥っているの」
「大混乱……?」
シオンが眉をひそめる。
「そうよ。侯爵が死んだ今、組織を継ぐのは息子のジュリアン坊ちゃんだと誰もが思っていた。だけど、ジュリアンは侯爵の巨額の裏遺産と人身売買の利権をすべて独り占めにして、組織の古参幹部たちを皆殺しにして切り捨てようとしているのよ。だから幹部たちは、ジュリアンが喉から手が出るほど欲しがっている『ある物』を血眼になって探してるの」
クラリスは黒革の手袋を嵌めた右手を胸元へと差し入れ、ニヤリと悪魔的な笑みを浮かべた。
「そして……その『ある物』なら、私が先ほど、侯爵邸の地下庭園の暗渠から、綺麗さっぱりくすねてきたところよ」
クラリスの手のひらの上で、朝の光を浴びて鈍い金色に輝いたのは――。
星型の極めて複雑なビットが刻まれた、重厚な真鍮製の鍵だった。




