第107話:暴かれた真作、法廷に広がる真実の光
静まり返った第一大法廷の中央で、ハルトマン卿の呼吸だけが荒く乱れていた。
彼の鷲鼻は青ざめ、額からはとめどなく脂汗が噴き出している。
だが、ハルトマンは最後の力を振り絞るように、血走った目でシオンを睨みつけた。
「で、出鱈目だ……! 絵空事の推理小説を並べ立てて、裁判官を惑わすな! 百歩譲って館長が自作自演の狂言で死んだとして……では、展示ケースから消えた【本物の国宝絵画】はどこへ行ったのだ!? ケースの中にあったのは空っぽだったはずだ! 現に、私が押収したこのジュラルミンケースの中に、現場から回収された絵画がある!」
ハルトマンは自らの演台のジュラルミンケースを叩き、狂ったように叫んだ。
「これこそが証拠だ! シオンが盗み出そうとして損傷させた国宝『黄昏の幻影画』だ!」
「いいえ、ハルトマン卿。あなたがそこに後生大事に抱えているものは、ただのゴミクズです」
シオンの冷ややかな声が落ちた。
「展示ケースに偏光迷彩で隠されていたその絵は、描かれて一ヶ月も経っていない、石油系合成アニリン顔料で描かれた【粗雑な贋作】です。……本物の国宝『黄昏の幻影画』は、事件の起きる数日前、すでに美術館から何者かによって持ち去られていたのですから」
「な……何を根拠にそんな妄言を……!」
「証拠なら、ここにあります」
シオンが法廷の扉へと向かって静かに片手を上げた。
ギギィ……と開かれた大扉から、堂々たる足取りで入ってきたのは、豪奢な黒塗りのジュラルミン筒を抱えたクラリス・ノワールだった。
クラリスは微笑みながら中央通路を進み、その筒をシオンへと手渡した。
シオンは筒の留め金を外し、中から一枚の巻かれたキャンバスを取り出すと、法廷の中央に置かれた木製イーゼルへと掲げた。
ファサリ……と広げられたその絵画。
ドーム天井から差し込む正午の太陽光を浴びた瞬間、法廷の全員が言葉を失って息を呑んだ。
夕暮れの紫紺の空、黄金に煌めく霧深い湖面、そして静謐な古城。
三百年の悠久の時が醸し出す、深遠で圧倒的な気品と美しさ。天然の亜麻仁油とダンマル樹脂が放つ濡れたような艶、鉱物顔料ラピスラズリの深い群青、そして経年変化によって刻まれたガラス状の微細な網目クラック。
本物の帝国国宝――『黄昏の幻影画』そのものだった!
「本物だ……!」
傍聴席にいた帝国美術院の老鑑定官が、思わず立ち上がって震える声で叫んだ。
「間違いない……! あの息を呑むような色彩の深み、三百年前の巨匠の息遣い……! あれこそが、帝国の至宝たる真の国宝だ!」
法廷全体が蜂の巣をつついたような大騒動に包まれる中、ハルトマンは腰を抜かして演台にしがみついた。
「な……な、なぜだ……!? なぜ貴様が、それを……!?」
「なぜ、ですって?」
エルネスタが一歩前へ進み出て、ハルトマンを断罪するように指弾した。
「今朝八時三十分、貴族特区にあるギュスターヴ・ハルトマン卿、あなたの私邸地下金庫から、適法な捜索権限に基づいて押収したからですわ!」
「なっ……!?」
「あなたが事件の前日、ベルク館長に特別監査と称して接触し、本物の絵画をケースから盗み出して私邸に隠匿した。そして、この絵の裏地に封印されていた【ある重大な国家機密】を手に入れた!」
シオンはキャンバスの裏面をめくり、携帯用の紫外線ブラックライトのスイッチを入れた。
紫外線の光線がキャンバスの裏地を照らし出した瞬間――!
法廷中の壁や大理石に反射するほど鮮烈な、朱色の蛍光文字が浮かび上がった。
先帝陛下の玉璽、そして貴族院軍需派閥の重鎮三十七名の署名と、不正資金の口座記録!
「『帝国暦八百八十五年・先帝陛下真筆遺言状』……!」
シオンの声が、雷鳴のように響き渡った。
「十年前の大時計塔炎上事件の夜、炎の中からベルク館長が盗み出し、この絵の裏に封印していた帝国最大の機密文書です! ハルトマン卿、あなたはこの遺言書を手に入れ、貴族院を脅迫して帝国の実権を握るために、ベルク館長の狂言殺人を乗っ取って彼を口封じした! そしてすべての罪をカミーユと私に擦り付け、私を死刑に処すことで、永久に真実を闇に葬ろうとしたのだ!」
老裁判長が立ち上がり、震える手で木槌を激しく叩きつけた。
「静粛に! 静粛にせよ! ……ハルトマン監査官、この遺言書と名簿は、皇室の正統な印章が押された紛れもない真作である! 貴様、職権を濫用して国宝を横領し、私邸に隠匿した上、無実の者を陥れようとしたのか! 憲兵隊、直ちにギュスターヴ・ハルトマンの身柄を――」
「黙れぇぇぇっ!!」
ハルトマンは狂乱し、髪を振り乱して絶叫した。
百名を超える傍聴席からの激しい怒号と野次。記者たちの容赦ないフラッシュの閃光。
完全に退路を断たれ、破滅の淵に追い詰められたハルトマンの灰色の瞳に、どす黒い狂気の光が宿った。
「貴様ら……! 泥ネズミどもが、私の栄達を邪魔するなぁぁぁっ!!」
ハルトマンは軍用マントの下から、隠し持っていた黒光りする小型魔導拳銃を電光石火の早さで引き抜くと、証言台に立つシオンの眉間へと真っ直ぐに銃口を向けた!




