第14話:特別捜査局の出動~『氷の令嬢』エルネスタ警視~
カツ、カツ、カツ、カツ――。
大理石の床を踏み鳴らす、硬質な金属鋲の足音。
それは一切の躊躇も迷いもなく、等間隔の冷徹なテンポで刻まれていた。まるで、誤差を許さぬ精密機械の歩行音そのもののように。
東棟書斎の重い両開き扉が、外側から押し開かれた。
立っていたのは、二人の武装した特別捜査局員――そして、その中央から静かに部屋へと足を踏み入れてきた一人の若い女性だった。
その姿に、ギルバート警部は思わずくわえ煙草を落としそうになり、ジュリアンは息を呑んだ。
年齢は二十歳そこそこ。
月光をそのまま紡ぎ出したかのような、透き通るような白銀の髪。左側の耳元でまとめられたサイドテールが、歩調に合わせて優美に揺れている。
肌は雪のように白く、陶器のように滑らか。彫刻のように整った美貌の中で、ひときわ異彩を放っていたのは、氷河の底を思わせる冷徹な碧眼だった。あらゆる嘘や欺瞞を絶対零度の冷気で凍りつかせるような、研ぎ澄まされた刃の輝き。
身に纏っているのは、帝国警察特別捜査局の特注外套――漆黒の高級ウールに真鍮のボタンが並ぶダブルブレストの軍服コート。細身のウエストには純銀の飾緒が下がり、腰には儀礼刀ではなく、最新型の小型リボルバーが革ホルスターに収められていた。
香水の甘い匂いは微塵もない。漂うのは、清潔な石鹸の香りと、磨き抜かれた革、そして火薬と機械油の微かな匂い。
「……な、なんだってんだ。本庁の特別捜査局が、こんな朝っぱらから貴族の屋敷に何の用だ?」
ギルバートが顎髭を撫でながら、警戒と反発の混じった低い声で唸った。
だが、女性警視はギルバートの無礼な態度など意に介した様子もなく、白革の手袋を嵌めた手をすっと胸元に当てた。
「ご苦労様です、刑事課捜査第一係長ギルバート警部。帝国警察本庁特別捜査局・第一機動捜査班長のエルネスタ・フォン・ヴァレンタイン警視です。……帝国議会および警察総監の緊急特命により、本件『バローニ侯爵怪死事件』の統括捜査指揮を、私が引き継ぎます」
涼やかで、凛とした美声。だがその響きには、相手の反論を一切許さない絶対の規律と威厳が宿っていた。
エルネスタ・フォン・ヴァレンタイン。
帝国筆頭公爵家であるヴァレンタイン家の息女でありながら、社交界の華やかな求婚をすべて蹴り飛ばし、最年少で警察大学校を首席卒業した若き天才。
感情に流されず、証拠と論理のみを冷徹に信奉することから、警察内部では畏敬と恐怖を込めて『氷の令嬢』と呼ばれている人物だった。
「ヴ、ヴァレンタイン警視……!? 公爵家のお嬢さんが、こんな泥臭い殺人現場にわざわざ出張ってきやがったのかよ」
ギルバートは苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちした。現場叩き上げのベテラン刑事にとって、二十歳そこそこの貴族令嬢に指揮権を奪われることほど屈辱的なことはない。
「言葉を慎み給え、ギルバート警部。アントニオ・バローニ侯爵は、帝国中央銀行の最大大株主であり、来年度の国家予算規模に匹敵する莫大な債権を握っていた超大物です。彼の不審死は、一歩間違えれば帝国の金融市場を崩壊させかねない。……所轄の安易な『自殺処理』や、証拠不十分な迷宮入りを許すわけにはいきません」
エルネスタの冷たい視線が、部屋の隅で喪服を着て佇むジュリアンへと向けられた。
「初めまして、ジュリアン様。お父上のご不幸、心よりお悔やみ申し上げます」
「あ……あ、ありがとうございます、ヴァレンタイン警視……」
ジュリアンは思わず後ずさりそうになるのを必死に堪えた。
先ほどの粗野なギルバート警部とはまるで違う。この少女の瞳は、まるで人間の皮膚を透視して、骨の髄にある毒素を直接見つけ出すような、底知れぬ圧力を放っていた。
「ギルバート警部。現場の状況と、現在の捜査進捗を要約して報告しなさい。……三十秒以内で」
「なっ……三十秒だと!?」
「時間は有限です。一秒の浪費が、犯人の証拠隠滅を助けることになります。……早く」
エルネスタは軍服コートの左胸ポケットから、銀製の古い懐中時計を取り出し、パチンと蓋を開けた。
ギルバートは毒づきながらも、早口で報告せざるを得なかった。
「……西棟奥の私室で、侯爵が青酸カリで毒殺された。出入口は内側から五キロの鉄の落とし閂、窓は防弾ガラスと内側からの施錠、外側は鉄格子。煙突も塞がれた完全密室だ。死亡推定時刻は昨夜九時四十五分から十時零零分の間。だが、遺産相続人である長男のジュリアン様には、昨夜九時三十五分から十時十分まで、この部屋でカイル子爵令息とチェスを指していたという鉄壁のアリバイがある。鑑識がこの大時計を調べたが、一秒の狂いもなく正確に動いていた。……以上だ!」
エルネスタは懐中時計の針を見つめながら、静かに頷いた。
その銀色の懐中時計は――不思議なことに、秒針も長針もピタリと静止したまま動いていなかった。だが彼女は何も言わず、蓋を閉じてポケットへと戻した。
「状況は把握しました。……実に興味深いですね」
エルネスタの白磁のような唇の端が、わずかに皮肉な孤を描いた。
「物理的に脱出不可能な完全密室。即効性の猛毒による暗殺。そして、もっとも動機を持つ第一容疑者に用意された、第三者の目撃と狂いなき大時計による完璧な不在証明。……あまりにも、美しく揃いすぎています」
「……何が言いたいんだ、警視」
「犯罪において、すべてのパズルがこれほど寸分の隙もなく噛み合っている場合、答えは二つに一つしかありません。……一つは、本当に神の奇跡によって不可能な犯罪が起きたか。そしてもう一つは――【誰かが作為的に、完璧に見えるよう組み立てた贋作のパズル】であるか、です」
エルネスタの冷徹な言葉に、ジュリアンの背筋がヒヤリと凍りついた。
彼女はギルバートを一瞥し、怜悧な口調で続けた。
「警部。あなたがたは『現在、この時計が一秒の狂いもなく動いている』ことから、『昨夜も正確だった』と短絡的に結論付けましたね? それが凡庸な捜査官の最大の盲点です」
「あんだと……!?」
「時間とは、物理現象の中で唯一、【細工の痕跡が自然に消滅する性質】を持ち得る領域です。熱、摩擦、気圧、磁力……一定の条件下でのみ時間を歪め、条件が解除されれば何事もなかったかのように平時の刻みへと復帰するギミックなど、精密機械の世界にはいくらでも存在します」
エルネスタはジュリアンの横をすり抜け、迷いのない足取りで、大時計の前へと歩み寄った。
「見せてもらいましょう。……この時計が、昨夜本当に『神の正しき時』を刻んでいたのかどうかを」




