第118話:大陸横断特急『リヴァイアサン号』の危機
「お父様っ!! 一体シオン殿に何をなさるおつもりですの!?」
最高治安戦略会議室の重厚なオーク材の二重扉が乱暴に開け放たれ、息を切らしたエルネスタが風のように乱入してきた。
公爵邸に戻り、正装の軍服を解く間もなく、シオンが警察庁本部の最上階――治安の最高意思決定室に単身呼び出されたと聞きつけるや否や、彼女は父の厳しい逆鱗に触れることも恐れずに駆け戻ってきたのだ。
乱れた銀髪を手で払いながら、エルネスタはシオンを自らの背後へ庇うように立ちはだかり、腰のサーベルの柄に白手袋の手を添えたまま、鋭いアイスブルーの視線で実父であるヴィクター元帥を睨みつけた。その瞳には、たとえ相手が帝国の軍権を握る実父であろうと、不当な弾圧からシオンを守り抜くという不退転の決意が宿っていた。
「シオン殿は、帝国を揺るがす未曾有の冤罪を晴らし、国家の至宝『黄昏の幻影画』を命懸けで奪還してくださった最大の恩人です! いかに国家治安評議会議長であっても、正当な理由のない詰問や、下町の職人に対する不当な拘束など、この私が断じて許しませんわ!」
「騒ぐな、エルネスタ。誰が無礼な詰問や拘束などしたと言った?」
元帥は呆れたように太い片眉を跳ね上げ、低く威厳に満ちた地鳴りのような声で娘を制した。
「貴様が血相を変えて部屋に飛び込んでくる前に、この男にはすでに帝国警察庁特命最高捜査顧問の辞令を手渡したところだ。……それにしても、実の父親に向かってサーベルの柄を握りしめるとはな。誰に似てこれほど跳ねっ返りに育ったのやら」
「え……? と、特命捜査顧問……?」
エルネスタは呆気にとられたように丸く目を見張り、シオンの手元にある純金の鷲が輝く特務身分証と、父の厳格な顔を交互に見比べた。
シオンは苦笑を噛み殺しながら、エルネスタに向かって穏やかに頷いてみせた。
「ええ。先ほど、元帥閣下から過分なる身分証と特権を拝領したところです。心配してくださってありがとうございます、エルネスタ執行官」
「な、なんですの……もう、脅かさないでくださいまし……」
エルネスタは安堵のあまりへなへなと胸を撫で下ろし、自分の早とちりと大胆すぎる行動への恥ずかしさで、耳たぶまで真っ赤にしてそっと俯いた。
元帥は机の上の余計な書類を片付けると、マホガニーの巨大な円卓の上に、青焼きの巨大な設計図面を豪快に広げた。
そこに描かれていたのは、全長五百メートル、十両編成にも及ぶ、漆黒の超巨大装甲蒸気機関車の精緻な内部構造図だった。
車体各所には連装魔導重機関銃、強化装甲板、そして最新式の超高圧魔導蒸気タービンエンジンが搭載されている。
「本題に入ろう。諸君も知っての通り、美術館事件の裏側で糸を引いていた巨悪は、帝国最大の軍需産業『クライン重工』だ。そして今週末、その最高総帥であるヴォルフガング・クライン社長が、帝国北方領との極秘軍事協定に調印するため、この列車に乗車する」
元帥は図面の一角、最上階に位置する重厚な防弾貴賓車を太い指先で強く叩いた。
――『大陸横断魔導特急リヴァイアサン号・最上階貴賓車』。
「帝都中央駅から北方の雪嶺聖都まで、全長千二百キロの極寒の山岳地帯を、時速百キロの猛スピードで一度も停車することなく駆け抜ける。動く要塞とも呼ばれるこの列車に、影の演出家から『クライン社長の命と時間を消滅させる』という暗殺予告が届いた」
「消滅させる……? 殺害ではなく、消滅ですの?」
エルネスタが怪訝そうに眉をひそめた。
「ああ。予告状の文面には明確にそう記されていた。……時速百キロで疾走する密閉された装甲列車から、私設傭兵隊の厳重な警護に守られた人間を、走行中にどうやって煙のように消し去るというのか。警察の幹部どもは頭を抱えている」
元帥の問いに、シオンは設計図面を食い入るように凝視した。
シオンの藍色の瞳が、図面の各数値を瞬時に計算し始める。
「列車が時速百キロで走行している時、車外と車内の気圧差は最大で〇・二気圧に達します。さらに、トンネル突入時のピストン効果、カーブでの遠心力、そして魔導蒸気エンジンの排熱……。この列車そのものが、巨大な物理工学的密室トラップの母艦になり得る。……演出家フェリクスなら、その環境を極限まで利用した手品を仕掛けてくるはずです」
「ふむ……やはり貴様を呼んだのは正解だったようだな」
元帥は満足そうに頷くと、両腕を組んで冷徹な眼光を二人へと向けた。
「そこで貴様ら二人に、特命潜入捜査を命じる。乗客に紛れ込み、クライン社長の身辺を極秘裏に警護せよ。……だが、列車内には各国の外交官や貴族、さらにはクライン重工の私設傭兵隊が目を光らせている。警察や軍の身元が割れれば、即座に外交問題となりかねん」
「でしたら、どのような名目で潜入いたしますの?」
エルネスタが背筋を伸ばして尋ねた。
元帥は一切の躊躇なく、事も無げに言い放った。
「決まっているだろう。……エルネスタとシオン、貴様ら二人には【新婚旅行の若き貴族夫婦】として乗車してもらう」
「「…………は?」」
会議室の時間が、完全に停止した。
シオンとエルネスタは同時に硬直し、信じられないものを見る目で元帥を見つめ返した。
そして――次の瞬間、二人の絶叫がドーム天井へと突き抜けた!
「「へっ……!? し、新婚旅行の……ふ、夫婦ぅぅぅぅぅっ!?」」




