第23話:ジュリアンの再聴取~完璧すぎる証言の不自然さ~
午後五時半。
特別捜査局・第二取調室。
地下の冷え切った部屋とは対照的に、地上階にあるこの部屋には磨かれたマホガニーの机と革張りの椅子が並び、貴族階級の被疑者をもてなすための最低限の体裁が整えられていた。
豪奢な椅子に深く腰掛け、足を組んでいたのは、長男ジュリアン・フォン・バローニ。
喪服のネクタイを少し緩め、手には警察の給仕に運ばせた高級な水出しコーヒーのグラスを弄んでいる。
その隣には、帝都でも名うての悪徳貴族御用達弁護士――金縁眼鏡を光らせた肥満体の男、モリス弁護士が、分厚い法律書を抱えてふんぞり返っていた。
「お待たせいたしました、ジュリアン様」
エルネスタが入室し、冷徹な足取りで机の対面に着席した。
ジュリアンは口元に薄笑いを浮かべ、グラスを置いた。
「いやあ、待たされましたよ、ヴァレンタイン警視。父を亡くしたばかりの遺族を、こうも長時間警察本庁に留め置くとは、特別捜査局も随分と横暴ですな。モリス弁護士からも抗議してもらったところですよ」
「ええ、警視」モリス弁護士が豚のような鼻を鳴らした。
「我が依頼人には、犯行時刻における盤石の不在証明が存在する。昨夜九時三十五分から十時十分まで、カイル子爵令息とチェスを指していたことは、卿自身の宣誓証言によって確定しているはずだ。これ以上の拘束は、人身保護令および貴族特権条項に対する重大な侵害にあたりますぞ!」
「弁護士先生、法規の講釈なら法廷で伺いましょう」
エルネスタは手元の調書を開き、万年筆の先をジュリアンへと向けた。
「ジュリアン様。私はあなたに、昨夜のタイムラインについて、再度詳細な確認を行いたいだけです」
「何度聞かれても答えは同じですよ」
ジュリアンは肩をすくめ、嘲笑混じりに答えた。
「昨夜九時三十五分、友人のカイルが私の書斎を訪れました。私は彼を迎え入れ、丸テーブルでチェス盤を広げた。彼が黒番、私が白番です」
「対局中、二人は何を話していましたか?」
「チェスの定石についてですよ。私の初手e4に対し、カイルはc5――シシリアン・ディフェンスのオープニングを選んだ。私はナイトを展開し、彼はポーンを進めた。午後九時四十五分頃、私のクイーンが待ちの姿勢に入った際、カイルは激しく長考を始めました。その間、私は向かいの肘掛け椅子に座り、大時計を見上げながら、アールグレイの紅茶を三口啜りました。長針が九時四十八分を指した時、庭の樫の木で梟がホーホーと二度鳴き、十時ちょうどには、東の聖マリア教会の鐘の音がかすかに三回響きました。カイルが投了したのが十時十分。時計を二人で確認し、彼を見送ったのが十時十五分です。……何か不自然な点でも?」
淀みない。
一分の狂いもなく、秒単位の行動、紅茶を飲んだ回数、果ては窓の外の梟の鳴き声や遠くの教会の鐘の回数まで、完璧なリアリズムで語り尽くされた。
モリス弁護士が得意満面に頷く。
だが――エルネスタの碧眼が、氷の刃のように細められた。
「……実に素晴らしい記憶力ですね、ジュリアン様。あまりにも、素晴らしすぎるわ」
「……何?」
「人間というものは、突発的な事件や日常の何気ない会話を後から振り返る際、分単位の時刻や梟の鳴き声の回数など、これほど克明に記憶できるものではありません。記憶とは本来、曖昧で、欠落し、主観によって歪むものです。……あなたの証言は、まるで一言一句を台本のように暗記して、完璧に諳んじているかのようだわ」
ジュリアンの眉が、ピクリと痙攣した。
エルネスタは逃さず、冷徹な追及の刃を突き立てる。
「では伺いましょう。その完璧な記憶力をお持ちのジュリアン様……昨夜、チェスを指していた間、あなたの書斎の暖炉はどの程度燃えていましたか?」
「な……暖炉……?」
「ええ。老執事のセバスチャンは、昨夜九時十五分にお茶を運んだ際、『部屋が真夏のように熱烈に暖まっていた』と証言しています。そして今朝、鑑識が調べた際、暖炉の火は完全に落とされ、冷え切っていた。……昨夜、カイル卿とチェスをしていた間、暖炉の火の勢いはどうでしたか? 薪や炭は、どのくらいくべられていました?」
「そ、それは……」
ジュリアンの口元から、流麗な淀みなさが一瞬で消え去った。
目が泳ぐ。
シオンから指示されたのは「九時に暖炉を満杯にして焚き、十時半に消火粉末を撒いて火を落とす」という物理の手順だけだった。チェスの最中に暖炉がどう燃えていたかなど、暗記した台本には書かれていなかったのだ。
「ええと……炭が……赤くなっていて……普通に暖かかったと思いますが……」
「普通、ですか?」
エルネスタは身を乗り出し、机をトンと叩いた。
「昨夜、あなたが暖炉に満杯にくべたのは、千度以上の超高熱を放つ最高級の無煙炭です。室温は平時の二十度から、三十五度近くまで急上昇していたはず。……なぜあなたとカイル卿は、真夏のような猛烈な室温の中で、上着も脱がずに優雅にチェスを指していられたのですか? なぜ、カイル卿はお茶を飲み干し、あなたは汗一つかかずにいられたのかしら?」
「ぐっ……そ、それは……昨夜は風が冷たく、窓際が冷え込んでいたからで……!」
「嘘をおっしゃい!」
エルネスタの鋭い一喝が、取調室の空気を叩き割った。
「あなたが暖炉を焚いた目的は暖を取るためではない! 暖炉の熱で、大時計の真鍮製振り子ロッドを熱膨張させ、一秒の周期を狂わせて時間を五分間遅らせるためだった! そして十時半に火を落とし、室温の低下と共に振り子を収縮させ、証拠を隠滅した! ……そうでしょう、ジュリアン・フォン・バローニ!!」
「な、なんだと……っ!?」
ジュリアンの顔面から、文字通り血の気がサーッと引いた。
熱膨張。振り子の周期。五分間の遅延。
自分が下町の時計屋シオンに命じて組み上げさせた、あの悪魔のからくりの全容が――この若き女性警視の口から、完璧な科学的ロジックとして暴かれたのだ。
だが――その戦慄の瞬間、横からモリス弁護士が激昂して立ち上がった。
「デタラメだ! 熱膨張で時計を遅らせるなどという空想科学小説の妄想を、我が依頼人に押し付けるな! 警視、その奇怪な仮説を裏付ける物証はあるのかね!? 振り子が伸び縮みしたという決定的な証拠が現場にあるのか!?」
「それは……」
エルネスタは息を呑んだ。
物証はない。
冷え切った暖炉の灰の中に残るわずかなシリカ粉末と、ガンギ車の特殊油。それだけでは、裁判官を納得させる物理的証拠にはならないのだ。
弁護士の怒号に救われ、ジュリアンはハッと正気を取り戻した。
冷汗を拭い、再び醜悪な傲慢の笑みを浮かべる。
「……ふ、ふん。驚かせないでいただきたいな、ヴァレンタイン警視。妄想で人を殺人犯に仕立て上げようとは、公爵家の名が泣きますぞ」
ジュリアンは立ち上がり、コートの襟を正した。
「明日の朝十時までに、確たる物証を用意できなければ……私は釈放です。これ以上の不当拘束が続けば、貴族院を通じて警察総監を更迭させますよ。……失礼」
ジュリアンと弁護士は、嘲笑を残して取調室を去っていった。
一人取り残されたエルネスタは、拳を白くなるほど強く握りしめ、悔しさに唇を噛み切るほど強く噛み締めていた。




